『美少女戦士セーラームーン』30周年! 文豪・天才も書いた「戦う少女」小説ベスト3
2022年7月1日から東京・六本木ミュージアムにて、連載30周年を記念した大展覧会『美少女戦士セーラームーンミュージアム』が好評開催中です。1992年、雑誌「なかよし」で連載と同時にアニメもスタート。またたく間に世代・性別を超えた爆発的なブームが巻き起こりました。現在では、2022年本屋大賞を受賞した『同志少女よ、敵を撃て』など、小説分野でも「戦う少女」はポピュラーなものになっています。今回は意外な文豪、夭折の天才も著した「戦う少女」小説に触れてみましょう。
川端康成『浅草紅団・浅草祭』(講談社文芸文庫)
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『美少女戦士セーラームーン』は、男の子のものだった「戦隊モノ」を女子にも届けたいという製作者の狙いからスタートした企画だといいます。「優しく・可愛く・たくましく」という3つの要素を巧みにキャラクター化し、性差を超えた共感を呼びました。
実はこのコンセプト、小説では戦前から試みられていて、ノーベル文学賞を受賞した川端康成が、その先鞭をつけています。川端康成というと、『伊豆の踊子』『雪国』といった名作のイメージが強いですが、昭和初期の若い頃はモダンボーイ・モダンガールという、当時では最先端の小説を書く人物として知られていました。今で言えば、「なろう小説」(投稿型小説サイト「小説家になろう」に掲載された作品の総称)で名を馳せる立場だったというところでしょうか。
そんな最先端作家、川端康成が目をつけたのが東京・浅草です。浅草は1920年代末から30年代にかけて東京の流行の中心の街でした。関東大震災で江戸情緒が消えた街でしたが、復興と同時に歌と踊りと演劇、演芸、映画がここで花開きました。自然と若い子もあちこちから集まり、現在の渋谷、新宿、六本木を超える活気に満ちた空間が現れたのです。川端が描く浅草をちょっと眺めてみましょう。
「浅草は、東京の心臓……。」
「浅草は、人間の市場……。」
まるで浅草懐古の記念物のように、公園第四区に取り残された昆虫館と水族館 ── その水族館の魚が泳ぐ前を通り、竜宮城の模型の横から、カジノ・フォウリイの踊子達が、楽屋入りをするようになったのだ。パリイ帰りの藤田嗣治画伯が、パリジェンヌのユキ子夫人を連れて、そのレヴュウを見物に来るのだ。
「和洋ジャズ合奏レヴュウ」という乱調子な見世物が、一九二九年型の浅草だとすると、束京にただ一つ舶来「モダアン」のレヴュウ専門に旗挙げしたカジノ・フォウリイは、地下鉄食堂の尖塔と共に、一九三〇年型の浅草かもしれない。
エロチシズムと、ナンセンスと、スピイドと、時事漫画風なユウモアと、ジャズーソングと。女の足と ── 。〉
昆虫館と水族館という今でも人気の施設に加え、最新音楽のジャズに合わせてダンスショーも観られる場所がある。そこに当時のパリピでセレブのアーティスト藤田夫妻がやってくる。浅草は日本一の観光スポットだったんですね。また、この『浅草紅団』の語り手は「私=川端であろう作家」です。その彼が尖ったスタイルの少女・弓子と出会い、きらびやかな浅草の裏にあるアンダーグラウンドな世界をさまよう展開になります。このヒロインともいえる弓子の描き方が、当時の最先端を示し、『東京朝日新聞』での連載中(1929年12月から30年2月)は話題になりました。流行のショートボブに髪をカットした弓子は紅団という、ストリート・パフォーマーの一員です。出逢ったばかりの主人公に「私は美しいにきまってるわ。美しいからこそ、浅草が御飯を食べさせてくれるのだわ」と言えるほどの美貌の持ち主。川端の描写を見てみましょう。
短い毛が乱れて、彼女の額を幼く見せている。睫毛と唇が浮き立って、一つ一つの生きもののようだ。真っ赤なスカアトは膝より上だ。靴下がない。その素足をぴったり組み合わせて、桃色の貝細工のような足の裏を上向けに投げ出している。
弓子が瞼を落とした――とだけでは感じが出ない。彼女の瞬きは音が聞えそうに素早いが、それでいて睫の動くのがはっきりと見える。眼の開きが大きいからだ。睫が濃いからだ。白膜が青みを帯びているからだ。
