ハクマン 部屋と締切(デッドエンド)と私 第43回
悪口を言っている漫画家は
3種類に大別できる。
しかし悪口を言っている作家に「編集や出版社は敵じゃないよ!」と言うのは、場合によっては、大富豪の家に生まれた子どもが、ゴッサムシティのゴミ捨て場でネズミに育てられたという子どもに「世界はそんなに悪いもんじゃないよ!」と言うのと同じになるので、注意が必要である。
悪口を言う方にも前世の禍根とか、理由と事情があるのだ。
よって私はこれからも、ツイッターや原稿に担当への殺意を隠さず書いていく所存だが、編集者不要論者というわけではなく、最終的に殺しはするが、それまでは一緒に仕事ができればと思っている。
しかし、連載などが上手くいっていない時、一番怒りの矛先が向かいがちなのが「担当編集」であることは否めない。
打ち切りになった時も読者に向かっては「敗因はこの私」と神妙なツラで田岡茂一のようなことを言っては見せるが、心の内では「担当がもっと宣伝に力をいれてくれれば」みたいなことを考えてしまうのである。
特に今は、編集者が担当作品のアカウントを作って宣伝するというのが普通になってきたため、担当がどれだけ作品を宣伝してくれているかが、可視化されるようになってきたのも原因である。
私も、連載を何本かもっているが、作品によってSNSのアカウントを作る担当もいれば、全く作らない担当、逆に何故か2つも3つもアカウントを作る担当など、かなり個人差がある。
おそらく編集部が「担当作品のアカウントを作りましょう」と号令をかけているわけではないと思われる。つまり担当個人の判断ということだ。
そうなると「同じ雑誌で連載しているのに、あの作品は担当がSNSで宣伝してくれているのに、俺の作品はしてくれねえ」ということが起こるのである。
もちろん、担当がSNSで宣伝することにどれほど効果があるかはわからない。
ただ気分が「モニョ!」とするのだけは確かであり、上手くいかなくなった時に「あの作品は担当がSNSで宣伝企画とかやってるけど、お前はやらねえの? ふーん、そう、もうどうでもいいんですね」という、家で一人で仕事をしている奴特有の被害妄想弾が炸裂するきっかけになってしまうのである。