ハクマン 部屋と締切(デッドエンド)と私 第29回

ハクマン 部屋と締切(デッドエンド)と私 第29回

本がいらなくなったら、売るな。
お願いだから、燃やせ。

よって、古本屋で自分のサイン本にたまたま遭遇してしまったというのは不運としか言いようがない、売らないで、と言う気持ちもわかる。

信じて送り出した妻が奴隷オークションで1円スタートしているのを見たようなものだ。わざわざNTRビデオレターを送ってきてくれるなど、まだヌルい。

つまりいらなくなったら「売るな、燃やせ」ということである。
燃やしてしまえば捨てられたものを作家が目にするという悲劇も起こらないのだ。

やはり本の扱いにおいて「燃やす」の右に出るものはいない。
「読む」というのは、肛門で言えば座薬を入れたり体温計を入れたり、その他棒状のものを入れたりするサブ的な使い方に過ぎないのだ。

どうせ売ったところで二束三文なのだから、オール電化の普及で目にすることが少なくなった「火」を見た方がよほど有意義だ。

「買って燃やしてまた買え」というのは一見野蛮に聞こえるが、まず消費拡大、そして誰も傷つかない、さらに火を見られるという、経済的、平和的、文化的行為なのである。

ただし、たき火動画としてyoutubeにアップする時は、燃やすところからはやるな、何の本かわからない状態まで燃えてから配信しろ。

やはり自分の本には愛着がある。売るのも燃やすのも買った者の自由だとわかっていても、己の本が無下に扱われているのを実際見たら悲しいというのが本音である。

しかし、作家はまだマシと言える。
売られているのを見たくなければ、オークションサイトや古本屋に行かなければ良いのだ。さすがに路上に己の単行本が打ち捨てられているということは稀である。

そもそも発行部数が少ないので、売られることも捨てられることも少ないのだ。
母数がデカいドラゴンボールやワンピースの方が何万倍も売られている。部数が少ないことの唯一の利点だ。

さらに人気作家なら自分が表紙を描いた雑誌が駅のベンチや網棚に放置されているところなども頻繁に目にしているだろう。
表紙を描かせてもらえるような作家でなくて本当に良かった。

しかし、広告や包装紙のように捨てられることが前提のものだってクリエイターが作っているのである。

私が通っていたデザイン学校の先生は、自分がデザインしたスーパーのロゴが入ったレジ袋なんかが捨てられていると、拾い上げて抱きしめたくなってしまう、と言っていた。

心を込めたサイン本を売らないでくれというのはまだ理解されるだろうが、レジ袋を捨てるなと言ったらさすがに誰も賛同してくれない。

次記事

前記事

カレー沢薫(かれーざわ・かおる)

漫画家、エッセイスト。漫画『クレムリン』でデビュー。 エッセイ作品に『負ける技術』『ブスの本懐』(太田出版)など多数。

文学的「今日は何の日?」【2/10~2/16】
◎編集者コラム◎ 『浄瑠璃長屋春秋記 照り柿』藤原緋沙子