【著者インタビュー】森まゆみ『聖子―新宿の文壇BAR「風紋」の女主人』/伝説の文壇バーの店主・林聖子の人生を辿る

檀一雄、井伏鱒二、中上健次‥‥文化人たちが愛した文壇バー「風紋」と、店主・林聖子さんの人生を辿ったノンフィクション『聖子』を上梓した著者にインタビュー!

【SEVEN’S LIBRARY SPECIAL】

「戦後の荒野に一人ぼっちで立った聖子さんの濃い人生に魅了された」

『聖子―新宿の文壇BAR「風紋」の女主人』

亜紀書房 1980円

檀一雄、吉村昭、竹内好、色川武大、中上健次、大島渚‥‥新宿に2018年6月まであったバー「風紋」には綺羅星のごとく文化人が集った。そのバーを切り盛りしていた林聖子さんの人生を辿る。アナーキストとして知られる大杉栄に近い画家・林倭衛を父親に持ち、太宰治に可愛がられ短編小説「メリイクリスマス」のモデルにもなった彼女は戦後、太宰の世話で新潮社で働く。その彼女が「風紋」を開き、現在に至るまでを、本人と関係者に取材したノンフィクション。

森まゆみ

(もり・まゆみ)1954年生まれ。’84年、地域雑誌『谷中・根津・千駄木』を創刊。『鷗外の坂』で芸術選奨文部大臣新人賞、『「青鞜」の冒険』で紫式部文学賞を受賞。そのほか、『谷中スケッチブック』『不思議の町 根津』『彰義隊遺聞』『暗い時代の人々』『谷根千のイロハ』『海恋紀行』『路上のポルトレ』『しごと放浪記』など著書多数。

太宰治の入水場所を突き止め、検死にも立ち会った

 きりっとした美貌の女性が、本のカバーからこちらを見ている。
 林聖子さん、九十三歳。文化人、出版人が夜ごと集まった伝説の文壇バー「風紋ふうもん」の女主人として、六十年近く新宿で店を続けた。太宰治の短篇小説「メリイクリスマス」のモデルでもある。
 画家でアナーキストの林倭衛しずえの長女として生まれ、両親が早くに亡くなったあとは、激動の戦後を一人で生き抜いた。そんな女性の生涯を、聞き書きの名手である森まゆみさんが一冊にまとめた。
「本当はもっと早く本にするつもりでした。『風紋』の客だった評論家で元『中央公論』編集長の粕谷一希さんと、作家の高田宏さん、ふたりに強くすすめられて、二十年ほど前に聖子さんへのインタビューを始め、ある雑誌で連載することも決まりかけてたんですが、頓挫してしまったんです」
 しばらくそのままになっていたが、聖子さんに読んでいただけるうちにと、五年ほど前に取材を再開、雑誌「東京人」に連載した。
「『風紋』に初めて行ったのは、一九九〇年代中ごろで、大逆事件で刑死した管野スガの慰霊祭の帰りだったと思います。アナーキストの友だちと一緒で、最初の出会い方が良かったんでしょうね。それからはいつも行くたび、最後に聖子さんがハグしてくださいました」
 新内節の岡本文弥さんを取材したときは、本にするまで三十七回も話を聞いたと言う。今回ものべ十数回、取材に通った。「風紋」が二〇一八年に店を閉じた後も、聖子さんの家の近所の喫茶店などで話を聞いてきた。
「ご両親を亡くしてからは、本当に一人ぼっちで戦後の荒野に立ってきたわけですけど、柳に風というのか、融通ゆうずう無碍むげなんです。店では、いろんな人が自分の話を聖子さんに聞いてもらってきたけど、聖子さんから聞く彼女自身のお話がとっても面白かった。彼女の息遣いを読者にも感じてほしくて、あえて地の文に落とし込まず、聞き書きを生かして本にしました」
 聖子さんの父・倭衛は、大杉栄を描いた『出獄の日のO氏』などで知られる画家だ。気の向くままに各地を転々とする自由人で、聖子さんが生まれたときはフランスに滞在しており、翌年、聖子さんの弟にあたる男児がフランス人女性との間に生まれている。両親はその後、離婚するが、後妻となった女性の経営する店を、母と聖子さんが手伝っていたこともある。
 父は昭和二十年に急逝、病気がちだった母親も昭和二十三年暮れに亡くなった。母親と三鷹で暮らしていたころ、よく母親を訪ねてきたのが太宰治で、太宰にすすめられて聖子さんは新潮社で働き始める。昭和二十三年、太宰が玉川上水で山崎富栄と心中したとき、入水した場所を突き止め、検死にも立ち会ったのが聖子さんだったそうだ。
 太宰の死と前後して新潮社を辞めた後は筑摩書房に入社するが、二年ほどで退社。哲学者・いでたかしの長男、英利と暮らし始めるが、英利は深夜の鉄道事故で亡くなってしまう。
「事故の後、聖子さんは英利の実家でしばらく暮らしたんですけど、彼の両親から娘のように思ってもらい『うちから嫁に行けばいい』と言われていたそうです。出家の人たちも立派ですが、頼らず一人で生きていこうとした聖子さんもかっこいい。自立心がすごく強いんですね」
 舞台芸術学院に入り、女優として舞台や映画に出演、将来を嘱望されるが、生活のためにバーで働き始める。当時の恋人とも別れ、昭和三十六年、三十三歳のときに、自分の店「風紋」を開いた。
 檀一雄、浦山桐郎、田村隆一ら、「風紋」に来ていた客の顔ぶれが豪華だ。太宰の友人だった筑摩書房の古田晁は、生涯、「風紋」を応援し続けた。
「古くから聖子さんを知るかたにお会いして、たくさん話を聞かせていただきましたけど、みなさん今でも目がハートマークになるんですよね。本当にすてきな女性だったんだな、と思います。声も、姿もいいし、芝居の才能もあったのに、生活のこともあって、役者の道には進まなかったんでしょうね」

