【堕落したっていいじゃない】無頼派、坂口安吾の破天荒エピソードとその作品。

無頼派を代表する文豪のひとり、坂口安吾。ゲームや漫画でキャラクター化されたことで注目を集める坂口安吾の、破天荒なエピソードとその作品に迫ります。

太宰治や織田作之助と同じ無頼派(※)として知られている文豪、坂口安吾。昨今では実在する文豪を題材にした作品『文豪ストレイドッグス』、『文豪とアルケミスト』においてキャラクター化されたこともあり、多くの人に知られるようになっています。

レアキャラクターとされている『文豪とアルケミスト』での坂口安吾は、「破天荒で細かいことは気にしない豪快な性格」でありながらも、無頼派の仲間である太宰や織田を気にかけるというギャップに惹かれるファンも少なくありません。

そして史実の坂口安吾もまた、破天荒な人物だったと言われています。今回はそんなにわかに人気を集めている坂口安吾という文豪の、破天荒すぎるエピソードとその作品を紹介します。

※第2次世界大戦終結直後の混乱期に,反俗・反権威・反道徳的言動で時代を象徴することになった一群の作家たちのこと

 

坂口安吾の破天荒過ぎるエピソード。

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1906年10月20日、坂口安吾は新潟県にて生まれます。「丙午」の年に生まれたこと、五男として生まれたことから炳五へいごと名付けられますが、本人としてはあまり良い印象を抱いていませんでした。

坂口家はかつて「坂口家の小判を積み上げれば五頭山の嶺までとどき、阿賀野川の水が尽きても坂口家の富は尽きぬ」と言われたほど、裕福な家系でした。先祖のひとり、八代津右衛門やつしろ つえもんは「花火が好きで、屋敷内に工場を作って冬でも花火を打ち上げた」、「接待で料亭に行くときは大名行列を真似て馬で繰り出した」、「料亭の座敷を田んぼに見立てて豆腐を敷き詰め、大勢の裸の芸者に田植えの真似事をさせた」といった型破りの人物。先祖共々、坂口家にはそんな性格の人物ばかりだったのでしょう。

そんな裕福な坂口家は、衆議院議員だった安吾の父親が政治活動に金銭を費やした結果、没落の一途をたどります。

 

破天荒エピソード1. 子どもの頃からガキ大将。

幼少期の安吾は手がつけられないようなひねくれた子どもであり、ガキ大将として遊びまわっていました。

私は予習も復習も宿題もしたためしがなく、学校から帰ると入口へカバンを投げ入れて夜まで遊びに行く。餓鬼大将で、勉強しないと叱られる子供を無理に呼びだし、この呼びだしに応じないと私に殴られたりするから子供は母親よりも私を怖れて窓からぬけだしてきたりして、私は鼻つまみであった。外の町内の子供と喧嘩をする。すると喧嘩のやり方が私のやることは卑怯至極でとても子供の習慣にない戦法を用いるから、いつも憎まれ、着ている着物は一日で破れ、いつも乞食の子供のような破れた着物をきていた。

『石の思い』より

無理やり呼び出した子どもを殴る、至極卑怯な戦法で喧嘩をするといった、絵に描いたようなガキ大将の安吾でしたが、小学校に入る前から新聞を愛読する賢さも持っていました。そんな安吾に叔父は「こいつはとてつもなく偉くなるか、とんでもない人間になるか、どちらかだ」と言っていますが、これらのエピソードを知るとその評価も納得できるのではないでしょうか。

 

破天荒エピソード2. 近眼を理由に留年。落伍者へ憧れる。

ひどい近眼で、中学へ入った頃には最前列でも黒板の字が見えなかった安吾。眼鏡を買ってもらえず、また「視力が悪くて黒板が見えない」ことをひどく恥じた彼は不登校に。その結果、落第、留年してしまいます。

