辻堂ゆめ「辻堂ホームズ子育て事件簿」第28回「『好き』がはらむエネルギー」
得意なことは、一体何だろう?
見極めるのは難しい。
2023年6月×日
外と内とを隔てる壁が、目の前にそそり立っている。壁の中ほどに開いているのは、縦幅五センチほどの覗き穴。私は壁の後ろに隠れ、硬い床に片膝をつき、その小さな隙間から外を窺う。動き回る複数の人影が、狭い視界を横切る。決して見つかってはならない。移動は中腰で、音を立てずに。存在を気取られた瞬間、この安寧は崩れ去る。私と5人の同志たちは壁のこちら側で息を潜め、それぞれの観察対象を必死に目で追う──。
さて、何をしているのか?
保育参観である。
息子が所属する1歳児クラス。小規模園なので定員は6名。30分間の保育参観を行うとの案内があり、先日保育園にお邪魔してきた。前日のお迎え時、「明日はお母様お一人でいらっしゃいますか?」と先生に尋ねられ、「仕事の都合がつけば夫も来られるかもしれません」と軽い気持ちで言ったところ、「うーん、狭いので、お二人でご覧になるのは難しいかも……」と先生は困り顔。その時点ではわけが分からないまま「それなら一人で来ますね」と返答したのだけれど、いざ保育参観に訪れてみてようやく理解した。
中腰になるよう指示され、忍者のように廊下を横切って洗面所経由で保育室に入ると、そこにはローテーブルと段ボールと折り畳まれたたくさんのお昼寝用ベッドで作られた、大人の肩の高さほどの即席の要塞が。ローテーブルの上に積み上げられているお昼寝用ベッドのうち、中ほどの一段だけが短い脚を畳まずに置かれていて、そこが上手い具合に覗き穴の役割を果たしている。その下には園児の苗字が書かれた紙が横並びに一枚ずつ貼られていて、指定席になっていることが窺えた。示された位置について覗き穴越しに外を見ると、まるでお城に立てこもって狭間から銃口を突き出す兵士の気分。保育参観ってどこもこういう感じなのか⁉ いや、たぶんそんなことないよな……と動揺しつつ、他の5名の保護者たちとともに我が子の姿を探した。
いた。
あ、おやつを催促してる。隣の子のコップを引き寄せて飲もうとし、保育士さんに止められている。かと思えば、今度は隣の子のおやつが載ったお皿を狙っている。ごめん、今日初めて名前を知ったRくん。その後は歌をうたったり、踊ったり、ビニールのトンネルくぐりをしたり、絵本の読み聞かせをしてもらったり。ずいぶん楽しそうだ。途中でTくんがベッドの隙間から覗く無数の目に気づき、恐怖に満ちた表情で保育士さんに縋りついて泣き出した。目元しか見えないから、そこにママがいるとは分かっていないのだろう。うちの子は身長が低いせいか、まったく保護者の存在を察知する気配がない。そんなんじゃ戦場でサバイバルできないぞ、息子よ。
自分の子の写真を撮るのは許可されていたのだけれど、覗き穴越しだとどうしてもピントが合わず、仕方がないので夫にラインでテキスト実況をした。『他の子のお茶を飲もうとしてる』『なにやってるんだ』『名前を呼ばれて挙手して返事ができた』『偉いな』などとやりとりしながら30分。いやー、あっという間だった。先生たちがこんなに立派な要塞を建設したのにも頷けた。1歳児は親の姿を見たら寄ってきたり泣いたりしてしまう。同じ部屋にいながらにして、普段どおりの姿を見るための配慮だったわけだ。なるほど、これはすごいや。
光文社
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「辻堂ホームズ子育て事件簿」アーカイヴ
1992年神奈川県生まれ。東京大学卒。第13回「このミステリーがすごい!」大賞優秀賞を受賞し『いなくなった私へ』でデビュー。2021年『十の輪をくぐる』で第42回吉川英治文学新人賞候補、2022年『トリカゴ』で第24回大藪春彦賞を受賞した。他の著作に『コーイチは、高く飛んだ』『悪女の品格』『僕と彼女の左手』『卒業タイムリミット』『あの日の交換日記』『二重らせんのスイッチ』など多数。最新刊は『答えは市役所3階に』。