伏尾美紀さん『誰何』*PickUPインタビュー*

伏尾美紀さん『誰何』*PickUPインタビュー*
百年の時効』が3冠を達成、今勢いにのっている警察小説の書き手、伏尾美紀さん。ただし第5作となる『誰何』の主人公の1人は、警察を辞めた男、新内。彼が直面する亡くなった身元不明の女性の謎と、もう1人の主人公、捜査一課の砂本が追う不可解なひき逃げ死亡事故の謎。さまざまな人生模様が浮かび上がる本作の執筆のきっかけとは。
取材・文=瀧井朝世

 昨年刊行した『百年の時効』が本年、大藪春彦賞、吉川英治文学新人賞、日本推理作家協会賞〈長編および連作短編集部門〉を受賞と、3冠を達成した伏尾美紀さん。同作を含め、これまで発表した4作品はどれも警察小説だ。

「若い時からずっと国内外の警察小説を読んできたので、自分が小説を書くにあたっても、好きで読んできたジャンルを書きたい気持ちが根底にありました。逆にいうと、その書き方しか知らないともいえますね。今回、刑事ではなく元刑事を主人公の1人にしたのは、はじめての試みでした」

 新作『誰何』の主人公は2人いる。1人は40代半ばで北海道警を辞めて児童相談所で児童虐待対応支援員となった新内由紀。もう1人は、新内が北札幌署にいた頃にコンビを組んで彼を師匠として慕い、今は道警本部に勤務する30代前半の砂本修二だ。2人それぞれが遭遇する不可解な出来事が、少しずつ絡み合っていく展開である。

 児童相談所で働きはじめたばかりの新内の前に現れたのは、警視庁の宝生尊という、不遜な態度の男。彼は、東京都内のアパートで自然死した松川美和という年配女性の遺品に、新内の警察時代の名刺があったという。さらに奇妙なことに、遺族は、松川美和は2年前に病院で亡くなったという。どちらが本当の松川美和なのか、そしてもう1人はいったい誰だったのか。宝生は彼女について調べるよう新内に強いる。

 身元不明の遺体という設定を選んだきっかけは、1冊の本だったという。

「巻末の参考書籍にも書名を掲載しましたが、毎日新聞出版から出た『ある行旅死亡人の物語』(武田惇志、伊藤亜衣 著)というノンフィクションがあって。2022年11月に刊行された本で、それをたまたま読んだんです。その数か月後くらいに光文社の編集者さんと打ち合わせした時に、雑談でこの本が面白かった、と伝えたら編集者さんも読んでいて、しばらくこの話をしていたんです。その時に、この本を読んで浮かんだインスピレーションの話をしました。主人公が刑事で、ある日、別の警察から身元不明の女性の死亡人があなたの名刺を持っていましたと連絡がくるけれど、主人公はまったく心あたりはない、という。その女性が何者なのかを旅をして調べていくなかで主人公が人間として成長していくドラマを描く、という感じの、まだふわふわとした感じの設定でしたが、〝それを膨らませる形でいきましょう〟と言っていただきました」

 その後、主人公の設定は刑事ではなく元刑事となった。

「捜査一課の刑事だと警察の権限を使って調べてわりとすぐに女性の身元が分かるだろうと思って。主人公が故人の身元を探るのが困難になる方法を考えました。それに、身元を探るだけの物語では『ある行旅死亡人の物語』をなぞるだけの話になってしまいますよね。それで、身元不明の女性が持っていた自分の名刺についての謎を解いていくことにしました」

 児童相談所の支援員という職業については、

「以前ニュースを見ていた時に、刑事を定年退職した男性が児童相談所に臨時雇用された話がとりあげられていて。児童の親の中には威圧的な行動をする人もいるようで、そういう時に元刑事の男性が立ち会い、もしトラブルがあれば間に入るんだそうです。これはいつか何かで使えるなと思っていました」

 年下の先輩職員と各家庭を回りながら、新内の胸には複雑な思いがよぎる。実は彼には、辛い過去と秘密がある。しつこい宝生を無下にできないのも、彼が新内の秘密を知っているそぶりを見せるからである。

「新内が女性の身元を調べる動機が、単なる好奇心では薄いなと思いました。それを含めて彼の人物像を考えていくうちに、刑事を続けていけないくらい心が折れる出来事があった人物でないと成り立たないなと思って。新内の過去を作ることができた時、この物語はうまくいく、という手ごたえを感じました」