安吾は試験用紙を白紙で提出する、気の弱い教師に偽造した欠席届を投げつける、学校を抜け出しては百人一首に興じるといったやんちゃな学生でした。ある日、勉強から逃げ回っていたそんな安吾へ、漢文の教師は「授業を抜け出し、悪ふざけばかりしているお前に炳五へいごなんて名前はもったいない。むしろお前は根暗なやつなんだから、暗吾あんごと名乗れ」と雷を落とします。炳五の「炳」という文字には「輝く」、「明らか」という意味がありますが、教師はあまりにも言うことを聞かない安吾に対し積もりに積もった鬱憤を爆発させたのでしょう。一説では、この時、教師が黒板に大きく書いた「暗吾」を1文字変えた「安吾」をペンネームにしたとされています。

この頃、安吾はボードレールやポー、石川啄木の作品を愛読し、「落伍者」(※1)である作者たちに憧れていました。その憧れから、中学から呼び出しを受けた際には机のふたの裏側に「余は偉大なる落伍者となっていつの日か歴史の中によみがへるであらう」と刻むまでに至ります。かつては「大臣だの飛行家になるつもり」だった安吾少年は、いつしか「落伍者になりたい」と考え、世の中を白眼視するように。今で言えば“黒歴史”(※2)を作ってしまった安吾でしたが、鋭い視点から世の中の物事を斬る姿勢はここで培われたのでしょう。

※1:大勢の人が歩むような人生に遅れをとったり、悪い方向へ落ちぶれてしまった人のこと。
※2:無かったことにしたい、あるいは無かったことにされている過去の事象を指す言葉。

 

破天荒エピソード3. 万年床は2年放置。書斎の掃除は基本的にしない。

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写真:林忠彦写真集 日本の作家(小学館)p3より 撮影/林忠彦

安吾はエッセイ『いづこへ』で、「自分がいかに所有欲に乏しい」かを述べています。食器や家具は所有せず、本や衣服は最低限のものにするなど、物を持たないようにつとめていました。

物に執着しないそんな安吾は、書斎の扱いも雑。発疹を防ごうと進駐軍が殺虫剤D・D・Tを散布した際、「引き続きD・D・Tを撒くこと」、「布団はなるべく敷きっぱなしにすること」とアドバイスされた安吾は2年もの間、万年床を放置していました。

さらに安吾は「D・D・Tで死んだ虫はそのままでも風化するから自然の理にかなっている」、「蚊帳を片付けると埃が舞い上がるから2年放置している」、「机の書類の山は片付けると埃が舞うから掃除しない」といった理由から、書斎の掃除を避け続けていました。

そんな散らかり放題の書斎は、写真家の林忠彦が撮影したことで、多くの人に知られます。

 ところが彼は奇襲作戦によって、突如として私の自宅を襲い、物も言わず助手と共に撮影の用意をはじめ、呆気にとられている私に、
「坂口さん、この写真機はね、特別の(何というのだか忘れたが)ヤツで、坂口さん以外の人は、こんな凄いヤツを使いやしないんですよ。今日は特別に、この飛び切りの、とっときの、秘蔵の」
 と、有りがたそうな呪文をブツブツ呟きながら、組み立てゝ、
「さア、坂口さん、書斎へ行きましょう。書斎へ坐って下さい。私は今日は原稿紙に向ってジッと睨んでいるところを撮しに来たんですから」
 彼は、私の書斎が二ヶ年間掃除をしたことのない秘密の部屋だということなどは知らないのである。
 彼はすでに思い決しているのだから、こうなると、私もまったく真珠湾で、ふせぐ手がない。二階へ上る。書斎の唐紙をあけると、さすがの林忠彦先生も、にわかに中には這入られず、唸りをあげてしまった。
 彼は然し、写真の気違いである。彼は書斎を一目見て、これだ! と叫んだ。
「坂口さん、これだ! 今日は日本一の写真をうつす。一目で、カンがあるもんですよ。ちょッと下へ行って下さい。支度ができたら呼びに行きますから」
 と、にわかに勇み立って、自分のアトリエみたいに心得て、私を追いだしてしまった。写真機のすえつけを終り、照明の用意を完了して、私をよびにきて、三枚うつした。右、正面、その正面が、小説新潮の写真である。