この美少女が参加している紅団はストリートでダンスをしたり、芝居を演じたりはしているものの、盗みや売春も行う少年少女の不良集団です。弓子は姉が大恋愛の末に廃人同然になってしまったので、「女にはならない」と決め、姉を不幸にした男を見つけ次第に毒殺しようと狙っています。彼らのほか、「浅草紫団」「黒帯団」などのグループも存在します。現在のエンタメ小説なら、各グループが争ったりするストーリー展開が予想されます。しかし、そこは耽美世界に惹かれる文豪川端です、エンタメ要素に流されず、主人公が弓子を浅草の街で見失ったかと思うと、神出鬼没に現れては驚かしていくという展開に。弓子は姉の敵を見つけ、キスされようとした際に口移しに毒を含ませようと試みます。が、結果は成功したのかどうか、小説では明かされないまま、弓子は主人公の前から消えてしまうのです。
いったい弓子の正体は何なのか? 読者の興味は宙ぶらりんで物語は曖昧になるのです。このあたりは、当時流行していたシュルレアリスムの影響を川端が受けていることが考えられます。また、最後まで弓子が謎の女であり続けるのは、やはり人気だったルイ・フイヤード監督のシュールなサイレント映画『レ・ヴァンピール吸血ギャング団』のヒロイン、イルマ・ヴェップへのオマージュが濃厚だと推論されてもいます(佐藤忠男『世界映画史』『映画史研究1977年12月』)。正体不明、神出鬼没の女盗賊イルマを演じたミュジドラは世界的に大人気になり、ヴァンプやファム・ファタールの代名詞になりました。今なら、レディー・ガガ的なブレイクです(ガガもイルマ・ヴェップ=ミュジドラの大ファンだといいます)。そう考えると、川端康成は世界を虜にしたヒロイン像を小説でリメイクし、物語よりも最先端の少女を日本文学に刻印したかったのではないかと考えられます。現代まで続くヒロインの要素を作ったイルマ・ヴェップ、恐るべしなのです。
武田泰淳『十三妹(シイサンメイ)』(中公文庫)
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戦う少女が主人公の痛快小説の古典といえば、中国の武侠小説『児女英雄伝』から材をとった『十三妹』に尽きると言われています(『新日本文学』1954年3月)。1965年の朝日新聞で「中国忍者伝」という副題つきで連載されて話題になった作品です。作家の田中芳樹(『銀河英雄伝説』『アルスラーン戦記』)も虜にした、この小説の面白さはどこにあるのでしょうか?
高級官僚を目指す平凡な青年、安公子の第二夫人である十三妹。普段はしとやかな少女であるけれど、彼女の特技は人殺しです。別名、何玉鳳(ラノベ『ランス・アンド・マスクス』の元ネタです)といい、山賊からも尊敬される大豪傑なのでした。屋敷に忍び込んだ賊を片付けるさまはカッコイイの一言です。
とにかく彼(筆者注:盗賊)は、白い蝶のようなものが、ひらひらと目の前にあらわれて、消えるのを見た。また、小鼠が瓦の波の上を、すばやく走り去るような、かそけき音をきいた。少しの殺気も感じさせない、やわらかで白い色と、小さな小さな音が、彼のまわりにおぼろげに発生したわけであるが、彼にはそれが「敵」の気配だとは察するすべもなかった。
この間、十三妹は忍び込んだ賊のうち、一人は投げた煉瓦で屋根から墜落させ、もう一人は腕をねじりあげて関節を折って人事不省に追い込んでいるのです。賊のうち逆襲に出た一人の首を、日本刀ではねた後は、もとのしとやかな少女に戻ります。夫や家族は褒めていいやら、逆に怖いやら。
そんな夫が家族のために大金を持って旅立つわけですが、彼を付け狙うのが白玉堂という美貌の盗賊です。十三妹と白玉堂は生い立ち、性格まで似通った同士ですが、十三妹は腕っぷしの弱い安公子を愛していますし、その出世を応援したいのです。微妙な三角関係のまま、物語は金を届ける旅路から十三妹が嫁いだ安家存亡の話まで進みます。彼女は似た者同士の白玉を選ぶのか、はたまた夫への愛を貫くのか。殺しが何より得意な若奥様の選択は? 武田泰淳の筆は講談師・神田伯山の名調子のように畳み掛けてくれます。
中国史や文学に詳しくなくても、読みやすく、とにかく十三妹、白玉堂以外の第一夫人・張金鳳から脇役の金満までキャラクター小説として楽しい作品です。続編がありそうな結末ですが、残念ながら泰淳は書くことなく世を去りました。
伊藤計劃「ハーモニー」(ハヤカワ文庫)
