ハクマン 部屋と締切(デッドエンド)と私 第54回

ハクマン54回バナー書くネタがないので、
最近話題のClubhouseについて
考えてみようと思う。

しかし、ツイッターなら、少なくとも文字の形は誰が打っても同じであり、私が打った文字だけ陰毛状に縮れていたり自動的に創英角ポップ体になるということはない。

しかし「しゃべり」というのは、より本人の癖が出てしまいがちなのだ。

極論を申せば第一声で「口が臭そうな声だな」と思われたら終わりなところがある。

誰だって、自分が愛してやまない推しキャラを描いている奴の笑い方が「オヒョッ!」とかだったら嫌だろう。
例え主張内容に問題がなくても、喋りだと「ワケもなく癇に障る」「普通にキモイ」と思われるリスクが発生してしまう。

さらにClubhouse視聴者が「おもしろいけどそんなことまで言ってしまっていいのか、危ないのではないか」という旨をつぶやいているのを見たことがある。

つまり余計なことを言ってしまうリスクがある。
余計なことなら今でも連日ツイッターでつぶやいているだろうと思うかもしれないが、ツイッターというのは、壁にむかって言った独り言を誰かが聞いているかもしれないというツールである。

さすがの私も、壁に向かって独り言を言っていたらだんだん興が乗ってきた、ということはない、ずっと目は死んでいる。
Clubhouseでもリスナーゼロでしゃべり続けるという自傷行為は可能だと思うが、多くの場合、人間に向かって話すことが前提だと思われる。

相手が人間というだけで、緊張や興奮状態になるに決まっているし、壁のウケは狙おうとは思わないが、人相手だとつい「面白いことを言わなければ」と思ってしまい、とりあえず下ネタや、とっておきの他人の暴露話をしてしまう可能性が高く、興奮状態にあるため、言葉遣いも悪くなっているだろう。

つまり、読者サービスよりも読者を落胆させる確率の方が高く、そうなると「そんな暇あったら漫画を描け」というのもクソリプではなく、本気で相手のことを思っての忠告になってしまう。

このように私にとってClubhouseはあまりにも敷居が高いのでイマイチ踏み込めないのだが、トークが得意な作家はやってみても良いと思うし、そこから作品の人気が出るということもあり得る。

だが、会話が上手い人が何故漫画家になってしまったのだろう、という気もする。

ハクマン第54回イラスト

(つづく)

 
カレー沢薫(かれーざわ・かおる)

漫画家、エッセイスト。漫画『クレムリン』でデビュー。 エッセイ作品に『負ける技術』『ブスの本懐』(太田出版)など多数。

【著者インタビュー】森 功『鬼才 伝説の編集人 齋藤十一』/雑誌ジャーナリズムの礎を築き、大作家からも畏れられた巨人の素顔
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