『机と布団と女』より

写真を嫌っていた安吾は、林に「酔っ払って意識がない時なら撮影しても構わない」と約束していました。しかし、林の突如家にやってくる強硬手段になす術もなかった安吾は散らかった書斎を見られ、撮影される羽目になってしまったのでした。

大雑把なあまり、2年ほど掃除していなかった安吾の書斎は、林忠彦の行動がなければ私たちの目に触れることはなかったのかもしれません。

 

破天荒エピソード4. 特に理由もなく、カレー100人前を人の家に届けさせる。

世の中に鋭く斬りこむ評論のほか、推理小説『明治開化 安吾捕物帖』で流行作家となった安吾でしたが、浪費癖が災いし、家財や原稿料を差し押さえられてしまいます。

同じ頃、安吾は伊東競輪場でギャンブルを始めますが、レースの着順が不正であると告訴。この「伊東競輪不正告訴事件」は結果として不起訴となり、安吾はほとぼりが冷めるまで妻とともにあらゆる場所に居候します。

その居候先のひとつに、檀一雄の自宅もありました。安吾は檀一雄の家に身を寄せていた頃、突如として妻の三千代にライスカレーを100人前注文するように命じます。

「おい、三千代、ライスカレーを百人前……」
「百人前とるんですか?」
「百人前といったら、百人前」
 云い出したら金輪際後にひかぬから、そのライスカレーの皿が、芝生の上に次ぎ次ぎと十人前、二十人前と並べられていって、
「あーあ、あーあ」
 仰天した次郎が、安吾とライスカレーを指さしながら、あやしい嘆声をあげていたことを、今見るようにはっきりと覚えている。

檀一雄『小説 坂口安吾』より

三千代夫人は近くの蕎麦屋でライスカレー100人前を注文していますが、最終的に来たのは20人から30人前ほど。安吾は次々と運ばれてくるカレーを、檀家の庭の芝生にあぐらをかいて食べていたそうです。

安吾はこの時の理由を特に語らなかったとされていますが、人の家に居候している身でありながら、カレーを100人前頼もうとする安吾とはまさに破天荒な人物だといえるでしょう。

 

評論から推理小説まで。時代の寵児となった作家、坂口安吾の作品。

安吾は中学卒業後、代用教員(戦前の小学校等に存在していた、教員資格を持たない教員)として働く傍ら、芥川龍之介や佐藤春夫、正宗白鳥をはじめとする文学作品を愛読するようになります。そして以前から仏教に興味を持った安吾は代用教員を辞める決断をし、東洋大学へ入学。インド哲学を専攻し、仏教研究へ没頭することとなるのでした。

ある日、大学の正門前で電車から降りた安吾は、自動車に撥ねられて頭蓋骨に亀裂が入るほどの大怪我を負います。

相当に運動神経が発達してゐるから、二三間空中に舞ひあがり途中一回転のもんどりを打つて落下したが、それでも左頭部をコンクリートへ叩きつけた。

『天才になりそこなった男の話』より

事故後は「このまま廃人になるんじゃないか」という恐怖を拭いきれず、被害妄想に苦しめられますが、哲学書を読んだり、語学を学習することで克服していました。

やがて仲間たちと同人誌『言葉』(のちに『青い馬』と改題して新創刊)を創刊した安吾は、次々と作品を発表。故郷の新潟県を舞台にした『黒谷村』は牧野信一から絶賛を受け、文壇で脚光をあびるようになります。

戦後は代表作『堕落論』をきっかけに時代の寵児とされた坂口安吾。どんな作品を残しているのか見てみましょう。

 

坂口安吾の見た太宰治とは?/『不良少年とキリスト』

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安吾は無頼派の太宰の文章を「なんと文章の上手い人だろう」と愛読していました。「無頼派三羽烏」と呼ばれた安吾、太宰、織田は酒を飲みながら古今東西の作家を批評する座談会を行っていることからも、その親しさはうかがえます。

安吾は1948年に太宰が玉川上水で入水自殺をした後、追悼文『不良少年とキリスト』を発表します。安吾が歯痛に苦しむ場面を導入に、安吾の元を訪れた檀一雄と太宰の死について話すこの作品では、太宰へのやりきれない思いが綴られています。

