辻堂ゆめ「辻堂ホームズ子育て事件簿」第47回「悪い子はいねがー」
ゴリラ、お巡りさん、
そして……?
日本地図の上部を、やや怯えた目で見上げる息子。ああしまった、東北地方以北が魑魅魍魎や猛獣ののさばる危険地帯と認識されてしまった──! 慌てて「ここはパパが大学生のときに住んでたところ。ほら、綺麗な七夕祭りの絵があるでしょー」「さくらんぼ可愛いねー」などと宮城県や山形県を指差して名誉挽回を図るも、「(危険地帯と)ちかい! あぶないよ!」と長女と息子が口々に声を上げる。やや、長女まで。もうダメだ。一度植えつけてしまった認識は容易には覆せない。北海道はジャガイモ、青森はリンゴ、秋田はお米のイメージでぜひとも上書きしたかったのだけれど……力及ばず(北海道や東北の皆さんごめんなさい)。
怖いもの見たさ、なのだろうか。その後、お風呂から出た息子は、夫にスマートフォンで検索してもらい、本物のなまはげの写真を見たらしい。「なまはげってなに?」と長女と息子に尋ねられ、私は困って夫の顔を見る。
「何だっけ。お正月に現れて子どもを噛むんだっけ……あ、それは獅子舞か。どっちも赤いし子どもが泣くやつだから混ざっちゃった。じゃあ、なまはげって?」
「いつやる行事なのかは俺も分からないけど、確か家に来て、『悪い子はいねがー』って……」
「あ、それだ! 悪いことをする子どものところに来るのかな」
「例えばほら、お片付けをしないとか」
子どもたちにも分かりやすいよう、夫がリビングに散らかっているおもちゃを指差し、具体例を挙げて説明する。すると驚くほどのスピードで、息子がレゴブロックを箱に放り込み始めた。長女も参加して、たちまち部屋が綺麗になる。「ありがとう、もう寝る時間だからそのくらいでいいよ」と声をかけると、長女は片付けをやめたが、息子は止まらない。よく見ると顔が引きつっている。いつもなら平気で見過ごすような、テーブルやソファの下に転がっているブロックまで1つ残らず拾い集めてきて、「たたたげ、きちゃう!」と泣きそうな声で訴えながら箱に入れようとする。
そんなに怖かったのか……と私はかわいそうになってしまい、「大丈夫だよ、ちゃんとお片付けしたし、ここには来ないからね」と息子を安心させようとした。しかしその効果てきめんぶりを見て、味を占めたのが夫だった。
「いやぁ、すごいな。やっぱり古くから伝わるものには意味があるんだよ!」
そして翌日から、夫は「なまはげが来るよ」の声かけを多用するようになった。イヤイヤ期と赤ちゃん返りを併発している3歳児には普段から非常に手を焼いていたのだけれど、なまはげという存在を示唆しただけで、まるで魔法のように息子が指示に従うのだ。生後5か月の妹が寝ているそばでジャンプするのはやめてといくら言ってもやり続けたり、一人でできるはずの着替えをいつまで経ってもやらずに親に甘えたりしていたのが、急に見違えるほどいい子になる。
秋田の伝統行事の持つ力に夫がいたく感心する傍らで、私はしかし、躊躇していた。
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「辻堂ホームズ子育て事件簿」アーカイヴ
1992年神奈川県生まれ。東京大学卒。第13回「このミステリーがすごい!」大賞優秀賞を受賞し『いなくなった私へ』でデビュー。2021年『十の輪をくぐる』で第42回吉川英治文学新人賞候補、2022年『トリカゴ』で第24回大藪春彦賞を受賞した。他の著作に『コーイチは、高く飛んだ』『悪女の品格』『僕と彼女の左手』『卒業タイムリミット』『あの日の交換日記』『二重らせんのスイッチ』など多数。最新刊は『ダブルマザー』(幻冬舎)。