★編集Mの文庫スペシャリテ★『デフ・ヴォイス 法廷の手話通訳士』丸山正樹さん

著者近影(写真)
丸山正樹さん

両極の世界の狭間で、前に進もうともがいている人間の姿を書きたい。

 シナリオライターとして活躍後、2011年に小説家デビューした丸山正樹さん。デビュー作『デフ・ヴォイス 法廷の手話通訳士』は、ろう者の犯罪に隠された真実を解き明かす、社会派ミステリーの秀作です。単行本刊行時は注目されなかったものの、リーダブルな構成と魅力的な人物描写が、読書サイトや書評家から根強い評価を得ていました。文庫化されて以降、支持の声はさらに高まり、現在は映像化を熱望されるベストセラーとなっています。第1作から『デフ・ヴォイス』はシリーズとして続き、6月末に最新作『慟哭は聴こえない』が発表されます。丸山さんに、同シリーズにこめた思いを、語っていただきました。

想定外、の数年越しの反響

きらら……文庫『デフ・ヴォイス 法廷の手話通訳士』を読ませていただきました。とても面白かったです。単行本の刊行時に読み逃していたのが、悔やまれるほどでした。

丸山……いえそんな、面白く読んでいただけたら何よりです。
『デフ・ヴォイス』のタイトルはそのまま、ろう者の声を表しているのと同時に、言いたいことがあるのに、その声が届きにくい社会的少数者たちの声、という意味もこめています。ろう者の物語であり、情報化社会において、特定の人たちの声が排除されているかもしれない事実を、物語にしました。
 私としては、問題提起をする意図はありません。シンプルに面白く読んでもらえるよう、工夫して書き上げたつもりです。啓発の方へ寄ってしまうのは、避けたいところでした。普通に面白かったと言っていただけると、何とかうまくいったなと実感できて、嬉しいです。

きらら……単行本は2011年、文庫化も2015年と、最近の作品ではありません。しかし現在、急速に注目が高まっています。ご本人には、想定外だったでしょうか。

丸山……もちろんです。今年に入ったあたりから大きな反響をいただき、このたび9刷が決まりました(2019年5月時点)。それだけで本当にありがたく、恵まれているなと思います。
 最初に読書メーターで褒めてくださった方と、売れていない頃から推薦してくださった書店員の方がいます。このおふたりは、恩人です。ほかにもいろんなところで、応援を積み重ねていただき、何年もかけて読者が増えていきました。作家冥利に尽きます。
 単行本が出た8年前から、社会の成熟が少しは進んで、ろうへの理解と認知が、広まってきた印象があります。それも、『デフ・ヴォイス』が受け入れられた理由のひとつではないかと思います。

思考が伝わりにくい人たちの内面の真実に迫りたい

きらら……いまさらで恐縮ですが、ろう者を題材にされるきっかけは、何だったのですか?

丸山……単行本のあとがきにも書いていますが、私は長年、障害を負った妻と生活しています。その関係で、さまざまな障害を持つ方々と交流する機会があります。彼らと話しているうち、障害者、なかでもろう者を主人公にした小説は書けないだろうかと思うようになりました。
 構想中に興味を惹かれたのは、障害者の犯罪事件でした。ろう者も含めて、障害者が加害者となった例は、しばしば報じられています。障害者の思考は、健常者との意思疎通が難しいなどの理由で、なかなかわかりません。しかし犯罪事件のニュースを見るたび、動機をはじめ、加害者である障害者の思いや本心が明かされ、可視化されます。そこに私は、作家として関心があるのだと、気づいたのです。
 資料を読んでいくうちに『累犯障害者』(著・山本譲司)に行き当たりました。聴覚障害者が起こした事件の報告に、1章が割かれています。そこにろう者と、ろうあ者との違いや、手話には大きく日本手話と日本語対応手話があることが書かれていました。私を含め、一般の人のほとんどは、知らない事実でしょう。
 多くの人に知られていない題材であり、これなら1冊ぶんの小説を書けるだろうと。そして、思考が伝わりにくい人たちの内面の真実に迫りたい、自分だけのテーマとして取り組めるという直感がありました。

丸山正樹さん01

きらら……主人公の荒井尚人は、再就職のために手話通訳士の資格を取る、40代の男性です。彼の人物像はどのように考えられたのですか?

丸山……主人公は、ろう者にしようと思いましたが、私は難聴の当事者ではないので、ろう者のリアルな気持ちは書けません。どうしようかと悩み、いろんな資料を読んでいるうちに〝コーダ〟(Children of Deaf Adults の略称。両親ともにろう者である、聴こえる子ども)の存在を知りました。
 荒井がコーダであれば、私自身を投影して、伝えられるかもしれないと思ったのです。実はコーダの設定に行き当たるまで、数年かかりました。そこからは荒井のキャラクターが自然に走り出し、物語が進んでいきました。

立場が違えば多数派と少数派はすぐに入れ替わる

きらら……荒井は手話通訳の仕事を通じて、かつて出会った犯罪歴のある、ろう者の男の再犯疑惑に、深く関わっていきます。その過程で、コーダである自分の孤独に苛まれます。

