松田青子さん『持続可能な魂の利用』

第141回
松田青子さん
『持続可能な魂の利用』
自分の中で全部「おじさん」のせい、という気持ちがあります
松田青子さん

 今の世の中の理不尽に、明確に気づかせてくれる言葉を持つ松田青子さん。最新作『持続可能な魂の利用』は、彼女にとって初の長篇。そこで描かれるのは、今の日本社会に対する違和感、そしてそこから脱却していく世界。圧力に屈しそうな心に力を与えてくれる本作を書いたきっかけはどこにあったのか。

女の子たちの楽園、そしてアイドル

「〝持続可能〟という言葉は環境問題などでよく使われる言葉ですが、人間も持続可能であることが大事。毎日生活するだけでも大変ななか、ちゃんとご飯を食べて、しっかり寝て、理不尽なことから自分を守って、持続可能な自分を作っていかなくてはいけない。なかでも魂は核の部分で、そこが疲弊するとすべてが止まってしまう。もっとも大事なのは核の部分だということを書こうと思いました」

 デビュー作品集『スタッキング可能』の時から、現代社会の問題点を反映させた小説を発表してきた松田青子さん。初の長篇小説となる『持続可能な魂の利用』は、今の社会を直視し、未来を見つめる内容だ。

 男性優位な社会の理不尽さにさらされて退職を余儀なくされた三十代の敬子。妹のいるカナダにしばらく滞在したのちに帰国した彼女は、日本で過ごす日常のなかでさまざまな違和感を抱く。だが、そんな彼女が引きつけられたのは、男性が演出する女性アイドルグループの一員、 × ×(作中でも伏字)。物語は主に敬子、敬子が元いた会社の香川歩、敬子の後に入社した宇波真奈、そして最初は正体が明かされない複数の少女たちの視点から描かれていく。

「以前、短篇『あなたの好きな少女が嫌い』(『ワイルドフラワーの見えない一年』所収)で、日本のおじさんが少女に幻想をあてはめて搾取していることを書いたのですが、そこで少女たちの楽園を描いたんです。その時にもっと女の子たちの楽園を書きたいと思い、長篇で書くことにしました。それと、私はもともと女の子のアイドルが好きで、AKBにハマったこともあったんです。アイドルがどういう構図で作られているのか分かった上で好きだったのですが、丸坊主事件があった時に、これは本当に悪しきものだなと思って……」

 丸坊主事件とは、恋愛が発覚したアイドルが頭髪を剃って謝罪した出来事だ。

「そこから日本のアイドルにハマるのはやめていたのですが、しばらくして友人から〝今、欅坂46というのが人気だよ〟と言われて YouTube を見たら激ハマりしてしまって。その時に、アイドルの悪しき形態を分かった上でこんなに心が動いてしまうこの状況をよく考えてみたいと思いました。それと女の子たちの楽園というものが重なって、ひとつの作品になると思ったんです。小説は自由だからどんな舞台でも書けますが、自分は今の日本社会に住んでいるのだから、そのことを書きたい気持ちもありました」

 アイドルの × × は欅坂46の元メンバーの平手友梨奈を連想させるが、物語が進むうちに、なぜ伏字にしてあるのか、その意味も見えてくる。

日本社会における違和感

 カナダから帰国した敬子がまず抱いた違和感は、日本の女の子たちが下を向いて小さな声で話していること。彼女の頭に浮かんだのは〝最弱〟という言葉だ。

「実際、私も二、三年前にイギリスに一か月住んで帰国した時に、日本の女の子たちに同じような違和感を抱きました。そうしていないと生きていけない社会構造があるとも感じました」

 高校時代にも留学経験のある松田さんだが、そのイギリス滞在の際には、見知らぬ男性と気軽に会話ができることに気づいたという。

「日本だと知らない男の人が声をかけてきたら、だいたい卑猥なことか、失礼なことを言われると思って身構えてしまう。作中に書いた、小さい頃にトンボをとっていたら〝あっちに行かない?〟と知らない男の人に声をかけられたのも、自分の実体験です。外国でもそういうことはあるけれど、日本はそのグロテスクで不穏な状態が普通になってしまって麻痺している気がします」