 やがて明かされる彼の過去の出来事は読んでいるこちらも苦しくなり、彼の抱える秘密には呆然としてしまう。それを利用しようとする宝生には、得体のしれなさを感じる。宝生については、以前から頭の中にぼんやりとあったキャラクターが原型だという。

「私が日頃書いている警察小説は、刑事が地道に証拠を積み上げていって犯人を見つけるところが魅力のひとつだと思っています。それとは別に、科学的な証拠はないけれど、ロジックを突き詰めていくと犯人はこの人しかいない、という展開もいつか書いてみたかったんです。その時に宝生のような、何を考えているか分からないタイプを探偵役に使いたくて、人物像ファイルにストックしてありました。そこから引っ張り出してきてこの物語に入れてみたら、新内との対比としてもいいキャラクターに育ってくれました。新内は自ら進んで行動するわけでないのですが、宝生を一枚嚙ませることによって否応なしに探らなくてはいけなくなる。動機づけとして、宝生はいい役割をしてくれました」

 もう1人の主人公についてはどうか。

「繰り返しになりますが、女性の身元を探る話だけだと、『ある行旅死亡人の物語』をなぞるだけになってしまうので、もうひとつ謎を出すことにして、道警の捜査一課の刑事の砂本をもう1人の主人公にしました。新内という元刑事が追いかける行旅死亡人の謎と、砂本が追いかける事件の謎という、2本立てでいこうと決めました」

 砂本は現在、石狩放水路の脇の遊歩道で見つかった変死体の事件に当たっている。検視の結果、男性は車にはねられたとみなされたが、遊歩道に車両は進入できない。そのため故人は別の場所で事故に遭い、ここに運ばれたと思われた。交通課と一課の合同捜査が開始されるが、捜査は交通課主導で進み、砂本は若干部外者の扱いである。そんな彼が被害者、工藤の自宅の部屋から見つけたのは、かつての上司、新内の名刺。が、新内に聞くと、工藤と面識はないという。

「警察にはいろんな職種がありますが、交通課はなかなか小説の中でクローズアップされる機会がないので、書いてみたかったんです。ただ、交通捜査課の人間を主人公にすると物証を拾い集め、目撃者を探し、防犯カメラの映像を探すという地道な作業になるので物語がうまく転がってくれなくて。それで、一課の砂本を主人公にして、交通課の捜査の助っ人として登場させることにしました」

 砂本は浅香という、交通捜査課の年上の女性捜査員と行動をともにする。浅香が、事故直前の被害者の行動を気にする砂本を見て、交通課と捜査課では180度文化が違う、と語る場面がある。「こっちは被害者の行動云々より、まず加害者がどうだったかを考えます」と彼女は言う。

「一課の砂本は被害者と加害者の間に面識はなかったのかをまず考えるのが習性で、交通課の浅香は被害者は偶然そこに現れた人であり、まずは加害者にスピード違反や脇見や飲酒などの問題がなかったかを追うのが習性。その文化の違いは明確に伝わるようにしたかったところです。この物語で結局事件の真相に近づくのは砂本ですが、そこを強調するとまるで交通捜査課がなにもしなかったかのように読み取れてしまうので、それは避けたかった」

 ほどなく事故を起こした車両と持ち主は特定されるが、当該車のなかから見つかったのは、車の持ち主、今永の他殺体だ。殺人事件として、砂本は改めて捜査に当たっていく。

 砂本のプライベートも複雑だ。幼い頃に母親が出奔、そこからは父親と2人で暮らしてきた。その父親は北海道開発局に勤務したのち定年を迎え、物語の始まりの段階では入院中だ。砂本には結婚歴があるが離婚。アルコールに溺れた時期があり、現在は断酒している。

「いつかアルコール依存症の刑事を書きたかったんですよね。アメリカのミステリだと、アルコールや薬物への依存を隠しながらギリギリなところで職務を行っている刑事は結構登場するんです。ただ、日本だとそういう設定にすると〝さすがにそれは懲戒免職だよね〟となってしまう。使いどころが難しいキャラクターだなというのが頭にありましたが、今回その設定を砂本に乗せてみたら、過去の失敗や母親に対する思いとうまくリンクできました」

