津村記久子さん『うそコンシェルジュ』*PickUPインタビュー*

津村記久子さん『うそコンシェルジュ』*PickUPインタビュー*
 日常のちょっとした場面で感じるストレス、プレッシャー、自己嫌悪。そうした〝切実なモヤモヤ〟と、どう向き合って生きていくか。津村記久子さんの短篇集『うそコンシェルジュ』は、ユーモラスな設定のなかにそのヒントと共感をちりばめて、読む人の心をほぐしてくれる一冊。執筆の際に意識していたこととは?
取材・文=瀧井朝世

「話をめちゃくちゃ聞いてくれるとか、自分をすごく肯定してくれるとか、人生を変えてくれるとかいうわけじゃないけれど、なんとなく気を楽にしてくれる人っていると思うんです。今回の短篇集は、わりとそういう人が出てくる気がします」

 と、津村記久子さん。最新短篇集『うそコンシェルジュ』は、日常の中での困ったこと、モヤッとすることからちょっぴり解放してくれる十一篇が並ぶ。

 表題作の「うそコンシェルジュ」は最初に書かれた短編で、二〇一六年に「新潮」九月号に掲載されたもの。今年同誌に掲載された続篇「続うそコンシェルジュ──うその需要と供給の苦悩篇」も収録されている。これらは、ひょんなことから「うそ請負人」となった会社員、みのりが主人公だ。

「自分はうそをつかないけれど、うそをつかれることが結構あるんです。うそを言う人って何回も言うし、うそが下手なんですよ。そんなんやったら自分のほうがばれないうそを考えられるな、と思うんです。それで、普段うそはつかないけれど、うそを考えるのが上手い人の話はどうだろう、と考えました」

 みのりは望んでうそ請負人となったわけではない。知人のうそに気づき、それを穏便にかわすために仕方なくうそをついたところ、事情を知る大学生の姪っ子、佐紀からうその相談を受けるのだ。佐紀は所属するサークルの代表者の小言の標的となっているが、「やめたい」と言ってもいつも甘い言葉を並べられ、丸め込まれてしまうという。絶対にばれず、確実にサークルをやめられるうそはあるのか。

「先輩たちが佐紀を引き止めるのは仲間でいたいからじゃなくて、単に袋叩きにできる生贄を置いておきたいからですよね。それこそうそつきだし、上手いうそでもない。それで主人公は、もっと上手いうそをついたろ、って思ったんじゃないですかね。主人公はうそつきが嫌いやけれども、他人を囲い込んで逃げられなくするような人も大嫌いなんだと思います。そういう場合なら、人助けのためのうそをつくこともある気がします」

 みのりの考えたうそは手がこんでいる。彼女は半休をとって佐紀の大学に行き、一芝居打つのだ。作戦は成功するが、同じ大学の谷岡君が彼女たちのうそを見抜き、佐紀を経由してみのりに新たなうその相談を持ち掛けてくる。みのりは佐紀を巻き込んで入念な計画を立てるが、途中でうそをつくことに良心の呵責をおぼえて……。登場人物たちがみな魅力的で、もっと読みたいと思わせる。数年ぶりに続篇が書かれたのは嬉しいかぎりだ。

「うその依頼者が次の依頼の協力者になっていく形式なので、書こうと思えばいくらでも書けると思っていました。ただ、『うそコンシェルジュ』を書いた後、しばらく『ディス・イズ・ザ・デイ』という、たくさん取材に行って書く仕事をしていたので、時間がなかったんです。この短篇集を出すことになった時、編集さんが〝うそコンシェルジュの続きを書きませんか〟と言ってくださって、七年くらいぶりに続篇を書くことになりました。七年前は、みのりの上司の小島部長がうそをつかなければならなくなる楽しい話も考えていたんですよ(笑)。でも、『続うそコンシェルジュ』を書いたのは去年なんですが、まったく違うことが自分の中のイシューとしてあって、それが書きたくなりました」

 続篇では、友人にからかいの的にされている青年を助けるミッションも描かれるが、さらに厄介な依頼が。小島部長からの相談で、高校生の姪の部活の顧問をリコールしようと活動している母親つまり小島部長の妹をなんとかしてほしい、という内容だ。顧問にはリコールされるほどの落ち度はないが、母親は他人の意見に耳を貸さず、娘は学校で居心地が悪そうだという。

「この母親は、自分がいいことをしていると思い込んでいるんですよね。こういう人は実際にいる。よく分からない動機で突然人を標的にして、自分の言動の辻褄を合わせるために正論めいたことを繰り返し、周りを巻き込んで悪魔化していく人。そういう人にどう太刀打ちして、そこからどう抜け出してもらうか、ということは去年の自分の中のイシューでした。ただ、みのりたちが助けたいのは母親というよりも、娘さんのほうなんです」

 みのりは、前作でうそをついた相手、吉子さんという老婦人の協力を求める。吉子さんはうその設定で母親にネットで近づいて話し相手になる。積極的に騙すというよりは、まずはひたすら相手の話を聞こうという作戦だ。

「どう対応するかは、陰謀論にはまった人への接し方みたいなものを参考にしました。そういう人は、否定しないでまずは話を聞いてあげたほうがいいそうです。なので、この母親が自分の執着と折り合いをつけられる環境を提供するためのうそをつくわけです。でも、その過程で、うそをつかされている人は傷つくんですよ。他人にケアをさせるっていうことはその人を疲弊させることなんだ、ということも言いたかった」

