阿部暁子さん『カフネ』*PickUPインタビュー*

阿部暁子さん『カフネ』*PickUPインタビュー*

〝カフネ〟という言葉に向かって

 反発しあっていた女性二人が、さまざまな人とのかかわりを経て関係を築いていく。軽妙な会話で楽しませながらも、主要人物はもちろん、登場人物一人一人の深い人生背景を感じさせる阿部暁子さんの『カフネ』(2024年5月22日発売)。物語が動き出したのは、編集者のユニークな提案からだったという。
取材・文=瀧井朝世

反発しあう女性二人の関係の変化を描く

 女性二人の交流を通して描かれる、誰かを思う気持ちが心に沁みる。阿部暁子さんの新作『カフネ』は、今を生きる人に寄り添ってくれる小説だ。

「以前、『小説現代』の当時の編集長さんに疑似家族ものをご提案いただいたのが出発点でした。血が繫がっている者同士ではないけれど、家族に相当する関係を築く人たちの話はどうだろうか、ということでした。自分も、今って血が繫がっている者同士が一緒に生きていくのも大変な面があると感じていたんです。生まれた時からそこにある関係を心地よく生きられない人が、自分たちのために築いていくのが疑似家族なんだろうなと思いました」

 ただしその時に考えたプロットから、内容は大きく変わっていった。

「私が別の小説を書いているうちに担当が別の編集者さんに交代して、その方に〝弟に死なれた姉と、弟の元カノの話はどうですか〟と振られたんです。そのワードだけでふわーっと話が膨らんで、今の話の輪郭ができました。その時にはもう冒頭の、二人が昼間のカフェで言い合っている風景が浮かびました」

 主人公の野宮薫子は東京法務局の八王子支局に勤める四十歳。可愛がっていた弟の春彦が突然死して呆然とする薫子は、彼が遺言書を残していたことを知る。そこには相続人として家族以外に彼の元恋人、小野寺せつなも指定されていた。が、せつなは相続を断固拒否。物語はそんな薫子とせつながカフェで衝突する場面から始まるのだ。

「最初はもっとケンカしている感じだったんです。読み返してちょっときついかなと思い、削って今の形に落ち着きました。冷酷なせつなに対して薫子が言う〝血の色がモスグリーンやコバルトブルーなのかしら?〟という台詞は個人的に気に入っていたので残しましたが(笑)」

 会話シーンが得意な阿部さんだけに、その後の場面でも二人の丁々発止のやりとりが時にコミカルで、辛辣ながらも実に楽しい。

「たぶん薫子もせつなも、それぞれの自分の生活の場や仕事の場ではここまできつい物言いはしないと思うんです。でも二人の場合は好き勝手言い合える仲というか。同じくらいのパワーでぶつかりあう二人が、なんらかの関係を築いていく話を書きたかったんです」

法務局勤務の薫子と、家事代行サービス会社勤務の料理人せつな

 薫子を法務局勤務にしたのはどうしてか。

「先に春彦が遺言書を残しているという設定があったので、遺言書ってよく分からないと右往左往する人でなく、仕事として知っている人を出したかったんです。といっても私自身もなんの知識もなくて、法務局とは何かとパソコンで検索するところから始めました」

 そんな薫子は、自分は幼い頃から不屈の努力で人生を切り開いてきた、という自覚がある。だが今、彼女は人生のどん底にいる。可愛がっていた弟を亡くしただけでなく、長年の不妊治療がうまくいかなかったうえ、夫から突然離婚を切り出されて別れてしまったところだ。

「薫子はある意味、自分が平凡であることに少しコンプレックスを持っている人なんです。平凡で、いろんなものを失っても、人は自分で選んで立ち上がることだけは許されている気がするので、失っても失っても立ち上がる根性のある人を主人公にしたかった。それで前段階として、何もうまくいかなくて自暴自棄になりかけている状況にしました。根性って日によって折れたり復活したりするし、どんなに根性があっても傷つくことはある。それを薫子に体現してほしかったのかもしれません」

 彼女は職場では平然と業務にあたりながらも、家ではアルコールに頼る日々を送っている。それに気づいたせつなが、薫子の家に行って料理を作って食べさせたことから二人の関係には変化が訪れる。せつなは家事代行サービス会社「カフネ」で働くプロの料理人であり、春彦とも、その仕事を通して出会ったらしい。

「せつなを料理人にしようというアイデアは当初からありました。その時は、使い古したフライパンと包丁をバッグに入れてワゴン車でいろんなところに行く、さすらいの料理人のようなイメージでした(笑)。でもコロナ禍となって、現実の日常が脅かされる感覚を味わったことで、自然と生活に根差した話を展開させていく方向にシフトしていった気がします」

 ちなみに舞台となる東京都の八王子は、岩手県在住の阿部さんとは縁もゆかりもない場所だ。ここを選んだのも理由がある。

「うちの近所にも法務局があるんですが、あまり人が訪れている印象がなくて。なので、そこそこ人の出入りがある規模の都市にしました。せつなが働く家事代行サービス会社の仕事も、ある程度の人口の多い町でないと成り立たないと思ったこともありますね」

無料の家事代行サービスで出会う人々

 ひょんな流れから、薫子とせつなは「カフネ」が週末に行っている無料の家事代行サービスをコンビで行うことに。せつなが料理、薫子が部屋の片付けの担当である。

「ほうっておくとケンカを始める二人ですが、一緒に働くことで相手の別の面を見るようになる。自分とは全然合わないと思っていた相手でも、相手の仕事ぶりを見て、〝なかなかやるな〟という感覚を抱いていってほしかった」

 訪問先で彼女たちが遭遇するのは、単に家事が苦手だという人ではなく、シングルペアレントの家庭や要介護者のいる家庭など。社会的構造の中で追い詰められている人たちの姿が印象に残る。

