辻堂ゆめ「辻堂ホームズ子育て事件簿」第17回「ありがとう『ねんトレ』」
寝かしつける欧米式の「ねんトレ」。
本当に良いのだろうか?
その価値観のあまりの違いに衝撃を受けた。トレーニング中に中途半端に親が介入し続けた結果、ひとりで寝られるようになる時期が先延ばしになってしまうことを「かわいそう」と考える人たちも、世界にはいるのだ。乳児との添い寝はむしろ危険、ととらえる欧米人の意見も目にした。もしかすると、抱っこでの寝かしつけや添い寝を幼児期までし続けるという日本の育児方法は、科学や発達心理学の裏付けがあるものではなく、〝子どもをひとりきりにする環境を作りづらい〟というこの国特有の住宅事情によるものだったのではないか。だって、よくよく考えてみれば、生まれた直後から母子別室が基本で「ねんトレ」を当たり前のようにする欧米の国で、子どもが親と愛着関係を築けていないとか、サイレントベビーが多く発達に影響が出ているとかいう話は聞いたことがない──。
だから大丈夫。とりあえず、やってみよう。
そう自分の中で結論づけ、「ねんトレ」に踏み切った。祖母や母から代々受け継いできた育児方法を脱却するのには、少し勇気が要った。泣いている子どもの声に、最初は罪悪感も覚えた。でも今では、自分の選択は間違っていなかったと思っている。
この夏で2歳半になる娘は、むしろ寝る前のひとりの時間を大切にしている。親を「バイバイ~」と寝室から追い出し、なぜか棚からタオルや上着を引っ張り出してきて部屋中に敷き詰め、その上で時にはでんぐり返しをしたり、最近覚えた単語を何度も繰り返して言葉の練習をしたりしてから、そのタオルや毛布の上で眠りにつくのだ(敷布団も使ってよ!)。生後7か月の息子などは、新生児のときから私たち親がなんとなく「ねんトレ」を意識していたために、最初からベビーベッドで〝セルフねんね〟することに慣れてしまい、眠くなってぐずりだしたタイミングでベビーベッドに置くと、安心したようにゴロゴロして5分と経たずに寝落ちしてしまう(抱っこしたままだと却って怒るくらいだ)。夫や私の実家に泊まりにいったときも、ふたりともいつもどおりに、真っ暗な部屋で勝手に寝てくれる。
もちろんサンプル数は2人だけなので、子どもによって「ねんトレ」が上手くいくかどうかの差はあるのだろう。別に私は「ねんトレ」の回し者(?)ではないし、何なら今でも娘の昼寝には添い寝を取り入れたりしている(娘にとっての《いつものおやすみ環境》は暗い場所である必要があったため、シェード付きのベビーラックから布団への移行が上手くいかなかったのだ。昼寝の回数はもう1日1回あるかどうかだから添い寝でもいいか、と割り切って、昼寝の再トレーニングはしていない)。ただ、少なくとも我が家では、親の私は夜の寝かしつけにかかる時間を節約して仕事に充てることができ、体力的/精神的負担を限りなく排除した状態で、子どもたちと常に明るく接することができるようになった。朝、ベビーモニター越しに子どもたちが起きた声を聞いてカーテンを開けにいくと、子どもたちがニコニコして歓迎してくれる。今のところ、特に問題は感じていない。
育児って難しい。そして工夫しがいがある。常識だと信じていたことが、実は他のやり方でもよかったり、時代とともに敬遠されるようになったりする(かつて母親が食べ物を口に含んで柔らかくしてから赤ちゃんにあげていたのが、虫歯菌が移るという理由で今は推奨されていない、とか)。正解が一つとは限らない。文化や伝統も色濃く影響する。常に自分の価値観をアップデートするとともに、身の回りの人が実践しているさまざまな子育て方法への理解も忘れないようにしよう──と、「ねんトレ」の一件を通じて、改めて思った。
まあ、たまには川の字になって眠って、寝相の悪い子どもの渾身のキックを食らうのも、後から振り返るといい思い出になるのかもしれないなと、そんなことをふと考えたりもするけれど。
(つづく)
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「辻堂ホームズ子育て事件簿」アーカイヴ
1992年神奈川県生まれ。東京大学卒。第13回「このミステリーがすごい!」大賞優秀賞を受賞し『いなくなった私へ』でデビュー。2021年『十の輪をくぐる』で第42回吉川英治文学新人賞候補、2022年『トリカゴ』で第24回大藪春彦賞を受賞した。他の著作に『コーイチは、高く飛んだ』『悪女の品格』『僕と彼女の左手』『卒業タイムリミット』『あの日の交換日記』など多数。最新刊は『二重らせんのスイッチ』。