辻堂ゆめ「辻堂ホームズ子育て事件簿」第35回「つわりなんてないさ、つわりなんて嘘さ」

辻堂ホームズ子育て事件簿
ときに出産そのものよりも、
インフルエンザよりもつらい、
字面すら憎き「つわり」について。

 甘かった。

 神は女性に、(なぜだか)そんな試練を与えるのである(忌々しいことに)。

 第1子である娘を妊娠したときは、確か『あの日の交換日記』(中央公論新社)の原稿に取り組んでいた。この作品は連載を経ずに書き下ろしで刊行する予定だったため、明確な〆切はなかった。そのため、座椅子をリクライニングさせて身体を楽な状態にしながら、あまり無理せずに仕事を続けた。後から考えると、子育てというタスクがまだ発生していないため、自分の身体をいたわるのを最優先にできたことが、症状を和らげていたような気もする。

 しかし第2子の息子の妊娠時は、そうもいかなかった。夫もできるだけ協力してくれていたとはいえ、1歳児のお世話は休めない。しかもつわりの症状自体、第1子のときより格段に重かった。友人と遊ぶ予定などは、気力も体力も地に落ちているため当然すべてキャンセル。それでも仕事に集中すればつわりのことは意識せずに済むと信じ、しばらくは頑張って育児も執筆も続けた。

 大丈夫。これくらい平気さ。多忙な兼業作家時代には、インフルエンザにかかって会社を休んでもこれ幸いとばかりに執筆は続けていたじゃないか。学業に邁進していた高校生の頃だって、生理と試験がかぶっても、いざ問題を解き始めたら腹痛など完全に意識の外に追い出せたものだ。私は強い。だから頑張ろう!

 ♪つわりなんてなーいさ、つわりなんてうっそさ(おばけなんてないさ、の童謡にのせて)……

 ……という自己洗脳は、長くは続かなかった。初めのうちこそ、「明日はもっと体調が悪くなるかもしれないから今のうちにやっておこう」の精神で、健康な状態の約1.3倍速で執筆が進んだものの(火事場の馬鹿力ってやつ)、すぐに呆気なくダウンした。これ、本当に無理! ずっと船に揺られているような気持ち悪さや胃もたれがいつまで続くか分からないし、そのせいで原稿のクオリティを落とすことだけは死んでも避けたいし……。

 自分の体調を顧みずに仕事をするのが得意なワーカホリック人間こと私も、このときばかりは音を上げた。こんな状態で、さらには半年後に出産も控える中、小説の月間連載などできるはずもない。泣く泣く、連載を控えていた『サクラサク、サクラチル』(双葉社)と『山ぎは少し明かりて』(小学館)の担当編集者にそれぞれ連絡し、体調やスケジュールの管理が下手くそですみませんと罪悪感だらけになりながら、開始時期を1年近くも後ろ倒しにしてもらった(どちらも温かく受け入れてもらえ、また昨年無事に刊行できて、心から感謝するとともにほっとしている)。

 これまでのエッセイに書いてきたように、「産休」もわずか数日しか取らず(よい子は真似しないでね!)、子育て中もまとまった休みを取ることなく執筆に精を出してきた私が、こればかりは根性で乗り切れなかったのだから、やはりつわりというのは相当に身体への負担が重いものなのだろう。甘く見ていた私がバカだった。それでも私なんかはまだいいほうで、友人の中には、1日あたり7回も嘔吐し続けた子や、食事がまったく取れなくなって2か月以上もの入院を強いられた子もいる。


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辻堂ゆめ(つじどう・ゆめ)

1992年神奈川県生まれ。東京大学卒。第13回「このミステリーがすごい!」大賞優秀賞を受賞し『いなくなった私へ』でデビュー。2021年『十の輪をくぐる』で第42回吉川英治文学新人賞候補、2022年『トリカゴ』で第24回大藪春彦賞を受賞した。他の著作に『コーイチは、高く飛んだ』『悪女の品格』『僕と彼女の左手』『卒業タイムリミット』『あの日の交換日記』『二重らせんのスイッチ』など多数。最新刊は『山ぎは少し明かりて』。

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