辻堂ゆめ「辻堂ホームズ子育て事件簿」第29回「理想の人生って何だ」(前篇)
笑われるかもしれないけど、
こちらは大真面目なんです!
2023年7月×日
夏は日が長くなるせいか、子どもが目覚めるのが早い。春まではせいぜい6時半くらいだったのが、このごろは5時半には起こされる。幼児たちの辞書に二度寝という文字はない(私調べ)。午前6時から激烈に細かいビーズ貼りの遊びに付き合わされたり、娘の体操着をゴミ箱に突っ込もうとしている息子を寸前で制止したり……なんともロックな毎朝である。
前回のエッセイで、勉強が好きになれなかったとか、会社員の仕事が合わなかったとか、そんな話を書いた。原稿を提出したところ、「辻堂さん自身の過去の話も気になります」というようなことを編集者さんに言われた。確かに、今は作家という仕事をしているし、アメリカからの帰国子女で東大法学部卒で……と一見派手な経歴を歩んできたからか、取材などがあるとよく昔の話を訊かれる。
奇しくも今月発売の『サクラサク、サクラチル』(双葉社)という大学受験を描いた新刊では、そのあたりのいろいろをメインテーマとして扱っている。いやいやそのあたりのいろいろって何だよ、という話なのだが、いろいろなのである(読めば分かるかも)。さらによく見ると、この連載エッセイのバナーにも、『東大卒のミステリ作家がママに』と書いてあるではないか! ……東大卒、という字面に、商品として引きがあるのは分かる。大いに理解できるから、あえて伏せたりはしていない。だけど──!!! という私自身の複雑な乙女心(?)の話を、今日は育児の話から逸れて、ちょっと語ってみたいと思う。
実をいうと、私は高校時代、東大にだけは入りたくないと思っていた。
なぜなら、昔から抱いていた最も叶えたい将来の夢は、「子どものお母さんになること」だったからだ。
幼い頃から、きょうだいでも一番上、いとこは全員年下、近所の遊び相手もほとんどが年下、という環境で育ったせいか、子どもの面倒を見ることが一番の喜びだった。子どもと関わらない人生なんて考えられないと、大人への階段を少しずつ上り始めた中学生くらいの頃から強く思っていた。早く子育てがしたい、という野望を胸に抱く中学生。変な子どもである。だけど高校生になっても大学生になっても、その夢は変わることがなく、私の中にとどまり続けた。
さて、子どもがほしいとなると、結婚しなくてはならない。結婚するためには、現実問題として、男性に気に入ってもらわなくてはならない。近寄りがたい人間になってしまうのは大変まずい。帰国子女というプロフィールは親の転勤によるものだからもう仕方ないけれど、その他の部分では、なるべく親しみを持ってもらえるように、相手に威圧感を与えないようにして……。
だけどその計画は早々に頓挫した。私は本来的には勉強が嫌いなくせに、教師や親に気に入られるタイプのド真面目な優等生だったのである。周りの大人に褒められるのがいつだって一番の喜びで、手を抜くということを知らなかった。例えば高校生の頃のクラス内投票では、『先生キラー』の項目で堂々の第1位を獲得(『授業命』も1位だったような……)。今思えば、反抗期が遅くて、百点の答案を鼻高々に持ち帰る小学生のテンションを、華のティーンが終わりに差しかかってもまだ引きずっていたのかもしれない。
今では違う(と信じたい)けれど、子どもの頃はそういう性格だったのだから仕方ない。身近な大人たちの期待に応えたいという衝動が先走り、勉強に励んで、中学や高校ではテストで学年1位を取ったりするようになった。
すると高校の先生も親も、東大を目指そう、という雰囲気になってくる。いや、待てよ──と、思考停止状態の優等生だった私は、ここで初めて自分にストップをかけた。テストで好成績を取って褒められるのが嬉しくて勉強ばかりしてきたけど、私、そもそも「お母さん」になりたいんじゃなかったっけ⁉
だとしたら東大はまずい。大変、まずい。だってだって、東大女子なんて、モテるイメージが皆無だ!(注:当時の私の偏見です)。東大に行くことで、子どもを持ちたいという最も大切な夢が叶う確率が下がってしまうとしたら、そんな大学には、ぜーったいに行きたくない!(注:同上)。
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「辻堂ホームズ子育て事件簿」アーカイヴ
1992年神奈川県生まれ。東京大学卒。第13回「このミステリーがすごい!」大賞優秀賞を受賞し『いなくなった私へ』でデビュー。2021年『十の輪をくぐる』で第42回吉川英治文学新人賞候補、2022年『トリカゴ』で第24回大藪春彦賞を受賞した。他の著作に『コーイチは、高く飛んだ』『悪女の品格』『僕と彼女の左手』『卒業タイムリミット』『あの日の交換日記』『二重らせんのスイッチ』など多数。最新刊は『サクラサク、サクラチル』。