阿部智里さん『弥栄の烏』

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正義と悪は反転する

著者近影(写真)
阿部智里さん

イントロ

大学在学中、二〇歳の時に「烏に単は似合わない」で松本清張賞を史上最年少受賞した阿部智里は、 毎夏に一冊ペースでデビュー作から始まる〈八咫烏シリーズ〉を書き継いできた。 このたび刊行された第六作『弥栄の烏』は、「第一部」完結作とアナウンスされている。 すべてはこの一作を書き上げるために、歩んできた道のりだった。

 山内と名付けられた異世界を舞台にした和風ファンタジー〈八咫烏シリーズ〉の第六作『弥栄の烏』では、八咫烏の一族と宿敵・大猿との最終決戦が描かれている。

「これまではシリーズのどこからでも、単体で読めるよう意識してきたんですが、同じことをすると最終巻としての役割が軽くなってしまう。この巻を手にする方は、過去五巻を読んでくださっているであろうことを前提に、最終巻の色を強くする方向で書こうと思いました」

 ここで描かれているのは、「テロの時代」とも称される二一世紀型の戦争だ。八咫烏の視点で読み進めてきた読者にとって、「テロリスト」は大猿であり「悪」であると位置づけられる。八咫烏側のある人物は、仲間を鼓舞するため「正義」を叫ぶ。だが──。

「八咫烏たちが猿を抹殺して気持ち良くハッピーエンドを迎える、という話であれば私が書く必要はありません。そんなものを書いてしまったら、これまでの全行程が水の泡になる。私が『弥栄の烏』で絶対に書きたかったのは、猿側の論理でした。シリーズもので一番力を見せる所は最終巻だと、『烏に単は似合わない』(第一巻)を書いている時から思っていました。視点が変われば正義と悪の見え方も変わるということを、この巻で突きつけたかった。シリーズを追いかけてくださった読者さんと・ああ、こうなっちゃったかぁ・という絶望感を共有したかったんです。そして読み終えた後で、例えば集団が狂信的な叫びをあげているのを目にした時に、読者さんの胸にヒヤッとしたものをよぎらせたかった」

 本シリーズはファンタジーだが……いや、ファンタジーだからこそ、現実を色濃く映し出しているのだ。

「作家が作品を通してできることは、”私にはこういうふうに、私たちの生きている世界の現実が見えているけれど、みなさんはどうですか?„という、現状に対する問いかけだと思うんです。でも、現実世界を舞台にした場合は、読者さんが所属しているコミュニティだったり、アイデンティティといったバイアスがどうしてもかかってきてしまうんですよね。異世界を舞台にすることで、それを取り払うことができる。そのうえで、現実世界で起きている問題を普遍化し、正義と悪といった大きなテーマを表現できるのが、ファンタジーというジャンルの強みなのではないでしょうか」

 

「今に見てろよ!」と
思いながら書いていた

 本シリーズの出発点は、高校生の時に書いた『玉依姫』(第五巻)のプロトタイプだった。二年生の時、松本清張賞に投稿し、二次選考まで残った。

「小学二年生の時に『ハリー・ポッター』シリーズの影響を受けて、自分でもファンタジーを書きたい、作家を一生の仕事にしようと決めました。習作を重ねていって、初めて書いた和風ファンタジーが『玉依姫』です。赤ん坊の神様を現代の女子高生が育てることになる、という大筋は変わっていません。ただ、八咫烏はあくまで脇役として登場させていたんです。どこか魅力を感じて、次は八咫烏が主人公の話を書きたいと思いました」

 その後すぐには執筆に向かわず、受験勉強に励んだ。二〇一〇年、現役で早稲田大学文化構想学部に合格する。

「八咫烏の話を書くためには、日本の神話や歴史を勉強する必要がありました。大学に行ったこと自体が、小説のためだったんです。今も博士課程(早稲田大学大学院文学研究科)に籍を置いています。論文も書きましたが、私が一番やりたいことは小説を書くことであって、そのために研究をしている。私にとっては小説こそが、研究の成果物なんです」

 大学三年生の時、『烏に単は似合わない』で松本清張賞をリベンジ受賞する。八咫烏一族の頂点に立つ「金烏」こと若宮の、后選びの物語だ。お姫様目線で描かれた第一作の事件の顛末を、若宮の側近となる少年・雪哉の視点から語り直したのが第二作『烏は主を選ばない』だが、文体がまるで違うことに驚かされる。

