【著者インタビュー】津村記久子『つまらない住宅地のすべての家』/ひとりの人間の中をいろんなものが通っていって、知らず知らずその人が変わる
どこにでもありそうな住宅地に流れた、近隣の刑務所から横領犯の女性が脱走したというニュース。逃亡犯を見張るという共通の目的が生まれたことで、住民の間にささやかな交流が生まれましたが……。逃亡犯の行方とそれぞれの家族の事情が絡み合う、話題の長編小説!
【SEVEN’S LIBRARY SPECIAL】
近くて遠い隣近所の人たちがそれぞれに抱える事情が絡み合い変わりゆく話題の新著『つまらない住宅地のすべての家』についてインタビュー「世界は自分が考えているのとまるで違う姿をしているかもしれない」
『つまらない住宅地のすべての家』
双葉社 1760円
〈×月×日に××県女子刑務所を脱走した逃走中の受刑者が、隣の市で目撃されたため、近所まで来ている可能性が高い〉――テレビで、新聞で、警察からの「犯罪注意情報」で、口の端にのぼる逃亡犯のニュース。そして「つまらない住宅地」で自衛団結成の話が持ち上がる。これまで挨拶程度だった住宅地の住民たちは、夜警を行うように。逃亡犯の行方、それぞれの家族の事情が絡み合っていく。
津村記久子
●(つむら・きくこ)1978年大阪府生まれ。2005年「マンイーター」(改題『君は永遠にそいつらより若い』)で太宰治賞を受賞してデビュー。’08年『ミュージック・ブレス・ユー!!』で野間文芸新人賞、’09年「ポトスライムの舟」で芥川賞、’11年『ワーカーズ・ダイジェスト』で織田作之助賞、’13年「給水塔と亀」で川端康成文学賞、’16年『この世にたやすい仕事はない』で芸術選奨新人賞、’19年『ディス・イズ・ザ・デイ』でサッカー本大賞など受賞歴多数。近著に『サキの忘れ物』など。
1日1世帯ずつ、昨日とは違う家族をつくっていった
小説の舞台が、いかにもいわくありげな土地ではなく、「つまらない住宅地」に設定されていることにまず興味をひかれる。
「『ディス・イズ・ザ・デイ』という、サッカーのJ2のいろんなチームを小説に書くときに、取材で日本中をあちこち回ったんです。どこも面白くて、面白いところを書き過ぎたから、じゃあ次は『つまらないところ』を書こうかなと(笑い)。どことは言えませんけど、自分が知っている一番
どこにでもありそうな家ばかり並ぶこの住宅地の一角には、行き止まりの道を囲むように10世帯が暮らしている。中学生の息子と父親が2人で暮らす丸川家。夫婦と12歳の息子がいる三橋家。老夫婦2人の笠原家、中年女性がひとりで暮らす山崎家などなど、家族構成や年代はさまざまで、まるで日本の縮図のよう。
「母親が亡くなり、遺品を整理している58歳の山崎さんから考え始めて、1日に1世帯ずつ、昨日とは違う家族というふうにつくっていきました。10世帯ぶん考えたら、それぞれの家がどんなかかわりがあるかまた考えて」
このつまらない住宅地の住民のあいだに、近県の刑務所から、横領犯の女性が脱走したというニュースが波紋を広げる。横領犯は近隣の出身で、どうやらこのあたりに向かっているらしい。自治会長の丸川の提案で、住民たちはしばらくのあいだ、逃亡犯が逃げ込んでこないよう見張りをたてることになる。
「テレビを見ていると、『〇〇刑務所から受刑者が逃げて△△に向かっているもよう』みたいなニュース速報が流れることがありますよね。それを見ると私は、逃亡犯がどうなるかよりも、『逃げ込まれた側の人は大変やろな』と思うほうで、入り込まれた住民の側の心理をずっと、考えていました」
逃亡中の横領犯は日置昭子、36歳。学業優秀だったが、父親の工務店が倒産し、高校を卒業すると進学せず就職する。まじめで頭のいい昭子は、なぜ犯罪に手をそめ、いままた脱獄という罪を重ねたのか、住民でなくても知りたくなる。
「マーガレット・ミラーの『まるで天使のような』というミステリが大好きで、その中にかなり重要なキャラクターとして逃亡犯の女性が出てくるんです。彼女は模範囚だけど、脱獄する。その人のことが好きなんですけど、少ししか出てこないので、じゃあ自分でもっと書いてみようと思ったんです」
「自分の家族さえよければ」という考えは果たして極端か
住民のひとりが、「横領犯の写真を見たけど、悪い人には見えなかった」と言うように、昭子と住民たちを隔てる壁は高くない。住宅地に暮らす人々の中には、会社でパワハラに遭い、少女誘拐を企てている若い男や、わが子のゆくえを心配するあまり倉庫に幽閉しようとする夫婦、小学生の娘をなかば育児放棄している母親もいる。
