第127回
吉田修一さん
続 横道世之介
世之介に伴走してほしいと思っていた気持ちがありました
吉田修一さん『続 横道世之介』

 一九八七年を舞台に、大学進学で上京した青年の一年間を描いた吉田修一さんの青春小説『横道世之介』。お気楽な性格の世之介の行動に笑いながらも、途中で明かされる事実に涙した読者も多かったのではないか。まさかその続篇『続 横道世之介』が世に出るとは。そのきっかけは、何だったのか。そして描かれる内容とは。

きっかけは文芸誌からの依頼

「もともと続篇を書くつもりはなかったんです。『横道世之介』は映画にもなりましたし、もう自分の手を離れていろんな人に愛されているイメージでした。だから今回、遠くに行っていた人と久々に会えたという感覚がありますね」

 と、吉田修一さん。あの青春文学の名作の続篇、『続 横道世之介』が書かれるきっかけは意外なところにあった。

「文芸誌『小説BOC』が創刊する前、連載小説を依頼されたんです。内容を決めずに引き受けた後で、人からあの文芸誌は八作家九名の執筆者が競作する『螺旋』という企画が目玉になるんですよ、と知らされて。僕も作家として負けん気はあるけれど、九対一じゃ、もう絶対負け戦じゃないですか(笑)。それで、誰と一緒なら負けられるかなと思った時に、ふと世之介が浮かんだんですよね。もちろん、いざ書き始めたら勝ち負けなんてこだわらなくなるんですけど」

 のんきな極楽とんぼで、勝手なのになぜか人を和ませる青年、横道世之介。続篇の舞台となるのは前作から六年後の一九九三年。就職活動で五十二社全敗だった世之介は、大学卒業後、アルバイトとパチンコ、学生時代からの友人のコモロンと毎晩のように飲んで過ごしている。

「負け戦という発想から始まっているので、人生でうまくいかなかった時期を書こうと思いました。僕にとってそれは二十四、五歳の頃で、金もないしやることがなかった。小説は書き始めていたけれど作家になりたかったわけではなく、それくらいしかやることがなかったんです」

 世之介のアルバイト先は、港区湾岸の倉庫街でもずく酢やワカメを卸す小さな会社。確か吉田さん自身、デビュー前に湾岸の倉庫街でアルバイトしていた時期があったはず。

「そうです。『横道世之介』も今回の続篇も、基本的に自分の体験か、自分が見聞きしたエピソードだけで書いているんです。バイト先で世之介がお金を盗んだと疑われるのも、たまたま本当に疑われた人を知っていたからだし、コモロンが自己啓発セミナーにはまるのも、当時、知人がはまって僕もすごく誘われたからです(笑)」

 確かにあの頃、湾岸は倉庫街だったし、自己啓発セミナーも流行っていた。

「だいたいこういう小説って、その頃の年表を見ながら書くことが多いと思います。でも、僕の場合は年表ではなく日記なんです。毎日二~三行だけ、観た映画や行った店、会った友人などを記すようにしていたので、それを見ながら書きました。そういう意味では、代表的な年表には載っていないような、当時の雰囲気は書けたのかなと思っています」

 世之介の住む池袋のマンションの隣室には中国人たちが住み、コンビニに行けばイートインコーナーで弁当をつまむ外国人の娼婦たちがやる気なさそうに「お兄さん、遊ぶ?」と声をかけてくる。それも実体験だそうで、

「僕が池袋に住んでいた頃、本当に隣に中国人が住んでいたんです。しかも、日々人が増えていく。最終的にはワンルームに五、六人住んでいたんじゃないかな。全然うるさくないんですが、ベランダで煙草を吸っていると目が合って挨拶くらいはしました。小説の中で起きたような事件はありませんでしたが。今は爆買いの観光客として日本に来る中国人が増えたことを思うと、大きな変化を感じますよね」

二人の女性たちとの出会い

 描かれるのは四月からの一年間。パチンコ店で見かけた若い女性と理容室の前ではちあわせ、浜本というその女性が髪を丸坊主にするのになぜか立ち会うことになる四月。コモロンの近所のマンションを双眼鏡で覗き見するという、なんとも気まずい成り行きでシングルマザーの桜子と出会った六月……。

「前作同様、プロットを作らずに、自分でもどうなるか分からないまま書き進めていきました。だから最初に浜ちゃん(浜本)が出てきた時は、この人が世之介と恋愛するのかなと思ったし、次に桜子が出てきた時は、ああこっちかなと思いましたし。日常と一緒で、明日何が起こるか分からない感覚で書き進めていきました」

 ちなみに二人の女性の人物造形に関しては、

「浜ちゃんについては、中学の友達で、ある日突然角刈りにしてきた女の子がいたんです。鮨職人じゃなくて、板前になるとか言っていました。その人がモデルといえばモデル。桜子に関しては、以前書いた『女たちは二度遊ぶ』という短篇集の『殺したい女』で、あかねという自動車整備工場の娘が出てくるんです。桜子のようなシングルマザーではないんですけれど、父と兄と暮らしているのは一緒。その人物がずっと気になっていて、いつかまた書きたいと思っていました。単純にキャラクターとして好きだったんです」

 他にも印象的な人々が出てくるが、ちなみに前作の登場人物は世之介以外、顔を見せない(祥子だけは、ある場面でそれとおぼしき人物が登場する)。

「僕の二十四歳の時の日記を読み返したら、十八歳の時の知り合いが一人も出てこないんですよ。この年代の六年間って、それくらい人間関係が変わるんだと思いました。学生時代からの友人のコモロンにしても、卒業近くの頃に仲良くしていたので今でも続いているんでしょうね」