太宰は、M・C、マイ・コメジアン、を自称しながら、どうしても、コメジアンになりきることが、できなかった。
 晩年のものでは、――どうも、いけない。彼は「晩年」という小説を書いてるもんで、こんぐらかって、いけないよ。その死に近きころの作品に於ては(舌がまわらんネ)「斜陽」が最もすぐれている。然し十年前の「魚服記」(これぞ晩年の中にあり)は、すばらしいじゃないか。これぞ、M・Cの作品です。「斜陽」も、ほゞ、M・Cだけれども、どうしてもM・Cになりきれなかったんだね。
「父」だの「桜桃」だの、苦しいよ。あれを人に見せちゃア、いけないんだ。あれはフツカヨイの中にだけあり、フツカヨイの中で処理してしまわなければいけない性質のものだ。
 フツカヨイの、もしくは、フツカヨイ的の、自責や追悔の苦しさ、切なさを、文学の問題にしてもいけないし、人生の問題にしてもいけない。
 死に近きころの太宰は、フツカヨイ的でありすぎた。毎日がいくらフツカヨイであるにしても、文学がフツカヨイじゃ、いけない。舞台にあがったM・Cにフツカヨイは許されないのだよ。覚醒剤をのみすぎ、心臓がバクハツしても、舞台の上のフツカヨイはくいとめなければいけない。
 芥川は、ともかく、舞台の上で死んだ。死ぬ時も、ちょッと、役者だった。太宰は、十三の数をひねくったり、人間失格、グッドバイと時間をかけて筋をたて、筋書き通りにやりながら、結局、舞台の上ではなく、フツカヨイ的に死んでしまった。

『不良少年とキリスト』より

太宰の死を早い段階で知っていた安吾は、新聞や雑誌記者から太宰のことで直撃されることを予見し、「太宰のことは当分語りたくない」という旨の手紙を残して行方をくらまします。しかしこの行動は「太宰の自殺は狂言で、安吾がかくまっているに違いない」といった誤解を生んでしまいます。その誤解に安吾は憤慨するものの、「カンチガイが本当であったら、大いに、よかった」と述べています。太宰について根掘り葉掘り聞かれるのを避けようとしたのは、安吾にとって太宰が盟友だったからに他なりません。

一時の興奮も、夜が明ければすっと我に返るもの。それを安吾は「フツカヨイ」と表現していますが、太宰は「フツカヨイ」を文学にしてしまったが故に死んでしまったと分析しています。それさえなければまっとうな人間のはずが、調子に乗るとフツカヨイ的になってしまう「不良少年」、太宰は、どんな人物だったのか、そして作品から見えてくる魅力はどこにあるのか。安吾の目線から描かれる太宰評は必見です。

 

安吾から読者への挑戦状!/『不連続殺人事件』

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「日本で発行されたほぼ全部の探偵小説を読んだ」と自称するほど、少年時代から探偵小説を愛してやまなかった安吾。娯楽が少なかった戦争中は友人と探偵小説の犯人を当てっこする遊びをしていました。

その遊びではあまり正解率は高くなかったものの、「構想はあるがなかなか書く機会がない。いつか書いたら私から読者へ賞品を賭ける」と豪語していた安吾は1947年8月に雑誌『日本小説』で推理小説『不連続殺人事件』を連載します。安吾は「犯人を当てた読者に、原稿料を差し上げます」と読者に挑戦状を叩きつけ、時にはあの江戸川乱歩を指名して挑戦させました。結果として乱歩は犯人当てに成功しませんでしたが、高い完成度から「探偵作家クラブ賞」(現:日本推理作家協会賞)を与えます。

『不連続殺人事件』は「作家本人から読者へ勝負を挑む」という前代未聞の作品ですが、ストーリーそのものは正統派ミステリーです。

戦後、財閥の歌川家の屋敷に招待されたさまざまな登場人物たち。しかし、その招待状は後に偽物であったことが発覚します。やがて殺人事件が次々と起こりますが、どれも動機に一貫性がなく、犯人の予想もつきません。