 他に、敬子が目にするのは、女性向けのシミ取りの広告や、あるいはピルを入手するために婦人科を訪れた時の光景。

「ルッキズムの問題も日本に限ったことではないですが、広告宣伝に代表されるように、女性の正解を規定されて、それにそぐわない場合に怯えたり自分を卑下しなければいけないという社会からの要請があると感じます。ピルも、外国なら薬局で売られていたり無料だったりするのに、日本は入手しづらい。女性に楽をさせてくれない社会ですよね」

 また、敬子が疲弊して会社を辞めたのは、実は社内のセクハラが理由だ。それが肉体関係を迫られるといった分かりやすいものではないところが絶妙。こういうこともハラスメントになるのだと知らしめる点でも意義深い。

「女性へのセクハラやレイプは小説の中では形骸化していて、物語を進ませるためにその要素を使っているだけになりがち。それをやりたくなかったということと、読む人にそういうものを味わわせたくなかったというのがあります」

 さすが松田さん、と思わせるのはこういうところだ。実際、いまだにミステリなどで女性が性的虐待に遭う場面はよく登場するが、楽しんで読めないどころか、読んだだけで傷つくことだってある。

「私も小説でそういう場面が出てくるとしんどいと感じることがあります。そういう思いを私の作品を読んでくれる人にはさせたくなかった」

 それは、宇波に起きた出来事に関しても同じ。実は十代の頃にアイドルだった彼女は、ある種のセクハラを理由に卒業した。物理的な接触があったわけではないが、非常に気持ち悪いもの。ここでも、「アイドルに起こりやすそうな枕営業などを書くことは避けようと思った」という。

 二十代となった宇波は現在、会社員となっているわけだが、

「大木亜希子さんの『アイドル、やめました。』というインタビュー集を読んで日本特有の現象として納得したのが、今、日本中に元アイドルの女の子がたくさんいる、ということだったので、それを書こうと思いました」

 十代の頃から、ファンからは理想を押し付けられ、アンチからはデブだのブスだの言われ続けるアイドルたち。傷ついた宇波だが、今はアニメの魔法少女にハマってそれを眺めながら「女の子の体ってエロいな」などと思っている。ただ、彼女の場合、どんなに凝視されても動じない体として、魔法少女たちの姿に安心感をおぼえているという側面が。

「自分が傷ついたぶん、傷つかない体を消費することってあるんじゃないかと思いました。もうひとつ書きたかったのは、私も小さい時にアニメで女性の裸やパンチラをたくさん見てきて、それに慣らされてきてしまったこと。今ならそれがおかしいと分かるのに。そういう土壌で育ってきたことはきちんと残したかった。今の若い世代は、そうした描写がエスカレートした中で育っている。それは、女性を客体化したり消費したりしていいというお墨付きを社会が与えているに等しいし、女性もそれを受け入れないとうまく生きていけなかったりする。これは難しい問題で、それが宇波さんに集約されています。ある側面に気をつけていても、他の側面には無自覚になることはある。人間は矛盾をはらんだ生き物ですよね」

松田青子さん

 また、敬子の元同僚の香川は、ピンクのスタンガンを持ち歩いていることで、自分を鼓舞しているような女性だ。

「私が以前働いていた会社に、実際にピンクのスタンガンを持ち歩いている女性がいたんです。それは、身を守らなくてはいけないことが日常に紛れこんでいるということ。そうした異常性に社会が麻痺している部分もあると思う」

ぜんぶ、「おじさん」のせい

 敬子が疎ましく思うのは、「おじさん」の存在だ。

「今も現実でもびっくりするようなことが毎日のように起きていますが、自分の中で全部『おじさん』のせい、という気持ちがあります」

「おじさん」といっても、ある程度の年齢に達した男性のことではない。いってしまえば家父長制や男尊女卑的な思考を持つ人間のことだが、作中では「おじさん」の定義が巧妙に描かれる。

