ハクマン 部屋と締切(デッドエンド)と私 第139回
編集者にだって
漫画を見る才能が
あるとは限らない。
いちいち「息をしながらやった」と言わないのと同じで、この連載の原稿は特に書かれてなくてももれなく催促を受けてから書き始めている。
注文を受けてから作り始めたり、炊き立ての米を詰めたりする弁当屋と同じホスピタリティ溢れる連載ということだ。
催促されるたびに「ちっうるせーな」と、心の巨大掲示板に8年後に大麻で逮捕されるボーダーのAAを貼っているし「反省はしません」と神妙な面持ちで記者会見に臨んでいるが、催促はありがたいことだとは思っている。
呼吸と心臓が停止し瞳孔が開いたことで人の死亡が確認されるように、作家が書くのをやめて、担当が催促をやめるという、あたかも自然死のような流れで連載が終わることもあるのだ。
正直作家側は、締切がいつだったか以前に「締切とは何か」という概念を毎回忘れる。
しかし作家に真の締切前に原稿を描かせることを忘れる編集者は稀なのだ。
頻繁に呼吸を止めて連載を星屑ロンリネスしようとする作家に、飽きずに電気ショックを与え続ける編集者がいるから世の連載というシステムはなりたっているのである。
よってその編集者がAEDを投げ出した時点でそのまま静かに息を引き取ってしまうこともあるのだ。
編集部には他の部員や編集長という存在もいるので、そんな「最近見ないと思ったら家で死んでいた」みたいな終わり方は発生しないだろうと思うかもしれない。
しかし「その仕事にタッチしていたのはその編集者だけ」という、気味の悪い老婆が一人で管理していた呪いの祠みたいな連載だった場合、本当にそれでフェードアウトしてしまったりするのだ。
実際、その媒体と繋がっている糸が担当しかいないというのは珍しいことではない。
新連載の企画中に担当が異動になってしまい「誰か引き継ぐ者はいないかと思いましたが、いませんでした」という理由で立ち消えることもある。
連載中であっても編集の異動は珍しいことではない。普通は別の担当に交代し連載が続くのだが、子どもの独立を機に離婚する夫婦のように、編集の異動と共に終了することもある。