ハクマン 部屋と締切(デッドエンド)と私 第29回
お願いだから、燃やせ。
先日、自分のサイン本が中古屋で売られているのを発見してしまい、非常にショックだったので、出来ればサイン本は売らないでほしいという漫画家の声が注目を集めた。
賛同する作家もいる一方で、買われた時点でそれは読者のものなのだから、作家がそれを止める権利はない、という意見もあった。
確かに転売目的で欲しくもないのに買って売ろうとしているなら、頭にアイフォンを2台括りつけた八墓村ルックver2020で「売らないでください」と本人の家にお願いに行くところだ。
しかし、ファンとして買って、好きじゃなくなったから売る、というのは漫画以外でもよくあることである。
それを作家が「心を込めて描いたものだから売らないで」と言ってしまったらメンヘラ元カノの手編みセーターみたいになってしまう。
それは心ではなく呪いがこもっている。
誰の家にも床面積の限界がある。
「いらなくなったものを捨てる」という行為を止めたら各地で行政執行レベルのゴミ屋敷が爆誕し税金がもったいない。
そもそも「思い出が詰まっている」「いつか使う」はゴミ製造機の常套句である。
だが作家としての個人的心情を申せば「売ってほしくない」のが本音ではある。
自分のサインが売られているのを見たら、出来れば転売ヤーの仕業であってほしいとさえ思う。
しかし、転売目的で自分のサイン本を買う奴がいるとしたら転売ヤーとしての才能がない以前に生きるセンスがない。
こちらが手を下すまでもなく、放っておけばその内水たまりとかで溺死するだろう。
つまり、売られているサイン本はおそらく読者として買ってくれたものだ、それがいらなくなったから売ったのである。
このように、サインが売られたことより「読者が減った」という事実を目の当たりにする方がキツイ。
売られるのはもう仕方ないとしても、それを目にしたくはない。
よって、わざわざオークションやフリマサイトで己の名前を検索するような自傷行為はしない。
それで入札数どころかウォッチリストゼロで終了している自分のサイン本など見つけたら最悪である。