 砂本は母親の気持ちというものが分からない。ひき逃げ事件の被害者、工藤の母親が悲嘆にくれていても無神経な発言をし、子供のいる浅香に睨まれる場面もある。

「途中で気づいたのですが、ひき逃げ事件の被害者の母親にしろ新内が児童相談所の仕事で出会う女性たちにしろ、今回の物語の女性は母親である人が多いんですよね。母性の数珠繫ぎだなと思い、それで浅香にも子供がいることにしたんです。浅香の母親の側面を強調しても物語の中で浮くので最終的には削りましたが、母性の浅香と母性が分からない砂本、という対比は考えました」

 舞台となる北海道の土地や歴史も盛り込まれる。そのなかで、印象的なモチーフとなっているのが川だ。砂本の父親が北海道開発局で河川管理を担う技術者であったこと、ひき逃げ遺体の見つかった場所が茨戸川に繫がる石狩放水路のそばであることなど、川に関する出来事がいくつも描かれる。

「砂本の父親の職業を書いた後で、これは川繫がりでいくつかエピソードを出したほうが面白いだろうと思って。ひき逃げ事故の遺体が見つかった場所も川のそばにしたいと思った時に、前から知っている場所が浮かびました。私の家から車で1時間弱走ったところに、夜になると人も車も通らない場所があって、前々からそこを通るたびに、もしもここに死体があったら目撃者がいないから迷宮入りするんじゃないかな、とちょっと考えていたんです(笑)。それで、遺体が見つかるのはあの場所にしよう、でもあそこは近くに車道がないから、ひき逃げ事件の死体があるのはおかしい、これは死体遺棄事件だ、じゃあ捜査一課が出なきゃ……と、頭の中で勝手に展開していってくれました」

 一方、新内は松川美和の足跡をたどって道内を旅し、かつては栄えた炭鉱町などにも足を運ぶ。1人の女性の歩んできた人生行路の背景に、道内各地の過去の面影が見えてくる。

「最初から北海道の近代史を絡めようと考えていたわけではないんです。でも、行旅死亡人の女性は67歳で亡くなっていて、家を出てから50年くらい経っている。その間には彼女の歴史もあるし、彼女が暮らした町の歴史もあると考えた時、彼女の生活だけを追いかけるよりも、町の歴史も絡めたほうが、彼女の人生がよりクローズアップされると思いました。それと、冒頭からずっと川や海など水気のある場所を主に描いてきたので、山も書きたいなと思って(笑)。そうなると炭鉱も外せないということで、今は寂れた炭鉱町を登場させました」

 松川美和はどんな人生を辿ったのか、美和を名乗る女性はいったい誰だったのか。真相を追求していくなかで、2人の女性の人生模様が浮かび上がってくる。すべてが明らかになった時には、新内と砂本の人生の物語にも、読者は思いをはせることになる。

 警察の権限を使えない元刑事による調査という、これまでの著作とはまた異なる設定で、濃密なドラマを描き出した伏尾さん。

「この小説もジャンルとしては警察小説のカテゴリーに置かれるのかもしれませんが、過去の4作と比べると、ちょっとバリエーションの幅が広がった作品にはなったなと思っています」

 今後そのバリエーションの幅はさらに広がっていくのだろうか。

「そうですね。ただ、今は〝伏尾美紀=警察小説〟みたいな認知が定着しつつあるので、しばらくは警察小説を軸足に置いて書き続けていこうと思っています。そのなかで、今回のように、必ずしも捜査一課の刑事が主人公ではない設定など、ちょっとずつアレンジをしていければ、とは思います」

 ちなみに10月に刊行される予定の『凍りつく夏』は、

「道警の捜査一課の刑事が主人公の、ド直球の警察小説です(笑)。札幌の住宅街で少年と思しき白骨死体が見つかって、主人公がその身元を探っていく……という内容です」

誰何

『誰何』
伏尾美紀=著
光文社

伏尾美紀(ふしお・みき)
1967年北海道生まれ。北海道在住。2021年『北緯43度のコールドケース』で第67回江戸川乱歩賞を受賞し、デビュー。25年刊行の『百年の時効』で第28回大藪春彦賞、第47回吉川英治文学新人賞、第79回日本推理作家協会賞〈長編および連作短編集部門〉を受賞し、3冠を達成。その他の著書に『数学の女王』『最悪の相棒』がある。10月15日に最新作『凍りつく夏』刊行予定。


連載[担当編集者だけが知っている名作・作家秘話] 第45話 加賀乙彦さんと高山右近
TOPへ戻る