「それもコロナ禍の影響がありました。世の中で大変なことが起きた時に真っ先に大変になる人たちの姿を目の当たりにして、こんな無料サービスがあったらいいなと思ったんです」

「カフネ」が無料サービスを開始した当初は、「家事代行を頼む経済的余裕のない方」という条件があった。だが、生前の春彦がグレーな人たちも受け入れたほうがいいとアドバイスして条件が削除された、と薫子は聞かされる。「そうすれば困っている人もグレーの中に溶け込んで、助けを求めやすくなる」という彼の主張だったという。

「春彦の意見は、子ども食堂の理念から言葉を借りている部分があります。子ども食堂って、〝食べるに困っている子どもだけ来て〟と言っているところはまずなくて〝みんな来て〟と言っているところが多い。それゆえに困っている人も気兼ねなく来ることができる、という記事を読んだことがあるんです。なるほど確かに〝困っている人だけ来てね〟と言われたら行きづらいだろう、と思いました」

 困っていると言い出せない人、困っていると認めたくない人、困っているという自覚のない人。そういう人は、セーフティネットからこぼれ落ちてしまいがちだ。そういう人からどうSOSを引き出すか。ある時、薫子とせつなが、訪問先にいた拓斗という少年が親にネグレクトされていると察し、彼に助けを求めるよう二人それぞれの言葉で説得する場面は胸に迫るものがある。

「差し迫って困っている人に他人が〝なにか力になれることがあったら連絡してね〟と言っても、連絡が来ることはまずない気がするんです。せつなや薫子も、拓人君に〝なにかあったら相談してね〟と伝えて帰るだけでは、この子は連絡してこないだろうと分かっている。だからせつなは彼の胸ぐらをつかむ勢いで力ずくで〝助けて〟と言わせようと迫り、薫子は彼の肩をつかんでガクガク揺すって正面突破していこうとする。アプローチは全然違うけれど、思うことは同じ二人なんです」

 他に、母親と二人で暮らす小学生の鈴夏という少女が、ボランティア活動を馬鹿にした上で、「うち貧困家庭だし、もう未来終わってるじゃん」などと言う場面も。そこで決して綺麗ごとを言わないせつなと、うろたえる薫子が対照的。

「薫子の不妊治療のシーンを書いている時に、この先どんどんハードモードになっていきそうな世の中で、子どもに〝未来を信じろ〟〝未来を担って〟と軽々しく言えないものを感じたんです。今を生きる少年少女たちは、もうそれを分かっている気がして、聞こえのいいだけのことは言えないなと思って」

 辛辣なことを言いながらも、そこから鈴夏にちょっとだけ変化をもたらすせつなの言葉が実に格好よい。

「ハードモードな世の中を、それでもちょっとだけでもいい気分で生きていける言葉をすごく考えたんです。たぶん、これなら誰でも手が届くかもしれないなと思ってあの台詞になりました」

 そんなエピソードが並ぶため、この先も二人がコンビを組んでさまざまな家庭の事情と向き合うのが話の主軸と思いきや、途中で思いもよらぬ事実が浮かび上がり、物語の様相はがらりと変わる。

タイトルが象徴する思い

 誰かの力になろうとする彼女たちだが、自分たちが助けてもらうのは苦手な様子。そもそも薫子だって、せつなが強引に家にやってきて手を貸してくれなかったら生活が破綻していただろう。また、後半には遺産相続を頑なに拒否するせつなの事情と思いも見えてくる。

「助ける時はブルドーザーのように行く二人ですけれど、いざ自分が助けを求めたい時は、ぐるぐる考えて結局やめるのが薫子で、そもそもはなから助けを求める気がないのがせつなです」

 また、前半から読者の心にひっかかっているのは、生前の春彦が遺言に託した思いは何だったのか、という点だろう。後半には少しずつ彼の真実の断片が浮かび上がり、そのたびに読者は言いようのない思いを抱くはず。

「結局人のことって分からないし、もしかすると自分のことも分からないという感覚があります。普段から、この人はこういう人だと思っていても、それは自分という人間を通した見え方でしかないという感覚があるので、それで毎回、見えていたものがひっくり返るような展開を書いてしまうのかもしれません」

 登場人物たちの驚きと戸惑い、苦悩と受容の先に浮かび上がってくる真摯な思い。一言では言い表しがたい感情だが、そこにすとんとはまるのが、「カフネ」という言葉だ。ポルトガル語で、「愛する人の髪にそっと指を通すしぐさ」という意味だという。

「タイトルは最初の段階から決めていました。友達が誕生日プレゼントにくれた『翻訳できない世界のことば』という本に、この言葉があって、とても素敵だなと思っていたんです。今回の話を書く時に、終着点を表すのに象徴的でいい言葉だなと思いました。今回はわりと〝カフネ〟に向かって話を書いていったところがあります」

 本を閉じた後も余韻に浸っていたくなる作品。実は本作のスピンオフ短篇を執筆予定とのことで、そちらも楽しみだ。

カフネ

『カフネ』
阿部暁子=著
講談社

阿部暁子(あべ・あきこ)
岩手県出身。2008年、『屋上ボーイズ』(応募時タイトル「いつまでも」)で第17回ロマン大賞を受賞しデビュー。『パラ・スター〈Side 百花〉』『パラ・スター〈Side 宝良〉』二部作が「本の雑誌」が選ぶ2020年度文庫ベストテン第1位に選出。その他の著書に「鎌倉香房メモリーズ」シリーズ、『どこよりも遠い場所にいる君へ』『また君と出会う未来のために』『室町繚乱 義満と世阿弥と吉野の姫君』『金環日蝕』『カラフル』など。


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採れたて本!【歴史・時代小説#18】