滞米こじらせ日記~愛しきダメな隣人たち~ 桐江キミコ 第2話 星に願いを⑤

滞米こじらせ日記~愛しきダメな隣人たち~--02

看病するジュリアを励ます一方、
距離が離れてしまったモニカを思い出す。
第2話、ついに最終回!

 モニカは、実験でちょっとした配合をするかのように、微量であっても全体の色を塗り替えてしまうような微妙かつ大胆な解釈をする。ちょっと前の話だけれど、妹にリーズナブルなテレホンカードを何枚だかあげただけで、彼女の電話料金を立て替えている、とか。妹の旦那は心臓外科医なのに、とんでもないケチなのよ、奥さんの電話代も払わないから。それはちょっと違うでしょう、と思うのだけれど、だから、モニカに何か言うとき、ちょっと引いてしまう自分がいるし、モニカが何か言うとき、やや差し引き勘定して聞いている自分がいる。

 こんなモニカとはことばをまっすぐキャッチボールし合うことができなくて、だんだんずれてきて、そのあげくに、いきなり「じゃ、さよなら」と宣言されるので、いつまでたっても戸惑い続け、いつまでたっても心がしっかり通じ合っているのかどうかわからないまま、浅いような浅くないような、親しいのか親しくないのか、不思議な付き合いをし続けるはめになる。

 やがて、気づいたのだけれど、いつしかジュリアからは、心の中の生の声を聞くようになって、いつしか心が通い合うようになっていて、いつしか、正三角形だったはずの3人の仲が、1辺だけ短い二等辺三角形になっていた。

 わたしがめげていると、自分だって余裕がないだろうに、ジュリアからすぐにメールか電話が来る。

「わたしはここにいるから、日本に来たら、いつでもうちに来て休んでね。何日かうちでゆっくり休んだら、心が休まるかもしれないでしょう」

 あのジュリアが。あの、自己中でいつも引きずり回され、手を焼かされたジュリアが。

 

 ジュリアは、週末は、土曜も日曜も幸太に会いに、せっせと病院に通う。

「わたしが行かなければ、週末はリハビリもないし、ひとりでじいっと天井を見上げるだけで1日を過ごすわけでしょう。社会と触れていて欲しいから、新聞を持っていて読ませて、そして、世の中で起こっていることを話して聞かせるのよ」

「いろんなことがあったのに、彼はまだ生きる意志を失わないのよ、本当にそれは驚くべきことだと思うし、偉いと思う」そうジュリアは言うけれど、幸太が生きる意志を失わないのは、ほかの何でもない、ジュリアのおかげなのだ。病院と火花を散らしながら一生懸命支えてくれているジュリアがいるから、彼には寝たきりの人生を生きる意味があって、生きる意志を失わないでいるのだ。そして、ジュリアが幸太のことを話していると、ジュリアにとっても、幸太を一生懸命心にかけることが、生きることの強い意味になっているように感じる。

 幸太もしくはジュリアの誕生日、ジュリアは、仕事を休んで、幸太と過ごす。ジュリアしかいない幸太と、幸太しかいないジュリアが、ジュリアはつたない日本語を通して、そして、幸太はことばなしに、病室で心をすり寄せ合っているのを思うと、こんな状況になるにはなったけれど、でも、こんな状況にあっても、ジュリアがいる幸太はまだ果報者だといえると思う。「脳細胞が死んでしまった以上、もう回復の余地はない」と知り合いの医者は言ったけれど、いつか幸太に奇跡が起きて、普通にしゃべれて、普通に歩けるようになって、ジュリアと普通の生活が送れるようになれば、と思う。

 

追記

 幸太は、それから、秋を待たないで、3人で川下りしたのと同じ麗らかな春の日に、ロウソクがふっと消えるようにして、息を引き取った。

 

(「星に願いを」おわり)
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桐江キミコ(きりえ・きみこ)

米国ニューヨーク在住。上智大学卒業後、イエール大学・コロンビア大学の各大学院で学ぶ。著書に、小説集『お月さん』(小学館文庫)、エッセイ集『おしりのまつげ』(リトルモア)などがある。現在は、百年前に北米に移民した親戚と出会ったことから、日系人の本を執筆中。

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