村山由佳さん『噓』

第115回
村山由佳さん
愛するということは難しい。
嘘にしたって、相手を守る嘘もあるし、
自分のための嘘もあるから。
村山さん

過酷な運命に巻き込まれてしまった少年少女四人の人生を描く村山由佳さんの『噓 Love Lies』。恋があり、暴力があり、殺人があり、なんと極道の世界も描かれる。作家生活二十五年目の新境地、その背景とは。

少年少女を襲った理不尽な事件

 

 「どの事実をどの時点で読者に明かすのかは一番考えました。どういう事件がどのように起こり、誰がどう感じたか。作中のどこで書くのかは難しかったけれど、面白くもありました」

 と語る村山由佳さん。『噓 Love Lies』は、ひと言でいうならノワール小説。作家生活二十五年を迎える村山由佳さんがによる新境地。『週刊新潮』に連載された長篇だ。

 「雑誌連載はこれまでにもありましたが、ほとんどが恋愛や性愛を描いた男女小説でした。それで『週刊新潮』から連載の依頼をいただいた時、違うことをやってみたい、という話をして。『週刊新潮』ならサスペンスタッチにしてみようか、という話になりました」

 中学校で同じクラスになり親しくなった四人の少年少女。十四歳の夏、ある事件に巻き込まれたことから、その後彼らは傷を負って生きていく。そして二十年後──。もちろん、これまでの作品のような愛や情も濃密に描かれる。

 「『スタンド・バイ・ミー』のような少年時代の切なさを持ちつつ、不穏な世界にどんどん巻き込まれていく人を書くという圧を自分にかけました。私はハードボイルドをたくさん読んできたわけではないので、いわゆるそのジャンルの書き方をするのではなく、今まで書いてきた恋愛小説的手法をハードな世界に持ち込んでみました。結果としてはわりあいにいい感じに混ざり合ったのではないかと思います」

 映画化もされたスティーヴン・キング『スタンド・バイ・ミー』は少年四人の冒険譚。こちらは男女二人ずつの四人組だ。

 「そのほうが、何か波乱を含んでいますよね。恋愛感情も生まれるだろうし、自分が好きになった相手が自分を好きになってくれるとは限らない。感情が交錯しやすいなという企みも少しありましたね」

 中心人物は刀根秀俊、通称ヒデ。彼は母とその愛人と暮らしているが、男から日頃暴力を受けている。由緒ある神社の娘の美月、母親が厳しい陽菜乃、要領よく生きる坊ちゃん気質の亮介。個性の異なる彼らの思いが交錯する。

「今回は人物を作ったという記憶がないんです。四人とも、いろんな形で私の中に住んでいたんだと思う。遺跡を発掘するように彼らの形を露わにしていったというイメージがありますね。この人物に自分を託したというのでもなくて、みんなかなり私からは距離があるんです。最近は自分の身体を通して出てきた登場人物を書くことが多かったので、近年では珍しいですね。中心人物としてヒデの肉付けはしていったんですけれど、四人にこういう役割を背負わせよう、という企みから生まれたのではなく、彼らはもうそこにいました、という感じなんです」

 ヒデははじめ、仲間に父親がいないことを告げない。もちろん、虐待を受けていることも。自分のことはあまり語らない人間なのだ。厳しい母親にびくびくして育つ陽菜乃など、彼らの性格には親が大きく影響していることがうかがえるが、

 「彼らのような家庭環境で育ったわけではないですが、私自身も親からの影響をすごく感じます。自分は”母の娘”だという感覚が今も拭いがたくある。どういう親であれ、独り立ちした後も、親の呪縛は続くというのが体感としてあるんですね。それに、ヒデのように過酷な家庭状況で暮らさなくてはいけない人たちって思う以上にいるんだろうなと思います。なので、彼の育った環境は特別なものでなく、ざらにある話。本人たちにとってはそれが当たり前なのであまり声に出さないので、それを物語で伝えられたらと思って」

 淡い恋心を交差させつつも、幸福に過ごしていた彼ら。しかし夏のある日、一人が理不尽な暴力に遭遇し、なんとか救いたいと思った他の三人は行動を起こすのだが……。

「四人を巻き込むことになる事件は、書いていいのかという気持ちがありました。それも含めて、書くのはしんどい作業でしたね。それほどのことだから、四人は心ならずも闇のほうへ突き進むことになります」

 本作では、殺人も起きる。

「人を殺す場面を書くのは、食欲も落ちる作業でした。でも、人って簡単に死ぬものなんですよね。なんて弱いものなんだろうって思う」

 少年たちに感情移入して読んでいる身としてはなんとも辛い出来事であるが、

「書き始める時に思ったのは、途中でご都合主義の救いがあったり、大山鳴動して鼠一匹、みたいなものにはしない、ということ。自分を追い詰めることになっても、事件を起こしてしまった彼らのその後に寄り添って書かなければいけないなと思っていました。物語のためにショッキングな事件を起こすのではなく、そういう事件が起きたあとで、どう生きていくのかを書かなければこの事件を起こしてはいけない、そう思っていました。ヒデの家庭のことも最初の事件のことも、単なる報告書のようなものを読まされても、読者はひどい話だと思って終わってしまう。でも小説で書けば、自分から遠いはずの登場人物でも、何かのスイッチで感情移入すれば、自分が体験したかのように感情を掻き立てられたりする。それが報告書とは違う、フィクションの力だと思うんです。そういうものが書きたい」

 

極道の人間からの支配

 

