ハクマン 部屋と締切(デッドエンド)と私 第70回
頭が割れそうになりながら
この原稿を書いている。
しかし、作者が亡くなった後も続けられるほど強固な体制を作れている事務所はやはり稀であり、作者死亡で完結を見られなかった作品は少なくない。
よって、無理を押して描くのが美談とされた時代はもう終わりであり、むしろ体調管理ができない作家や、無理して描かせる編集は三流と言って良い。
ちなみに私は今この原稿を、ワクチンの副反応で頭(ず)が割れそうになりながら書いているところである。皆さまにわかりやすい三流の姿を見せられて喜ばしい限りだ。
別に、副反応を押して書いている俺がカッコいいと思っているわけではない。
全く思ってないのかと言われたら、親指と人差し指でCの字を作って「ちょっとは」と言わざるを得ないがそれだけではない。
もし週刊連載が1本であれば、この日にワクチンを打つからこの週を休みにしてくれなど、予定が立てやすく、応じてもらえなかった場合も殴る担当は1人で済むのだが、私は小さい仕事を何本も抱えており、まずどれを休むか選ばないといけない上、断られるたびに担当を殴る労力を考えると「原稿を書いた方が早い」という結論になってしまうのだ。
担当を殴るのが手間かというと「むしろ金を払ってでも殴りたい」と思っているが、担当は万全の態勢で殴るべきであり、ワクチンで本調子でない時に殴るのは拳の無駄である。
そもそも「この日にワクチンを打つからこの週休ませてくれ」と打診できる作家は相当計画性があるタイプである。
むしろ「副反応を考慮する」という発想があるだけマシであり「副反応は起こらない」という綿密な計画で進めている作家もいると思う。
だが、現在進行形の経験上、副反応は「起こる」と想定して動いた方が良い。
もし両親や祖父母などが「何事もなかった」と言っていても鵜呑みにしてはならない。
後期高齢者はもはや肉体が副反応に気づけないというネクストステージに行ってしまっているだけであり、若輩がその域に達しているとは思わない方がいい。
私も両親や90を過ぎてもはやニュータイプになっている祖母がノーダメなのを見てすっかり油断していた。
しかし、それ以前に私とほぼ同年代の夫がワクチンで見事に倒れたのを見てはいるのだ。
だがそれでも「自分は大丈夫なのでは」という気がしていた。
そもそも「自分には他人にない才能がある」と思ったから漫画家を志したところもある。
結果としては「他の人ができることが何一つできなかった」という理由で現在地にいるのだが、逆に「せめて副反応ぐらい起こらないのでは」という一縷の望みがあったのだが、今回も私は選ばれし者ではなかった。