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『虐殺器官』で衝撃のデビューをし、34歳で世を去った伊藤計劃。彼のディストピアものの第二長編が『ハーモニー』です。21世紀のはじめに「大災禍」を地球規模に経験した後の世界、ハイパーテクノロジーによって高度な福祉厚生社会が実現している時代が舞台になっています。誰もが病気で死ぬことがない世界です。
どこまでも親切で、どこまでも他者を思いやって、挙句の果てにこのわたしにすら思いやりを持て親切であれと急きたてるこのセカイ。そんな時代と空間に参加させられるのはまっぴらだった。
そう感じていた主人公
人間っていうのは、欲望と意志のあいだで針を極端に振ることしかできない、できそこないのメーターなんだよ。ほどほどができない。鳩にだって意志はあるもの。意志なんて、単に脊髄動物が実装しやすい形質だったから、いまだに脳みそに居座っているだけよ。
ミァハの人間理解はトァンらの感性を揺るがすものでした。大人になるとwatch meというデバイスで健康面も含めたプライバシーを管理されるので、その前にタブーを犯そうというのです。しかし、キアンの密告で自殺計画は失敗し、ミァハだけが死んでしまいます。「優しすぎる、負の感覚を抑圧した世界」に反抗しようとした少女の「戦い」は、こうして幕を開けるのです。
13年後、トァンは世界保健機関の一部、螺旋監察事務局で働いています。ここは若かった彼女が嫌っていた「優しすぎる福祉厚生」を統制する国際機関です。勤めていながらも、やはり彼女は強い違和感をもっています。しかし、プロとして職務を遂行する彼女の前に、旧友キアンとの再会が待っていました。過去の自殺計画に及んだと思うと、キアンはテーブルナイフで首を突き、自死してしまうのです。
驚くべき意志の力を動員して、突き刺したテーブルナイフを喉のなかで横に捻り倒すと、ぐい、と引っ張って頸動脈もろとも一気に外側へ切り裂いた。
ほどなくトァンはキアンと同時に6582人が自ら死を試みたことを知るのでした。自死というテロ行為を行った人々に関し、デバイスによる分析が可能なのですが、死を前に冷静に対処している記述が戦慄すべき世界観を代表してもいます。伊藤による筒井康隆の黒いユーモアのエッセンスを感じます。
d:おや、このペンは頸動脈に突き立てるのに丁度よさそうだ
d:やや、このチェーンソーは首を刎ねるのにうってつけじゃないかね
d:ほう、この箸で目を突けば脳まで届くかな
d:ふむ、首を吊るにはぴったりの縄じゃないか
(引用注:d:は作中の記録装置に保管されているのでダイアログのd:と表記される)
これらの行為に対し、世界機関は「急迫不正の、生命社会に対するテロ攻撃だ」と非難します。そしてトァンは事件を追うことになるのです。
全体的に活劇調で「戦う少女」を描くのではなく、活劇的なアクションすら禁じられた世界で「思考」で「戦う」女性が中心軸にある小説と言えます。「人間存在」をエコー的に登場人物が問いかけることで物語が進んでいきます。大量自死事件の裏に死んだはずのミァハを感じ、トァンの父が世界の管理化に大きな役割を持っていた事実を知るにいたるのです。
これが人類意識最後の日。
これが全世界数十億人の「わたし」が消滅した日。
本テクストは、それについて当事者であった人間の主観で綴られた物語だ。
と、集約されていく小説『ハーモニー』。ホラー的な要素と科学ミステリも混じり、なおかつハードボイルドタッチな語りが魅力です。トァン、ミァハの語り、思考のカッコよさはアニメなどでは味わえない、小説ならではの醍醐味があります。そして、誰が、どうして、どうやって「幸せ」に辿り着くのか、という「謎」の答えはぜひ、実際に読んで堪能してください。
『浅草紅団』『十三妹』『ハーモニー』という3作品は、いずれも『美少女戦士セーラームーン』的な作風とは違います。耽美、豪快、知的。「戦う少女」は小説世界でも多様的なのです。しかし、様々な「戦う少女」たちという存在があるからこそ、このジャンルは現在まで隆盛であり、世界的な支持を得ているのではないかな、と思われます。まだまだたくさんの「戦う少女」は各ジャンルに存在します。
ぜひ、この夏、いろんな「少女」たちに触れてみてはいかがでしょうか?
初出:P+D MAGAZINE(2022/08/02)