「ねえ、博士、このいくつかの事件は、犯人が別なんじゃないかな。歌川家の家族に関する事件と、千草さんや王仁や内海は、犯人が違っているんじゃないのか。時間的には連続していても、動機も犯人も別な事件が入りまじっていて、結局は不連続殺人事件じゃないのか」
「そうですね。この事件の性格は不連続殺人事件というべきかも知れません。私がこれを後世に記録して残すときには、不連続殺人事件と名づけるかも知れません。なぜなら、犯人自身がそこを狙っているからですよ。つまり、どの事件が犯人の意図であるか、それをゴマカスことに主点が置かれているからでさ。なぜなら、犯人は真実の動機を見出されることが怖しいのですよ。動機が分ることによって、犯人が分るからです」

『不連続殺人事件』より

ミステリー小説といえば、「犯人がどのように殺人を行ったのか」に重点が置かれ、さらにそれが奇想天外なトリックであればあるほど面白がられるもの。しかし『不連続殺人事件』はトリックではなく、犯人の心理に注目した作品です。

なぜ、あえて動機を見せようとしないのか。そこがわかれば犯人も自然にわかると述べる探偵の意図とはどのようなものなのか。推理作家ではない坂口安吾が、推理小説の大御所江戸川乱歩に挑戦した『不連続殺人事件』。あなたも安吾の挑戦に挑んでみてはいかがでしょうか。

 

教員、安吾の教育論/『風と光と二十の私と』

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安吾が代用教員として働いていた頃を振り返った自伝的小説『風と「光と二十の私と』。父が死んで借金を抱え、周囲の勧めから小学校の代用教員となった“私”が配属された分校には、本校で手に負えないような生徒たちが通っていました。“私”が担当したのは教室で喧嘩ばかりする、軍歌を歌う兵隊が外を通れば授業中でも窓から飛び出して見学に行くような問題児でしたが、同時に「本当に可愛い子供は悪い子供の中にいる。」ことを知ります。

“私”は自分も勉強が大嫌いだったため、彼らに勉強を強いることはしませんでした。たとえ文字が書けなかったとしても、生徒の本質を見て接していたのです。

そんな“私”はある日、生徒が同級生をそそのかして万引きをさせたことを知ります。そそのかされた生徒に、“私”は深い事情を聞かずに、そっと代金を立て替えててやるのでした。

同級生に万引きをそそのかした生徒は、叱られる気配を察すると急にまめまめしく働き出す性格の持ち主でした。“私”はそんな生徒を内心でおかしく思いながらも、注意をします。

私が彼の方へ歩いて行くと、彼はにわかに後じさりして、
「先生、叱っちゃ、いや」
 彼は真剣に耳を押えて目をとじてしまった。
「ああ、叱らない」
「かんべんしてくれる」
「かんべんしてやる。これからは人をそそのかして物を盗ませたりしちゃいけないよ。どうしても悪いことをせずにいられなかったら、人を使わずに、自分一人でやれ。善いことも悪いことも自分一人でやるんだ」

『風と光と二十の私と』より

“私”は、生徒のことを一生懸命に思う熱血教師ではありません。しかし、どんなに手がつけられない生徒でも真正面から向き合い、生徒のために尽力できる教師です。

そんな『風と光と二十の私と』はわずか1年という短い期間でありながらも、教師として満ち足りた日々を送っていた安吾の素顔が覗ける作品です。

 

豪快で破天荒な文豪、坂口安吾。

幼少期から破天荒なエピソードに事欠かなかった文豪、坂口安吾。作家になってからは盟友にあてた追悼文、古くから愛してやまない推理小説、教師時代の心温まるエピソードとその作風はさまざまです。

そんな安吾の作品を読めば、破天荒だけではない安吾の新たな一面が見えてくることでしょう。あなたもぜひ、そんな安吾の素顔を、作品を通じて感じてみてはいかがでしょうか。

初出:P+D MAGAZINE(2017/12/28)

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