『アルプス席の母』早見和真/著▷「2025年本屋大賞」ノミネート作を担当編集者が全力PR

早見さんの最高傑作!
4年前の年末。本来は、別の作品の打合せのはずでした。ところが、早見さんから「いい企画を思いついた」と提案されたのが、『アルプス席の母』でした。早見さんの中で、母親視点で、プロローグとエピローグで一言一句変えないのに読み味が変わるという構想まではできあがっていました。デビュー作『ひゃくはち』以来となる高校野球を題材にした小説。乗らない理由はありません。「やりましょう!」と即答。あの日のわくわく感は今も忘れません。
語りたいことはいろいろありますが、まずは早見和真さんという作家を知ってほしくて、『アルプス席の母』の面白さから早見さんの美点を挙げていきます。
1)徹底した取材
早見さんが書くジャンルレスな作品群を支えているのは、この一点です。今作は高校野球だけに、ご自身の経験だけでも書けたと思います。しかし、今回も大阪を中心に、20人近く名門高校球児の母親に取材しました。ガードが堅く何も聞き出せないのでは? という懸念は杞憂でした。取材の成果は存分に活かされ、リアリティのある作品となりました。
2)リーダビリティ
ミステリでもないのに、ぐいぐい作品にひきこませるのはどういうことでしょう。本作の書き出しには、こうあります。「本当は女の子のお母さんになりたかった」息子の晴れ姿を見守っているはずなのに、なんでそう思うのか。読み手には大きな「?」が生まれます。これが読む推進力となっているのです。主人公の菜々子はその後、読者の心配どおり、いろいろなトラブルに見舞われていくのでした……。
3)驚異の映像化率
昨年も『95』『笑うマトリョーシカ』がテレビドラマ化されました。何故、映像関係者は早見作品に惹かれるのか? 私の考えでは忘れられないシーンを描くことが上手いからだと思うのです。本作でも、涙なしでは読めない名場面がいくつも登場します。ご期待ください!
4)因縁づくりの天才(いい意味で)
早見さんは年下ではありますが、何年人生を歩んでいるのかと思わされる瞬間があります。本作で、高校入学前に息子と買い物に行く場面。入学祝いがてら量販店でグローブを買ってあげるという菜々子の提案を息子は却下し、使っているグローブが亡き夫のオーダーメイドによる高価なものだと打ち明けます。ほんの短いやりとりの中に、夫の不在の不安を読み手につきつけることの巧さよ! 焼肉屋のシーンも泣けます!!
数え上げればきりがないのですが、『アルプス席の母』の面白さをまとめます。執筆中、亡くなられたお母様と何度も何度も対話したとインタビューで語っていました。だから作中には感謝が溢れています。それがエコーとなって読み手に響きます。
そして早見さんは徹底的なリアリストで、物語が要請しない安易なハッピーエンドを嫌う傾向があったと思うのです。でも、今回はその禁を破ってくれました。新幹線で一気に書いたというラストは、事前のプロットを軽々と超えてきた鳥肌ものの原稿でした。今読み返しても目頭が熱くなります。ノミネート作の中でも、最上級の読後感を味わえることでしょう。個人的には、早見さんの最高傑作だと思っています。〝未来は過去を変えられる〟そんな早見さんからのメッセージすら浮かんでくる人間賛歌です。
絶対に本屋大賞にノミネートさせます、とお願いした『小説王』の刊行から9年。ようやく約束が叶いました。ちなみに本屋大賞ノミネートの連絡をした際、早見さんの脳裏には「この人(私)とは二度と会うことはない」と感じた初めて打合せした光景が浮かんだそうです。
一点、心残りと言えば、早見和真という作家を教えてくれた北上次郎さんに、是非とも読んでもらいたかったことでしょうか。でも、天国で読んでくれている気がしています。

──『アルプス席の母』担当編集者