逃亡犯を見張る、という共通の目的が生まれたことで、住民のあいだには、それまではなかったささやかな交流が生まれる。ちょっとした言葉や食べもののやりとりが、本人も無自覚なまま、結果的に誰かを救うのが面白い。
たとえば小学生を誘拐しようとしていた大柳という青年は、部屋に貼ってあるアニメ絵の少女のポスターの着物を、隣の笠原家のおばあさんから素敵だと褒められたことが契機になって犯罪をあきらめる。
「それまで、自分の好きなアニメ絵の女の子を自分の都合で一方的に萌えるものとしてしか見ていなかったのに、そういう見方があったのか、と気づかされる。
彼は世の中から搾取されていると思っていて、だから自分も搾取してやると誘拐を企てるんですけど、おばあさんのひとことで、自分が定義しようとしていた世界の外側があることを知るんです」
なにげないやりとりの中に、人生を大きく変える瞬間があったわけだが、啓示を与えた側は、そのことにまったく気づかない。無意識の礼儀正しさが、別の誰かによい影響を与えたりもするが、与えた人自身は自分の家族にはうとまれていたりもして、見る角度によってぜんぜん見え方が違う。
10世帯の中で異質なのが、三軒ぶんをひとつにした大きな家の長谷川家だ。カーテンや雨戸を閉めきって外に光を漏らさない、自分の家のゴミをよその敷地の前に置くなど、独特の生活様式で異彩を放つ。
「自分の家族さえよければっていうのは、極端なようですけど、長谷川家のおばあさんみたいな人は実は多くて、たいていの人はそうなんじゃないかと私は思います。誰かを踏みつけにして傷つけようと、自分の家族さえ繁栄していればいいと頑なに信じている。でも、だからこそ、外から来るものにおびえる気持ちも持っているんです」
本の最初のページに、住宅地の簡単な見取り図とそれぞれの家の家族構成が載っている。初めのうちは、たびたび見取り図に戻って何家の話か確認していたのが、一人ひとりが動き出し、それぞれのあいだでやりとりが始まるのにしたがって、いつのまにか見取り図が不要になっていることに気づく。
「書いてて、『つまらない住宅地』のことを好きになったりはしませんでしたけど(笑い)、10世帯あれば、10世帯なりの世界があって、家族の中でも一人ひとりが違っていたりする。ものの見方はひとつじゃないし、世界は自分が考えているのと違う姿をしているかもしれない。長谷川家のおばあさんは、そういうことが絶対に受け入れられなかった人で、だから彼女がつくりあげたあの家はすごくいびつで、孫娘の千里はそのことに気づいた。
家族の息苦しさを救うのは、家族以外だけでもないし、家族だけでもないんですね。ひとりの人間の中をいろんなものが通っていって、知らず知らずその人が変わる、そういうことを書いた小説です」
SEVEN’S Question SP
Q1 最近読んで面白かった本は?
『金枝篇』。いまだ読むと怖い本ですが、世界中の神話や呪術の事例を集め倒した、著者のフレイザー自身が面白い。突然たとえ話に自分のきょうだいの名前を出したりして、『金枝篇』を書くことがフレイザーの人生やったんやろうなと思いながら読んでいます。
Q2 新刊が出たら必ず読む作家は?
本単位で読むので"必ず"はないんです。ケヴィン・ウィルソンの『地球の中心までトンネルを掘る』はくりかえし読んでますね。
Q3 最近気になる出来事は?
スポーツのことしかないけどいいですか? 自転車競技の、ベルギーのファン・アールトっていう選手とオランダのファン・デル・プール、同世代の2選手がくりひろげる武者絵のような世界の行方が気になります。
あとは菓子パン。仕事が嫌やから、菓子パン1個と紅茶1本で2時間半書くと決めて始めるんです。気持ちが乗らないときにも「菓子パン、食べたいんやろ!」と自分を鼓舞して仕事をしています。近所のスーパーで買うんですが、菓子パンって種類がすごく多くて、昨日まであったものが今日はない、一期一会の世界と知りました。
Q4 好きなテレビ・ラジオ番組は?
よゐこの有野(晋哉)さんが出ている『ゲームセンターCX』。放送を録画したBDを1日8時間ぐらい流しっぱなしにしてます。
Q5 最近ハマっていることは?
ネットフリックスで話題の『クイーンズ・ギャンビット』をいまさら見て、チェスを始めました。普遍的なゲームを何かひとつやってみたかったので。弱いですが面白いです。
あとはバンドキャンプというアプリで、試聴してよかったバンドを探して週に1つ、音源を買っています。これがめっちゃ楽しいです。
●取材・構成/佐久間文子
(女性セブン 2021年7.1/8号より)
初出:P+D MAGAZINE(2021/07/06)