永井紗耶子『木挽町のあだ討ち』

物語らしい物語を

永井紗耶子『木挽町のあだ討ち』

 江戸の商人を題材とした『商う狼』は新田次郎文学賞ほか三冠に輝き、鎌倉幕府に関わる女性たちを描いた『女人入眼』は直木賞候補となった。歴史時代小説作家・永井紗耶子への注目が高まっている。最新作『木挽町のあだ討ち』は江戸期の芝居街で起きたあまりに「劇的」な仇討ち事件の真相を目撃者たちの証言から綴る。時代小説としてはもちろん、本格ミステリーとしても抜群の仕上がりだ。


仇討ちものだけどスッキリさせたい

 劇場とともに関係者たちが暮らす家屋が建ち並ぶ、江戸時代有数の芝居街として知られる木挽町(現在の中央区銀座の東部)は、第一一回小学館文庫小説賞を受賞したデビュー作『部屋住み遠山金四郎 絡繰り心中』(文庫化の際に改題)の舞台でもある。第九作となる『木挽町のあだ討ち』で、著者は再びこの地を選んだ。一方で今回は、芝居街に生きる人々を主人公とした。

「デビュー作もそうだったんですが、私は江戸ものを書く時に華やかさが欲しいと思うとつい、芝居のシーンを入れてしまうんです。あちこちで歌舞伎の話をばらまいていたところ、よっぽど好きなんだということがバレまして(笑)、編集者の方に〝芝居の話をやりませんか?〟と声をかけていただきました。おそらく(市川)團十郎といった有名な役者さんの話をお求めなんだろうなと思いつつ、〝以前からやってみたいことがあったんです〟と提出した最初の案が、歌舞伎の裏方ばっかりが出てくる今回のお話でした」

 着想の出発点は、歌舞伎の定番として知られる仇討ちものに対する違和感だった。

「仇討ちものの歌舞伎を観ていると、いつもモヤッとするんですよ。相手を殺して終わるという決着はただ単純に喜ベるものではないし、仇を討った側の心情も相当しんどいだろうと思ってしまう。じゃあ、どういうラストだったら仇討ちの醍醐味がありながらもスッキリするものになるだろう、これだったらば……と考えていきました」

芝居街に辿り着く経路はそれぞれだが思いは一緒

 睦月晦日の雪の降る晩、白装束の上に赤い振袖を羽織り女性になりすましていた青年・菊之助は、女と見違えて声をかけてきた博徒の作兵衛に、己の正体を告げた。「我こそは伊納清左衛門が一子、菊之助。その方、作兵衛こそ我が父の仇。いざ尋常に勝負」。やがて菊之助の白装束は紅に染まり、「討ち取ったあり」と作兵衛の首を高々と掲げた。芝居街・木挽町で起きた世にいう「木挽町の仇討ち」から二年後、謎の青年が仇討ちの目撃者たちを訪ね歩く。実は、仇討ちを掲げて郷里を出た菊之助は、木挽町で暮らし芝居の手伝いをしていたのだ。菊之助の縁者だという青年は、事件の詳細について問うのみならず、それぞれの「来し方」も聞かせてほしいと言う。一幕ごとに異なる目撃者=語り手が、事の次第と己の人生を語り出す。

「最後の結末やどうしても見せたい場面を作るために、どういう人物にどういう順番で出てきてもらうのが一番ふさわしいか、構成にはこだわりました。木戸芸者、立師、女形の衣装係、小道具職人、筋書(歌舞伎作者)というふうに仕事をばらつかせたかったのはもちろんのこと、それぞれのプロフィールの外側に江戸の社会が見えるようにしたかったんです」

 例えば第一幕の語り手となる木戸芸者の一八は、吉原出身だ。

「第五幕に出てくる筋書の金治は旗本出身、武家出身で、芝居の世界に入る前はかなりリッチな生活を送っていました。その一方で一八は、吉原に生まれた女郎の子供です。女の子だったらそのまま遊女になるんだけれども、男の子は肩身の狭い思いをしてきたはずなんですよね。火葬場の職業従事者という被差別の人たちの存在や、武家に生まれたけれども武士にすんなりなれなかった人たちも当時の江戸にはたくさんいました」

 作中の言葉を使うならば、登場人物たちはみな生育環境がもたらす〈道理や筋にがんじがらめに縛られ〉ていた。そこから自由になれる場所が、芝居街だったのだ。

「彼らが芝居街に辿り着く経路はそれぞれなんだけれども、思いは一緒なんですよね。芝居によって救われたということ、芝居街に自分の居場所を見つけたんだということです。逆に言うとその思いだけは決まっていて、登場人物たちがそれぞれ何をしゃべるかは事前にほぼ何も決めていなかったんです。書きながら〝えっ、あなたそんなことがあったの!?〟と、彼らの語りに驚かされることが多々ありました」

