スピリチュアル探偵 第1回
かつて月刊誌の占いコーナーを担当した罪滅ぼしに、
全国の霊能者を訪ね歩く新連載!
いつの世も、占いは老若男女を問わず人の関心を引き寄せ、夢中にさせる魔力を秘めています。血液型占いや星座占いなどはその筆頭と言っていいでしょう。
しかし、昔からこうした占いの類いに、どうにも興味が持てずにいるワタクシ。周囲が血液型占いで盛り上がっているのを横目に、「だったらゴリラはみんな同じ性格なのか!?」(※ゴリラはすべてB型)とか、「事故に気をつけなければならないのは当たり前だろ!」などと、内心で毒づくこともしばしばです。
それにしてもなぜ、人はこれほどまでに占いにハマるのでしょうか? 以前に取材したある医師などは、「科学的に見て、血液型に性格を左右する因子なんてありませんよ」と言いながら、「もっとも、医局でも医師や看護師が夢中になって雑誌の占いコーナーをチェックしてますけどね」と笑っていたのを思い出します。
僕がこうして占いを毛嫌いするようになったのには、実は明確な理由が存在しています。それはライターとして駆け出しの頃、僕は某月刊誌の占いコーナーの"ゴーストライター"をやっていたことがあるのです。
それなりに著名な占い師の名を冠した星座占いのコーナーでしたが、その先生と顔を合わせる機会は一度もなく、毎月何らかのデータが送られてくるわけでもありません。つまりは完全なる創作を求められる仕事で、12星座それぞれに、「ささやかないいことがありそう」だの、「油断すると風邪をひきやすいので注意」だの、誰にでも当てはまりそうな戯言を並べるのが僕の役割でした。
その月のラッキーアイテムのネタに困ると、自室をざっと見回しては「乙女座は時計でいいや」「魚座はブックカバーでいこう」といった調子で、何でもいいのでとにかく12個のアイテムを埋めていく。これを見て全国の読者が一喜一憂していたかと思うと申し訳ない気持ちで一杯になりますが、そういうおおらかな時代だったのです(20年前のことなので、時効ということで何卒……)。
自称・霊能者に片っ端から会いに行った結果
誤解しないでいただきたいのですが、占星術にせよ四柱推命にせよ、確かな理論やデータに基づいた占いはたくさん存在しています。決して僕が書いていたようないい加減な占いばかりでないことは、長くメディアに携わる身としてよく理解しています。
それでも、ごく一部でも僕のような輩が書き散らかしたものが存在するとなれば、読み手の側に真贋を判断する術はありません。当たるも八卦……は占いの大前提ながら、そもそもの根底から疑ってかからねばならないとなると話は別です。
ならばいっそ、占いではなく「私には不思議な力があります」と言ってくれたほうが、よほどスッキリする。いつしかそう考えるようになった僕は、気がつけば「占い師」ではなく「霊能者」と名乗る人物を、片っ端から巡るようになりました。これが僕の「霊能者ミシュラン」の始まりです。
霊能者ミシュランとは、世の中に数多いる自称・霊能力者たちと対面し、身を以てその能力を見極めようという取り組みのこと。道場破りのイメージに近いかもしれません。
もともと大のオカルト好きであることも手伝って、東に霊視能力を持つ先生がいると聞けばすぐさま駆けつけ、西に自分の前世を教えてくれる先生がいると聞けば飛びつくことを繰り返し、はや15年。せめて10人に1人でも三ツ星級の本物がいれば儲けものという思いで活動を続け、気がつけば対峙した霊能者の数は3桁を優に超えました。
結論から言えば、大多数がインチキ(あえてこう言い切ります)でありながらも、"いい線いってる人"や「なんでそんなことがわかるの!?」と慄くレベルの先生にも、ちゃんと出会うことができました。
本稿はひたすら霊能者たちと対峙してきた僕の体験を皆さんと共有することで、インチキの手口を周知させたり、まだ見ぬ世界への興味を喚起したりすることを目的としています。さっそく具体事例を見ていきましょう。
友清 哲(ともきよ・さとし)
1974年、神奈川県生まれ。フリーライター。近年はルポルタージュを中心に著述を展開中。主な著書に『この場所だけが知っている 消えた日本史の謎』(光文社知恵の森文庫)、『一度は行きたい戦争遺跡』(PHP文庫)、『物語で知る日本酒と酒蔵』『日本クラフトビール紀行』(ともにイースト新書Q)、『作家になる技術』(扶桑社文庫)ほか。