 前作同様、時が過ぎた後で、世之介の周囲の人々が彼を思い出すパートも挿入されていく。今回その舞台は少し未来、二〇二〇年の東京オリンピックのマラソン競技が開催中の東京だ。

「世之介の続篇を書くと決める前に編集者と、フルマラソンの四二・一九五キロの間の何地点かで同時多発的に起きていることを書く話はどうか、と話していたからなんです。連載が世之介の続篇にならなかったら、その話を書く予定でした。それで、その話と世之介の話が重なっていったんです。逆にいうと、それ以外は何も考えずに書き始めたわけです」

 オリンピックのパートに関しては、書き終えた時、気づいたことがある。

「最後のほうで、パラリンピックのマラソンの伴走者が出てきますよね。あれは自分の深層心理が表れたような気がします。この負け戦を世之介に伴走してほしいと思っていた連載当初の気持ちが、無意識のうちにああいう形で出てきたんだと思います」

書けたことに達成感をおぼえた登場人物

 実際の人物や出来事を盛り込むなか、ただ一人、まったくモデルがいないのが、主人公である世之介だ。

「リアルなものを全部詰めていって、真ん中にぽーんと空いているところにいるのがフィクションの人物ということですね」

 では世之介という青年像についてはどのような思いがこめられているのか。善良だけれど自分勝手、でもくさったりすることなく常にマイペースで、人を受け入れる度量もある。

「単純に羨ましいと思う。こういう人間になりたいというのもありますね。ただ、いい人を書いてやろうという気はないんです。結果的にそうなっていますけど」

 みんな、世之介の行動に呆れたり戸惑ったりもするが、彼は決して憎まれない。

「たとえば浜ちゃんが鮨職人の修業のために辛い時期に突入した時、世之介は助けに行こうと思いながらも行かない。でも、浜ちゃんにしてみたら、来られても迷惑なんですよね。それよりも、自分が会いたい時にいつでも行けばそこにいる存在のほうが、スランプの時は大切なんじゃないかなと思う。それが世之介なんです。それは全員にとってそう。コモロンもいい会社に就職したのにうまくいっていない時期に世之介と毎晩のように飲んでいる。桜子も一人で子どもを育てて大変だった時期に世之介と一緒にいる。みんな気づいていないけれど、その時期に世之介がそこにいたことは重要で、だから後になって彼を思い出した時、いい人だと思えるんでしょうね」

 出会った人の心の中に、かすかな欠片を残していく世之介。それは友人や恋人だけではない。

「続篇を書いたなかで、"この人が書けた"という達成感があったのは、桜子の兄の隼人ですね」

 現在父の工場を手伝う隼人。中学時代、ケンカ相手が運悪く意識障害の寝たきりとなり、以降大人になった今も、隼人は彼の見舞いを欠かさない。

「僕が小学五年生の頃、大勢でサイクリングに行って、六年生の男の子が急な坂道を自転車で下って事故を起こし、そういう状態になってしまったんです。直接の友達ではなかったけれど、その後みんなで毎月一回お見舞いに行っていました。そのイメージがずっとあったんです。隼人の場合は、ひとつ違ったら自分がそうなっていたかもしれないからこそ、また思うところもあるはず。そのあたりも書きたかった。『殺したい女』の兄や『悪人』の清水祐一にも通じるんですが、彼らはその場所から動きだせない人なんです。今回、作中の隼人の手紙を書き終えた時、やっぱり自分は彼を大きな登場人物として考えていたんだなと気づきました。あの場所から出たことのない人が、世之介と関わった時間を経て、自分から街を出ていく。それを書けたのはよかったと思います」

 また、前作と今回で確実に違うと感じることがあるという。

「『横道世之介』の場合、現在のパートでは、みんなが過去の世之介を振り返って見ている感覚で書いたんですよね。でも今回の書き方はまったく違っていて、結果的に、世之介がどこか空の上から、現在のみんなを見守っているような形になったなと。隼人の手紙に関しても、隼人の名前を借りて、世之介の言葉として書いたという気がしているんです」

 結果的にバブル崩壊から東京オリンピックへと、時代の流れを感じさせる作りにもなっている本作。思えば吉田さんは最近、近未来へと話が連なる『橋を渡る』、昭和から平成を生きた歌舞伎役者の人生を語る『国宝』、現代だけでなく戦時中の満州国も舞台となる「湖の女たち」(「週刊新潮」連載中)など、時代の流れを俯瞰する作品が増えている印象も。

「二十歳の頃は十年間ってどんなものか想像できなかった。でもこの歳になると十年ってこれくらいの感じで過ぎるなと分かる。ともすれば三十年がどんな感じかも、なんとなく分かるようになってきました。だから、小説で時間というものが書けるんじゃないか、書いてみたいと思うのかもしれません。若い時は世界の広がりに興味があったし空間的にどこまでも遠くに行ってみたかったけれど、時間の広がりに興味が移ったとも言えますね」

吉田修一(よしだ・しゅういち)

1968年長崎県生まれ。97年「最後の息子」で文學界新人賞を受賞しデビュー。2002年『パレード』で山本周五郎賞、『パーク・ライフ』で芥川賞、07年『悪人』で毎日出版文化賞と大佛次郎賞、10年『横道世之介』で柴田錬三郎賞を受賞。他の著書に『怒り』『橋を渡る』『犯罪小説集』『国宝』など多数。

〈「きらら」2019年4月号掲載〉