 それも、昨年津村さんの中で気になっていたことだという。

「他人にうそを強要する人っている、と感じていたんです。でも、うそをつく側はしんどいはず。だいたい、うそを作るってコストがかかるんですよ。どういううそをついたか憶えておかないといけなかったり、辻褄を合わせるために新たに話を作らなくてはいけなかったり。主人公はうそをつくのもしんどいんだと分かって良心に負けますが、それが人のあるべき姿じゃないかなと思います」

 巻頭に置いたのは「第三の悪癖」という短篇。他者から受けるストレスをうまく消化できずに自己嫌悪に陥っている主人公が、職場の他部署の中山さんが食器を割っている現場に遭遇する。

「実はこれが一番好きな小説です。母親や職場の人からプレッシャーを受けている中山さんは、ストレスのスライド方法を常に模索している。スキャンダルで窮地に陥っている芸能人のニュースを追ったり、母親が溜め込んだ皿を持ち出して割ったりと、不毛なことをいっぱいしているんですよね。へんに物事を複雑にして他責に走るのでなく、そういうやり方でもがいている。そのもがきが、主人公の目に留まるんです」

 主人公と交流を持つうちに、中山さんの日常にも変化が訪れていく。

「自力で出口を見つけていくんですよね。主人公とお互い助け合って、時々何も考えずに一緒に遊ぶといった、ちょっとしたことがあるだけでなんとか生きていけるよ、みたいな話ではありますね」

「レスピロ」という短編も、同じ職場の女性同士が適度な距離感で繫がっていく話だ。

「この本には女性同士のペアが結構出てきますよね。やっぱり女の人同士って助けあえるよな、という気持ちがあります。でも、相手の深い話を聞くといったことをするわけじゃないんです。互いに過大な要求はしなくても、ちょっと関わることによって、今自分が持っている問題がなんとなく分解されて少し前に進める、といったことが書きたかったんです。『続うそコンシェルジュ』には他人に強烈な理解を求める母親が出てきますが、100%の意見の一致を求めて周囲に無理をさせる人でも、その執着を手放せば楽しく生きていけるのではないかと思います」

 ここしか世界はない、と思わされている主人公格の人たちが、そこからどう脱出するかということは、常に書いていきたい、と津村さん。

「誕生日の一日」は、「早稲田文学」増刊の女性号に寄稿したもの。喫茶店でアルバイトをする女性主人公が、自分の五十二歳の誕生日を一人で祝う話だ。

「これは、わりと理想を書いた気がします。この人はすごく自立していて、仕事が生きがいというわけでもないけれど、働いて、人と気持ちよく接して、他人ののことをジャッジしないで、満足して静かに暮らしている。大きなオブセッションもなく、保険を見直そうかなと考えている程度なんですよね。すごく情緒が安定しています。こういう人が満足しながら生きていることを書きたかったし、こういう生活が可能である世の中がいいなと思います」

 ユーモラスな一篇、「買い増しの顚末」は、亡くなった祖父が残した大量の緑色のペンをオークションサイトで売ろうとする女性が主人公だ。

「私はもう二十五年くらい、パイロットのVコーンという直液式水性ペンを使っているんです。かすれることがなくて書きやすい。文具ディスカウント店で買った時に、店主の人が〝これ好きな人は好きやんな。これじゃなきゃあかんって言う人がいる〟って言っていて、〝分かる!〟と思いました。すごくメジャーなペンというわけではないので、赤と青と黒しかないんですけれども、私が大金持ちになったら緑を開発したいです(笑)」

 他の短篇も、どれも心に染みる。津村さん自身が駅のベンチが好きだということが出発点の「通り過ぎる場所に座って」、変なところに幽霊が出てくる話が書きたかったという「我が社の心霊写真」、小説を書いている最中、そこに出した食べものを食べたくなるという自身の〝現象〟を膨らませた「食事の文脈」、前の会社で一緒だった年上男性がモデルという「二千回飲みに行ったあとに」、学年の違う少女同士が交流する「居残りの彼女」。日常の鬱屈や窮屈さを少しだけ薄めてくれる、ささやかな物語が並ぶ。

「この短篇集は、自分が社会で経験してきたバランス感覚みたいなものを書いてあるように思います。本当に、小さなことばかりですが、それでなんか気が楽になってもらえたら。なので、気持ちのいい終わり方をする『居残りの彼女』は最後にしよう、などと短篇の順番はすごく考えました」

 というように、優しい気持ちで本を閉じることができる一冊だ。

 それにしても当初考えていたという、「うそコンシェルジュ」の小島部長の話が気になりますが……。

「考えていたのは、小島部長が産業スパイになって、ハニートラップを仕掛けなければならなくなり、みのりがうそを考える、という話でした(笑)」

 今回の二篇でもいい味を出している小島部長なだけに、どんな内容だったのか妄想が膨らんでしまう(できれば今後、読みたいです)。

うそコンシェルジュ

『うそコンシェルジュ』
津村記久子=著
新潮社

津村記久子(つむら・きくこ)
1978年大阪市生まれ。2005年「マンイーター」(『君は永遠にそいつらより若い』に改題)で第21回太宰治賞を受賞し、デビュー。08年『ミュージック・ブレス・ユー!!』で第30回野間文芸新人賞、09年「ポトスライムの舟」で第140回芥川賞、11年『ワーカーズ・ダイジェスト』で第28回織田作之助賞、13年「給水塔と亀」で第39回川端康成文学賞、16年『この世にたやすい仕事はない』で第66回芸術選奨新人賞(文学部門)、17年『浮遊霊ブラジル』で第27回紫式部文学賞、23年『水車小屋のネネ』で第59回谷崎潤一郎賞を受賞。


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