私の使命は上の世代の記憶を下の世代につなぐこと

 自分を飾ることのない聖子さんは、「私は俎板まないたの鯉よ」と言って、隠さず何でも話してくれたそうだ。
「とはいえ、プライバシーにかかわることで聞いても書けない話もあって、そこは私が自分の良心と相談しながら塩梅しました」
 父林倭衛の生涯を知るため、森さんはフランスまで取材に出かけ、その足跡を追った。『出獄の日のO氏の肖像』が、二・二六事件の前夜、絵を所有していた当時、警保局長の唐沢俊樹から倭衛のもとに返却されたという。聖子さんの証言から、森さんは「唐沢は事件が起きることを知っていたのでは」と推測する。太宰や田中英光の死についても、聖子さんは歴史の貴重な証言者だと実感する。
 昭和三年生まれの聖子さんは、森さんの母の一つ上になる。
「あの世代の人は女学校に行ったとたん、勤労動員に駆り出されて勉強もできなかったし、戦後の苦労もたいへんなものがあった。私の使命は、上の世代の記憶を、下の世代につなぐことだと思うんです」
 こういう場所があったことを知ってほしい。そんな思いから、森さんは、「風紋」がまだあったときに、若い人たちを何人も連れて行ったそうだ。
「居酒屋やバーみたいな場所がなくなったら、日本の自殺率はもっと高くなってしまうと思う。地域で活動するプレイヤーを育てたいとも思っていて、私自身が『さすらいのママ』になって、いろんな場所で不定期にバーをやってたんです。いよいよ店を借りようと算段してたんだけど、コロナ禍になって、大家さんが『今は素人がやるべき時期じゃない』と言うので残念ながら断念しました。今から私がやってもせいぜい十年、二十年で、聖子さんみたいに長くはやれないですけどね」

SEVEN’S Question SP

Q1 最近読んで面白かった本は?
 金井真紀さんの『酒場學校の日々』。最近、資料しか読んでませんが、その合間に読んだ『イスラム飲酒紀行』(高野秀行著)もイスラム圏で必死にお酒を探すのが面白かった。

Q2 新刊が出たら必ず読む作家は?
 木内昇さん。私の関心のあるところを小説に書かれるので。

Q3 最近見てよかった映画やドラマは?
『コール・ザ・ミッドワイフ ロンドン助産婦物語』。毎回、リアルな出産シーンが出てきて、男の人はびっくりするかも。『ダウントン・アビー』も全部見ています。世界でいま何が問題になっているかを知るために、ドキュメンタリーもよく見ますね。

Q4 最近気になることは?
 眞子さんの結婚についてまったく関心がなかったのに、朝日新聞に頼まれて原稿を書いたんです。妹しか味方のいない孤立無援の眞子さんがかわいそうになってね。すごく反響があったので、遅ればせながら報道を見ています。無事、脱出できてよかったな、と思いますね。

Q5 最近ハマっていることは?
 バーベキュー。庭のある家に住んでる近所の友だちに、「やるときに声かけてね」と言っておくと呼んでくれるんです。あと、ショパン・コンクールを見るのにもハマりました。

Q6 何か運動はしていますか?
 一番困る質問。何もしてないのよね‥‥。最近、電動自転車を買ったので、ずいぶん遠出はしています。昔、カンヅメになったときに貸し出された電動自転車が途中で電池切れして、ひどい目に遭った印象が強すぎたんだけど、このあたりは坂も多いし、もっと早く買うべきでした。昔、雑誌『谷根千』をやっていたときは、ふつうの自転車で八重洲や浅草まで配達に行ってたんだけどね。

●取材・構成/佐久間文子
●撮影/政川慎治

(女性セブン 2021年12.9号より)

初出:P+D MAGAZINE(2022/01/26)

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