 ヒデには面倒を見てくれる大人がいる。偶然出会った九十九という男で、柔道の稽古に通わせてくれるなど、恩人的な存在だ。ただしこの男、実は極道の人間。時に彼が言う言葉はかなりえげつないのだが、

「自分の中からああいう言葉が出てくることにおののきがありました。自分が目にしてきた事件やフィクションが溜まって醸造されたものなのか。それとももともと自分の中にそういうものがあるのか……」

 事件に遭遇した時に九十九に助けを求めたこともあり、ヒデはその後、彼の支配から逃れられなくなる。九十九の意図は何なのか。

「彼だけは自分の内面を吐露しないんですよね。他の登場人物も彼の思惑を正確にはかることができないので、読者にも”この人は訳が分からない”という状況を体験してもらいたかった」

 二十年後も、ヒデのその状況は変わらない。シングルマザーとなっている美月はそんな彼を心配している。また、後半になってキーパーソンとなるのは九十九の運転手の近藤だ。

「彼のことは九十九も”極道にしては真面目すぎる”と言っていますが、極道に向いている人だけがその道に入るわけではないですよね。でも実は、近藤は最初九十九の運転手のチンピラとしてしか出さないつもりだったんです。でも堤防の道の上に若かりし頃の近藤を立たせた時、”あら、好みだわ”と思って(笑)。これはテコ入れしようと思ったんです」

 読者に好きな男性の登場人物を訊くと、ヒデ派と近藤派が多いという。

「女性はだいたい二派に分かれますね。たしかに私の中でいいなと思う男性像をヒデと近藤に振り分けて書いたと思います。いいなと思うのは男気があるところでしょうか。二人はタイプが違うけれど、それぞれの男気があるんですよね。それが裏目に出てしまうんですけれど。女性側からすると要らない強がりだったり、男の人ならではの、考えているようで考えていないところがあったり。むしろそれは愛しさだなあと考えながら書いていました」

 ヒデと、中学生時代から彼に淡い思いを寄せていた美月の穏やかな関係は続くのか、そこに九十九や近藤がどう絡むのか、そして陽菜乃と亮介は今どうしているのか……。

「本当は一緒にいないほうがいいのに、という関係は現実にもたくさんもありますよね。人間関係って仕事でも恋愛でも、出会う前にその人のことを知るわけにもいかないから、出会って感応しあったとしても、それが善なるものなのか暗がりに属するものなのかの判断はつきにくい。引き合うことでブラックホールが生まれることもあるのに、本人にはそれが分からない。引き合うというのはその瞬間だけは心地よいので誤解してしまうんですよね。たぶんDVなどもそういうことが多いのでは」

 それが愛なのかもしれないし、それは愛ではない別の何かなのかもしれない。タイトルの「噓」「Love Lies」の言葉を読者は噛みしめることになる。

「愛するということは難しい。技術的な難しさではないですよね。よほどの聖人君子でないと、無私の愛はない。誰かの犠牲になるとしても、犠牲になっている自分の中にカタルシスがないわけはない。そう考えると、本当に相手のことを思って何かをするとはどういうことなのか、すべての基準が曖昧になっていきますね。嘘にしたって、相手を守る噓もあるし、自分のための噓もあるから」

 これまでの作家生活で、つねに愛について書いてきた村山さんだが、

「デビューしたての頃に書いていたものも純愛だし、この小説から出てきたものも純愛。でも手触りや色合いは二十五年の間にずい分変わり、一筋縄ではいかないものになりました。ひと言で言えないものを五百ページを費やして書いたわけですから、言葉にできないものが読者の中に残るのが理想です」

 ヒデと母親の愛人、ヒデと九十九、九十九と近藤やその他の極道たちなど、男同士の父子的な関係も描かれるのが本作の特徴だ。

「今までわりあいに、女性主人公にとって先達となる年上の女性を登場させることは多かったんです。ここまで男同士の疑似親子を書いたのははじめてじゃないでしょうか」

 極道の世界については、スピンオフが書けるくらいバックグラウンドの設定がある、という村山さん。

「男の美学ややせ我慢がぶつかりあう話は嫌いではないので、いつか書いてみたかったんです。男性の内面の描写が生っちょろいと思われないだろうかという不安もありましたが、でも男性って実は柔らかいですよね。心ある男の人が美学だけでは生きていけない部分もきちんと書いてある小説なら、もうちょっと書いてみたい気持ちがあります。ここぞというところでやせ我慢してしまうような、寸止め小説が書きたいですね」

 今年は今後も刊行が続く。三月にはブラック企業と闘う女性の話、五月には『ダブル・ファンタジー』の続篇、秋にはモラハラをする夫とは別の男性と恋に落ちる女性の話、さらにお祭りをモチーフにした官能小説集を出し、そして「おいしいコーヒーのいれ方」シリーズの刊行予定も。大忙しだ。

「男女の小説もこれまで以上に深く、全然違う地平を探してみたいですね」

村山由佳(むらやま・ゆか)

1964年東京都生まれ。立教大学卒。93年『天使の卵─エンジェルス・エッグ』で小説すばる新人賞を受賞しデビュー。2003年『星々の舟』で直木賞を受賞。09年『ダブル・ファンタジー』で中央公論文芸賞、島清恋愛文学賞、柴田錬三郎賞を受賞した。他の著書に、『天使の柩』『放蕩記』『アダルト・エデュケーション』『ありふれた愛じゃない』『天翔る』『ラヴィアンローズ』など。

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