ハクマン 部屋と締切(デッドエンド)と私 第72回
どの穴に突っ込まれるのか。
乞うご期待である。
よく考えてみれば対面で打ち合わせをする意味など、思い立った時に担当を灰皿で殴れる以外は特にないのである。
むしろお巡りさんの仕事を増やしたり、逆に拘置所のスペースを奪わないためにも作家と担当の打ち合わせはコロナが去ってもリモートのままにした方がいい。
しかしコロナで中止となり特にやる意味がないと判明した会議が「コロナが去ったから」という理由で再開されるという怪現象が今各地で起きているような気がする。
それと同じように「コロナも落ち着いてきたのでそろそろまたお会いしたいですね」と言ってくる担当がちらほら現れはじめているのだ。
だが私はコロナが去ろうが去るまいが東京はもちろん家の外には出たくないのである。
つまりコロナはこれ以上なく使い勝手が良い上に正当性のある、外出や会合を断る理由だったのだ。
それがなくなるというのは、私含むできるだけ外に出たくない人間にとってはある意味コロナ以上の脅威である。
しかし、コロナも「それじゃここで僕はドロンさせていただきますわ」と忍者ポーズをしてから去ってくれるわけではないので、明確に「もう去った」と断言することはできないのだ。
よって「コロナも落ち着いてきたのでそろそろ」と面倒なことが再開しようとした時には「俺のコロナはまだ終わっていない!」というランボーのように慟哭して対抗し、それでもダメなら山に籠ってのゲリラ戦である。
コロナの出現自体は全く良いことはなかったが、生活についてはコロナの影響で改善された部分もあるはずでありそれを元に戻す必要は特にない。
だがおそらく担当だって対面にそこまで意味がないことはわかっているはずだ。
ただ「履歴書は手書きにした方がいい」と同じで、特に意味はないが昔からそうだったからそうしようとしている、もしくはこちら以上に「いざという時灰皿で殴れる」というメリットを重要視しているかである。
漫画家のみならず、コロナが落ち着いてきたことにより、久しぶりに対面で人と会う機会も増えると思う。
その際は着席と同時に、灰皿を気持ちこちらに寄せて置こう。
(つづく)