ハクマン 部屋と締切(デッドエンド)と私 第76回
前澤友作の誕生を
1970年ごろ
予言した漫画がある
だが、国も「頑張れ老人、頑張れ老人、国は限界だ」という少年ボウイ状態な本音を隠してはいるが、実は国民も本音を隠している。
老後じゃなくても働かないでゆっくり過ごしたい、のだ。
漫画家というのは当たればでかいので、大ヒット作を出したことにより、若くして働かなくてもゆっくり過ごせる生活を手に入れる人もいる。
さいとう先生や水島先生は、おそらく割と早い段階でそうなっていたのではないか、と思う。
もう描かなくても食っていけるにもかかわらず漫画家という、職業拷問を受け続けるというのは、やはり「畏敬の念」としか言いようがない。
そもそもそういう死ぬまで描き続けるレジェンド級の作家は、漫画を描くのが苦しいと思ったことすらない、という噂もある。
私のようなレジェンドの伝説の幕開けとして殺されるモブからしてみたら、GIFアニメのように、無限に軽トラに轢かれ続けながら「苦しいと思ったことはない」と言っているようなものなので、つくづく真似できないと思う。
実際、もう描かなくても食っていける状態で漫画を描くか、という問いに対して「描かない」と断言する作家もいるし、描くという人でも「気が向いた時だけ自分の好きなものだけ描く」という人が多く「毎週金曜日、決まった男(編集)が渋い顔でくる」という歌舞伎町の女王生活を死ぬまでやりたいという人は少ない。
またやる気はあっても発注がなければ描けない。
つまり死ぬまで描くことはできても「死ぬまで漫画家」というのは、死ぬまで需要とやる気がなければできないことなのだ。
もし私が、今一生食っていけるだけの金が手に入っても漫画家をやるかと言われてもやらないような気がする。
しかし、それは一生食っていけるだけの金を手に入れてみなければわからない。
検証のためにも、一刻も早い私への一生食っていけるだけの金の投入が急がれる。
(つづく)