「家父長制という言葉を使わずに今の日本社会を説明しようとした時に、『おじさん』という言葉が出てきました。一時期は上の世代に比べると若い男性の意識は変わってきたなと思っていたんですが、SNSを見ると若い世代で『おじさん』的な発言をしている人もいるし、性的暴力事件も多い。結局変わっていないんだなと危機感が増しています。女性にも『おじさん』はいますが、そういう人たちは社会が違ったら、『おじさん』化しなくてよかった。やはり『おじさん』の国であることがすべての元凶ではないか、という気持ちです」

 一方、作中には「おばちゃん」たちも登場。彼女たちの行動は、なるほどなと思わせる。

「上の世代の女性たちの『おばちゃん』と呼ばれる言動って、処世術だったんだなと思うことが多いです。今よりももっとひどい状態で生きてきて、その中でサバイブしてきたんですよね。どの世代の女性たちもサバイブしているけれど、そのやり方がちょっと違うという印象です」

 やがて、敬子はデモに参加して、そこである出来事が──。

「今のCOVID – 19関連のことも含めて、誰かが声を上げると、それに対して鎮静化させようとする力がすごくて、総叩きにされる。この負の力はなんだろうと気になっています。ちょうどこれを書いている時に、フェミニズム専門の出版社エトセトラブックスを立ち上げた松尾亜紀子さんが、北原みのりさんたちとフラワーデモを始めたんです。他にも個人的にも女性が繋がるといい方向に進むという実感を得たので、それを小説に落とし込めないかと考えました」

 そして第二部では、物事が大きく動いていく。

「今の日本では実はこういう政策がとられているんじゃないかと思えてしかたないことを書きました。そこから抜け出す方法はやっぱり、みんなで力を合わせることしかなくて、ああいう展開になりました。資本主義の発展は「おじさん」が考えたものなので、それとは違う社会、世界でないとこれからは厳しいと思う」

 二部構成の本作だが、第一部と第二部のはじめにエピグラフがある。第一部は『少女革命ウテナ』からの引用、第二部はアメリカのある性的虐待事件の被害者女性の証言だ。

「単行本にする際にエピグラフを二か所入れたかったので、連載の時から、ここから一部、二部と心の中で思っていました(笑) もともと『少女革命ウテナ』が好きで、冒頭部分を書いた時から「ウテナ」の最後の台詞を入れると決めていました。もうひとつのほうは、この事件が報道されている頃に、彼女の証言する映像をネットで見て、ものすごく感動したんです。今回の小説の構想ノートにもずっとこの言葉を貼り付けていたので、エピグラフとして、登場させたいと思いました」

 現実の世の中の状況ともあいまって、最終的な展開には胸に迫るものがある本作。はじめての長篇を書いての感想はどうか。

「長篇だからというプレッシャーはなかったのですが、この部分でこれを書いて次にこれを書く……という采配力が必要だなと思いました(笑)。今は次の小説の準備中ですが、COVID – 19の拡大が始まってから、いろいろ考えさせられることが多くて。これまで通り書いていこうという気持ちはありますが、再考しなければいけない部分もあるので、考えつつ、書いていきたいと思っています」


持続可能な魂の利用

中央公論新社


松田青子(まつだ・あおこ)

1979年、兵庫県生まれ。同志社大学文学部英文学科卒業。2013年デビュー作『スタッキング可能』が三島由紀夫賞及び野間文芸新人賞のともに候補に、14年に Twitter 文学賞第1位となり、19年には『ワイルドフラワーの見えない一年』収録の「女が死ぬ」(英訳:ポリー・バートン)がアメリカのシャーリィ・ジャクスン賞短編部門の候補となった。その他の著書に『英子の森』『おばちゃんたちのいるところ』、翻訳書にカレン・ラッセル『狼少女たちの聖ルーシー寮』などがある。

〈「きらら」2020年7月号掲載〉
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