辻堂ゆめ「辻堂ホームズ子育て事件簿」第18回「英語アレルギーという屈折」

辻堂ホームズ子育て事件簿
子どもの早期英語教育。
帰国子女だからこそ、
思うところがあった。

 以前にも、同い年の子どもがいる幼馴染に「英語教育って何歳から始めればいいかなぁ?」と問われ、「英語は大きくなってからで平気! それよりまずは日本語!」と即答したことがあった。これは、12歳からアメリカに行って何とかなったという自分自身の経験による。単語は覚えるだけだから、やる気次第。文法も同様。幼少期に始めたほうが有利とされている発音も、私の場合はしばしばネイティブに間違えられるくらいにはなったし、結婚後にアラサーの夫に対して遊び心半分で発音のマンツーマンレッスンを施したところ、教えたこちらが驚くほどの上達を遂げた。彼曰く、「英語は苦手だったけど、口や舌を慣れない形に動かす筋力トレーニングだと思えばいける」らしい。つまり、大事なのはあくまで本人のやる気と費やす時間と選択するメソッドであって、年齢を重ねたから手遅れになるということはないのだ。ならば幼いうちは、単なる〝手段〟にすぎない英語よりも、思考のベースとなる国語力の向上に心血を注いだほうがいい。

 というのが、長らく私の持論だった。

 でも……これってよく考えると、「英語を学ぶのは後からでもいい」理由にはなるけれど、「幼いうちから英語を教えてはならない」理由にはなっていない。

 バイリンガル教育の結果、日本語も英語も中途半端になるケース。私が恐れているのは、たぶんこれだ。正直なところ、実例を目にしたこともあるし、アメリカに住んでいたときに自分自身、ふとした瞬間に2つの言語を脳内で混同してしまって言葉が出てこなくなったことがあった。日本人相手に日本語で話しているのに、英単語が頭に浮かんでしまい、それを言い表す適切な言葉が日本語にないため置き換えられない。逆にアメリカ人相手に英語で喋っているとき、日本語でだけ知っている概念を伝えようとして上手くいかない。そのストレスが、私は嫌いだった。そして恐怖だった。英語を喋るときに日本語が頭に浮かんでしまう瞬間があるのはいいとして、母語である日本語を操っているときには英語なんかに邪魔されたくない。言語の切り替えに手間取ることなく、スムーズに考えを巡らせたい。思考を深めるにあたっては、2つの言語が頭の中に同居しているのはややこしいだけだ。母語が侵食されるのが怖い。12歳で渡米した私でさえそうなりかけたのだから、ましてや乳幼児期に英語の勉強を始めるなんてとんでもない、まずは母語による思考体系をしっかりと確立してからにしないと──。

 考えてみて、ようやく気づいた。私の英語に対する思いは、いろいろと屈折しているのだ。

 英語アレルギー、とでも言おうか。

 私は昔から本を読むのが好きだった。漢和辞典をめくって遊び、自ら漢字の勉強をして検定を積極的に受けた。趣味でお話もよく書いていた。得意科目はもちろん国語だった。そんな日本語大好き人間が、親の仕事の都合でアメリカの現地校に入れられ、毎日が英語漬けになった。日本語でやれば30分で終わる宿題に3時間をかけ、泣きながらテスト対策をした。英語が嫌だった。早く日本に帰りたくて仕方がなかった。ようやく高1で帰国が決まったときは快哉を叫んだ。日本の高校に編入してからは、読書好きだったおかげか現代文の成績はさほど悪くなかったけれど、古文漢文があまり得意とはいえず、突破口を見つけられずに受験当日まで苦しんだ。これは、あの4年間のブランクのせいではないか。アメリカでなく日本で生活し続けていたら、「得意科目はもちろん国語」の自分のままでいられたのではないか。私は、利用価値のよく分からない英語力と引き換えに、好きだった日本語を上達させる機会を失ってしまったのではなかろうか──。


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辻堂ゆめ(つじどう・ゆめ)

1992年神奈川県生まれ。東京大学卒。第13回「このミステリーがすごい!」大賞優秀賞を受賞し『いなくなった私へ』でデビュー。2021年『十の輪をくぐる』で第42回吉川英治文学新人賞候補、2022年『トリカゴ』で第24回大藪春彦賞を受賞した。他の著作に『コーイチは、高く飛んだ』『悪女の品格』『僕と彼女の左手』『卒業タイムリミット』『あの日の交換日記』など多数。最新刊は『二重らせんのスイッチ』。

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