 芝居街に菊之助が入り込んだのは、必然だった。幕が進むうちにあらわになるのは、菊之助が仇討ちなどしたくはないという事実だった──。

アンリアルだからこそ表現できるものがある

 冒頭でミステリーの王道である「首切り」の殺人事件が勃発し、探偵役が目撃者の証言を集めながら、その謎と真相に迫る。本作は、堂々たる本格ミステリーだ。

「ミステリーを書こうとしてスタートしたわけではなかったんですが、私は読んでいる本の量としては時代小説よりもミステリーの方が多いくらい大好きですし、時代ものを読み慣れていない方にも楽しんでいただくために、ミステリー的な演出も入れてみたいな、と思ったんです」

 何より素晴らしいのは、本作におけるサプライズ&ロジックは、時代小説だったからこそ可能になったという点だ。時代ものと本格ミステリーの美しい融合が実現している。

「いろんな意味で、時代小説だからできる話なんですよね。これを現代ものとしてやろうとしたら、仇討ちのシーンで通行人がみんな写真や動画を撮っちゃうでしょうから、明白な証拠が残ってしまい複数の解釈は成立しようもない。一般の人たちが、リアリティというものをどの程度認識しているのかという問題もあります。現代の人たちは、映画やドラマやドキュメンタリーなどで、なまなましい殺人の映像を目にしているじゃないですか。江戸の人々はそれらを目にしていないわけで、殺人というものへの認識の解像度には大きな差があるんです」

 時代ものと本格ミステリーには、重なる部分があるかもしれないと言う。

「時代ものは、自分たちが今いる時代や場所から離れて、ぽんっと異世界へ入っていく感覚があります。ミステリーも似ている部分があって、私が昔新聞記者をしていた頃の友人から言われた言葉が忘れられないんですが、〝家元はそんなに死なん〟〝京都で起きる殺人は、だいたいアパートとかで起きんねん!〟と(笑)。だけど、やっぱり〝家元殺人事件、現場は歌舞伎の舞台!〟というケレン味があった方が、ドラマとしての特別な悦楽を味わえるじゃないですか」

 現実と物語が繋がりすぎていると、現実がちらついてしまって読みこなしづらい。そう感じることもある。

「ここにあるのはフィクションですというボーダーがきっちり引かれていて、そこを常に意識しながら鑑賞する物語の方が楽しめるのかもしれないですよね。〝あなたの隣で起きていることです〟と言われているものよりも、アンリアルな物語の中に〝あるよね、こういう悔しさ〟とか〝あるよね、こういう悲しさ〟という感情や、今の自分が抱えている問題などが書かれている方が、まっすぐ読者に届くかもしれないと思うんです」

 本作であれば、「家族という呪い」や「自由」というテーマがそうだ。

「今の社会と似たような問題は、過去にもありました。家族を大事にしようとしすぎるあまり自由を奪われる感覚は、江戸時代における忠義や孝行といった儒学的な発想から始まる、歴史的な呪いだとも思うんです」

 その意味でも、時代小説で現代に通ずる社会問題を描くことには意義がある。現代を別の視点から捉える方法が、著者にとっての時代小説なのだ。

「ノンフィクションやドキュメンタリー、報道は、きちんと事実関係に当たりリアルに向かって突き進んでいくことが必要だと思います。一般の人たちのSNSやブログを読んだり、ネットにアップされているなまなましい映像を再生すれば、簡単に今起きているリアルに触れることもできます。そう考えた時に、物語を読む必要性ってどこにあるのか。物語がリアリティで現実に対抗しようとしても限界があるというか、やればやるほど現実のフェイクになりかねないと思うんです。時代ものは、等身大の現実を描いたお話とは違いアンリアルなものではある。だからこそ、表現できるものがある。それは〝物語らしい物語〟だと私は思うんです」


木挽町のあだ討ち

新潮社

ある雪の降る夜に芝居小屋のすぐそばで、美しい若衆・菊之助による仇討ちがみごとに成し遂げられた。父親を殺めた下男を斬り、その血まみれの首を高く掲げた快挙は多くの人々から賞賛された。二年の後、菊之助の縁者という侍が仇討ちの顛末を知りたいと、芝居小屋を訪れる。一幕ごとに菊之助を知る〈語り部〉がかわり、新たな真相が別の角度から映し出されていく。時代小説にして、出色の本格ミステリーでもある。


永井紗耶子(ながい・さやこ)
1977年、神奈川県出身。慶應義塾大学文学部卒。新聞記者を経て、フリーに。2010年、「絡繰り心中」で小学館文庫小説賞を受賞し、デビュー。『商う狼 江戸商人 杉本茂十郎』は、細谷正充賞、本屋が選ぶ時代小説大賞、新田次郎文学賞を受賞。『女人入眼』が第一六七回直木賞の候補作に。他の著書に『大奥づとめ よろずおつとめ申し候』『福を届けよ 日本橋紙問屋商い心得』『横濱王』などがある。

(文・取材/吉田大助  撮影/太田真三)
〈「STORY BOX」2023年4月号掲載〉

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