丸山……コーダは私のなかでは、ボーダーにいる存在の象徴です。聴こえる人たちと、聴こえない人たちのあいだで、常に葛藤します。どっちの気持ちも理解できるけれど、どちら側にも行けない……曖昧な境界で生きるしかない存在です。その苦悩には私自身、共感できます。
 白黒はっきりした世界にいるのは、苦手です。コーダの人たちのように、両極の世界の狭間で、答えのない問いを抱えながら、前に進もうともがいている人間の姿を、書きたいと思っています。

きらら……世間的には耳の聴こえる荒井はマジョリティ=多数派の側かもしれませんが、自分の家族をはじめ、ろう者たちと関わっているときはマイノリティ=少数派になってしまう、逆説的な構造は、切なく感じました。

丸山……場所や視点が変われば、いくらでも立場は逆転します。絶対的に固定された立場なんて、ありません。障害者に対する差別的な行為を目の当たりにするたび、強く感じます。
 自分は健常で、マジョリティの側にいると信じこんでいても、例えば日本語のまったく通じない外国に連れ出されれば、ろう者と同じマイノリティの側に立たされるわけです。
 世のなかには耳が聴こえる人と、聴こえない人のふたつで考えてしまいがちですが、そんな簡単に分けられるものではありません。狭間のどちらにも属さない人たちはたしかにいて、彼らも「声」を発していることを、想像しなくてはいけないと思います。
 コーダは、そのようなボーダー側の本質的な見方を届けるために、必要な存在でした。途中からは、私自身が荒井に乗り移ったかのような気持ちで、書くことができました。
 基本はろう者たちの物語ですが、読者の方には、広い意味でのコミュニケーションの問題や、人間関係に置き換えて読んでいただけているようです。書いた当時は、そこまで計算していませんでしたが、結果的に広い解釈を得られて、良かったと思います。

真実を突き止めることで自分が何者かを知りたい

きらら……荒井は、婚約者との関係が破綻しそうなリスクを負ってでも、ある殺人事件の謎を追っていきます。彼の心の深い傷に関わる何かに、突き動かされているようでした。

丸山……彼の正義感もあったと思いますが、それだけではない。かつて関わりのあった、ろう者の犯罪の真実を突き止めることで、自分が何者であるかを確認したかったのでしょう。

きらら……物語には終始「なぜ自分だけが、こうなったのだろう?」という、孤独な荒井の問いかけが、ずっと聴こえるようでした。

丸山……ああ、その指摘を受けたのは初めてです。荒井の憂鬱や、境遇に対する割り切れなさは、書いていた当時の私のものでした。エンタテインメントの文脈で、自分が興味を持った題材を物語に組み上げていく意識でいましたが、荒井への共感を深めていくうちに、私個人の内面が自然に、にじみ出てしまったのでしょう。
 書き手と物語がリンクすることは、あまりいいことではないかもしれませんが、自然にあらわれるものを、せき止めるのもいけないと思います。『デフ・ヴォイス』以降も、自分の共感できる題材の小説を書いていきます。

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社会にアピールするつもりで小説を書いているわけではない

きらら……本作は『龍の耳を君に デフ・ヴォイス新章』、シリーズとは別作品だが番外篇的な位置づけともいえる『漂う子』と繋がっています。そして最新刊『慟哭は聴こえない』が発表されます。結婚した荒井と、その家族の数年後を舞台にした、連作短篇集となっています。

丸山……『デフ・ヴォイス』を発表して以降、さらに多くの人と連絡を取り合い、ろう者に関するエピソードが積み重なってきました。その一部を題材にした、4つの短篇をまとめています。
 ろう学校の訓練の様子や、特定の地域だけで使われている手話の存在など、教えてもらうまで私も、知らないことばかりでした。ろう者の世界については、まだまだ学ぶべきことは多く、小説にできる題材は尽きないと思います。
 ただ、自分がろう者の代弁者になってしまっていないか、懸念している部分はあります。例えば『慟哭は聴こえない』に収録した「法廷のさざめき」のクライマックスシーンで、ろう者たちが、ある言葉を一斉に発します。それは私の問いかけたいテーマでもあったのですが、ろう者の人たちのプロパガンダと受け取られてしまうのじゃないか……という不安はあります。
 前にも述べたように、私はろう者の実態を伝えたいとか、もっと彼らのことを考えてほしいと、社会にアピールすることだけを目的に小説を書いているわけではありません。しかし『デフ・ヴォイス』以降、そういう役割を過度に期待されている面もあり、悩ましいところです。
 書きたいことを書いていく一方、できるだけ客観的な視点に立ち、どのようなバランスを取って新しい物語をつくりだしていくのか、これからの課題だと思っています。
 どんな物語だろうと、ラストは希望へ向かった、読後感のいいものにしたいです。重いテーマでも、明るい気持ちになれる小説。そこに、私の書いていく意味があるのだろうと考えています。

 

デフ・ヴォイス書影

文春文庫
定価:本体700円+税
丸山正樹(まるやま・まさき)

1961年東京都生まれ。早稲田大学第一文学部演劇学科卒。広告代理店でアルバイトの後、シナリオライターとして多くの作品を手がける。2011年『デフ・ヴォイス 法廷の手話通訳士』で小説家デビュー。本作の続篇に『龍の耳を君に デフ・ヴォイス新章』『漂う子』がある。最新刊は『慟哭は聴こえない』。

〈「きらら」2019年7月号掲載〉
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