「文体は意識していないんです。第一作に出てくる后候補の姫たちは、宮廷というごく小さな世界で生きています。彼女たちの見ている世界に合わせてチューニングすると、衣の手触りやお香の香り、窓から見える外の風景を細かく描写することになる。一方で、大自然の中でのびのびと育ち、宮廷と外部を行き来する雪哉という少年に合わせてチューニングすると、彼女たちの視点とはまったく違うものが見えてくる。選び取った視点の違いによって、必然的に文章の変化が生じたんだと思います」

 山神さまは何者で、どこからやって来たのか。八咫烏が支配する山内という地はどのように作られ、金烏が果たすべき役割とは何なのか? 第一作と第二作ではあえて、それらの「謎」に迫ることはしなかった。

「三巻が本編の起承転結の起に当たり、最初の二巻は前日譚の・表・と・裏・というイメージです。前日譚で山内という、山の内側にある八咫烏たちが暮らす世界をしっかり描写しておくことが、のちの展開のインパクトに繋がると判断しました」

 第三巻『黄金の烏』で異形の大猿との初めての邂逅が描き出され、この世界にまつわる「謎」がクローズアップされる。シリーズ全体のうねりを高めたポイントは、第四巻『空棺の烏』だ。

「これから猿との大合戦だと思っていた読者さんは、”学園モノを始めやがったぞ!„と驚かれたようです。それに対するこちらのリアクションは、”今に見てろよ!„でした(笑)。ここで明るく楽しい話を書いておかなかったら、続く展開に重みが出なかった。名前のないキャラクターが死んでも意味がありません。主人公の周りにいる登場人物までしっかりとキャラを立てるため、必要な一巻だったと思っています」

 そして全面リライトをほどこした第五巻『玉依姫』を経て、第一部完結巻となる第六作『弥栄の烏』が現れる。

 

キャラや世界観以上に
作り上げたものは歴史

「シリーズは全二部の予定ですが、第一作を書き終えた段階で、第二部のラストまでの構想はほぼできていました。私が一番力を入れて作っているのは、表面的なストーリーやキャラクター、世界観ではなく、歴史なんです。山内における歴史的な事実をぶわーっと築き上げていく作業は、最初の時点でほとんどやり終えていました」

 ラストまで見通したうえで、目の前の物語を書く。そのスタンスは、読書体験から学んだことだったと言う。

「小野不由美さんの『ゴーストハント』シリーズが凄まじいんですよ。主人公が冒頭から抱えていた違和感が、最終巻のあるシーンで氷解する。その一瞬の輝きのために、それまでの全行程を書いているとも言えるんです。読み返してみた時、一巻から丁寧に伏線を張っていることにも驚かされました。伏線に気付かなくても面白かったんだけれども、気付いた後で読むとひとつひとつの意味が変わって見える。シリーズものはこういうふうに構成すればいいんだ、と教えてもらった気がします」

 先達からの学びを実行した第一部完結巻『弥栄の烏』は、異世界の成り立ちにまつわるすべての「謎」が明かされ、次代へと繋がる風景が描かれた。ここから第一巻に戻り、シリーズを読み返す楽しみもあるが、第二部の開幕も待ち遠しい。

「実は『弥栄の烏』を書き終えた時に、私としてはここでシリーズ自体を終えていいんじゃないかなという思いもあったんです。ただ、読者さんからの感想を伺うと、続きを待ってくださっている方が非常に多かった。こうなったら腹をくくって、第二部も頑張って書いていこうと思います」

 第二部は、来夏に刊行が予定されている「番外編」の後で開幕するという。第一部の大団円の先にどのような歴史が紡がれ、ラストでどのような体験を読み手は突きつけられることになるのだろうか。

著者名(読みがな付き)
阿部智里(あべ・ちさと)

著者プロフィール

1991年群馬県生まれ。早稲田大学在学中の2012年、『烏に単は似合わない』で松本清張賞を史上最年少受賞。14年には早稲田大学大学院文学研究科に進学。デビュー以来、『烏は主を選ばない』『黄金の烏』『空棺の烏』『玉依姫』を毎年1冊ずつ刊行し、本作で6作目となる「八咫烏」シリーズは累計85万部を超える大ベストセラーに。

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