一穂ミチ『スモールワールズ』

隣人を愛する

一穂ミチ『スモールワールズ』

 同人誌活動を経て二〇〇八年に商業デビューし、ボーイズラブ小説界をメインに活躍してきた一穂ミチによる、一般文芸作が発売前から注目を集めている。
 全六編収録の短編集『スモールワールズ』は、老若男女さまざまな組み合わせによって綴られる人間ドラマであり、高品質なミステリーでもある。


私のミステリーはいわば〝かにかま〟

 取材前日、収録作「ピクニック」が日本推理作家協会賞短編部門にノミネート、というニュースが報じられた。

「どうしよう、かにかまが蟹の品評会に出てしまった、と正直あたふたしています(笑)。でも、あなたが書いたものはミステリーだよ、と言っていただけた気がして、ものすごく嬉しかったです」

 もともとBL専門レーベルで作品を発表してきた一穂ミチが、講談社の一般文芸の編集者から初めて連絡を受けたのは、二〇一五年のことだった。書き下ろし長編をという依頼だったが、いいアイデアが思い浮かばないまま時は流れた。

「二〇一九年に入ったところで改めて、『小説現代』のリニューアルに合わせて〝歪な家族〟をテーマにした連作短編を、というお話をいただきました。短編なら書きやすいかなと思ったのと、〝歪な家族〟について考えているうちに、〝歪じゃない家族ってあるんだろうか?〟と疑問に思い始めたんです。外からは見えないとしても、どんな家だって中に入ってみれば、それなりの歪さはある」

 そこに宿る秘密の感触が、想像力を刺激したのだ。

「六編はアソート(詰め合わせ)のお菓子みたいにしたいなと思いました。いろいろな形や味を用意しておけば、読んでくれた方がその中で一個ぐらいは〝これ好きだな〟と言ってくれる確率が高まりますよね」

 BLには男性同士の恋愛を描くという絶対的なルールがあるが、一般文芸は自由だ。初めて足を踏み入れるフィールドへの不安から、近付いていくこととなった物語ジャンルがある。それが、ミステリーだ。

「BLは、メインの男性二人が最後にくっついて終わる、ハッピーエンドがお約束なんです。そこに至る過程では何を書くかというと、ときめきなんですよね。書き手に何を求められているかが、ものすごく明確なジャンルなんです。

 一般文芸ではオチにしろ感情にしろなんでもアリで自由に書けるぶん、読者さんに楽しんでいただけるのかが非常に不安でした。お話の早い段階で〝お?〟と思うフックを作ったうえで、想像を裏切るような展開を作る。とにかく最後まで読んでもらえるようにという一心でお話を作っていったら、結果的にミステリーっぽいものになったんです。だから、かにかまです(笑)」

小説の中ではいつもよりもちょっとだけ優しくなれる

 執筆順に収録された全六編はいずれも、日常からほんの少しはみ出したシチュエーションと人間関係が採用されている。

 第一編「ネオンテトラ」は夫との不和に悩む三〇代半ばの美和が、夜のコンビニのイートインスペースで、中学生の姪っ子と同じクラスの少年・笙一と束の間の交流を繰り返す。

「BLはキャラの属性から始めることが多いんですが、今回の六編は着想の仕方がバラバラでした。一編目は、ネオンテトラという熱帯魚の音の響きが好きなので、これをタイトルにした小説を書こうかなぁと思ったら、部屋の中に水槽だけがぽつんとある光景が浮かんだんです。ネオンテトラは自然繁殖ができない、というところから女の人の不妊というテーマが出てきて、そこから連想を広げていったら……結構な苦味のある話になりました(笑)」

 二編目「魔王の帰還」は、「明るくて漫画っぽいもの」というイメージをもとに構想を練った。

 前半部は「魔王」というあだ名を持つ姉・真央と、高校生の弟・鉄二に同級生の菜々子を交えたコメディ路線だが、とあるエピソードで空気がガラッと変わる。

「鉄二が真央の秘密に触れてしまうシーンは最初からプロットに織り込まれていたんですが、実際に書いてみると、その手前のシーンで書いた〝気持ちで負ける〟という言葉と共鳴していく感覚がありました。豪放磊落を絵に描いたような真央が、どうしていわば逃げるかたちで出戻ることになったのか、その心情を理解できたというか」

 読み手の脳裏に、登場人物たちの関係性を焼き付けるようなエピソード選びが抜群にうまいのだ。しかも、それらのエピソードはミステリーの伏線としても機能している。

 日本推理作家協会賞短編部門候補作となった第三編「ピクニック」は、テレビで見たニュースが着想のきっかけだ。

「孫を虐待死させた疑いで逮捕されたおばあちゃんが、二年がかりの裁判で無罪を勝ち取ったというニュースです。裁判の結果を知らなかったら、〝ひどいことする人がいるな〟で止まっちゃっていたと思うんですよね。勝手な決めつけが引っくり返されることって当たり前にあるんだなと知って、このニュースをもとにした小説を書いてみたくなりました。最後のオチは、日野日出志さんのあるホラー漫画へのオマージュです」

 第四編「花うた」の着想は、ドキュメンタリー映画から得た。島根県にある官民協働の刑務所を長期取材した『プリズン・サークル』(二〇二〇年)だ。

「刑務所に入った人は、手紙しか外部との通信手段がないんですよね。往復書簡ものは一度やってみたかったんですが、塀の中と外という舞台がぴったりくると改めて思いました。

 被害者の遺族と加害者という、対極の立場にあるふたりが手紙のやり取りを重ねていったら、何か見えてくるものがあるんじゃないかという予感もありました」

 なぜ主人公は加害者の青年に対して苛立ちながらも、手紙を書くことをやめないのか? その心理を探っていくことで、作家自身も驚く意外な展開が現れる。

「どんな償いをしても罪は消えない。でも罪を犯したからといって人生のすべてを否定されて当然だとも思えないんです」

 第五編「愛を適量」では、再び明るさを取り戻す。同居もののコメディだ。

「よくBLに出てくるような〝イケオジ〟ではない、普通のおじさんを書いてみたかったんです。主人公が長らく会っていなかった子供と久しぶりに再会したら、まったく見覚えのない姿になっていたという設定で転がしてみたら、親子の立場の逆転が面白く書けた気がします」

 しかし、最後にはやはり人生のままならなさが顔を出す。人は、どんなに他人が羨ましかろうとも、自分の人生を生きるほかない。

〈不満を言えばきりがなかろうと、心臓が止まるまではこの容れ物で生きていくほかない。誰も、誰かと取り替えることはできない〉

 主人公はその事実を痛感することで、名も知らない隣人たちのことを〈無性にいじらしく〉感じ始める。

「私自身、リアルだとちょっとしたことで人に対して〝チッ〟と思ってしまうんです(笑)。でも小説の中では、いつもよりもちょっとだけ優しくなることができる。

 他人にはそれぞれ事情があるんだよな、きっと言いたいけど言えないことが溜まっているものだよな……と、他人のことを深く理解したいという方向に心が動くんです」

 彼女にとって、小説を書くことはきっと、隣人に対する優しい想像力を取り戻すことなのだろう。

「特別じゃない」人たちの小さな一日によぎる人生

 最終第六編「式日」は、主語を使わない──名前も顔も分からない──語り手が、高校時代の後輩から父親の葬儀に参列してくれないかと誘いを受け、彼と久しぶりに再会する物語だ。

「ハンディカメラで撮ったロードムービーみたいなイメージです。ちょっとした非日常だけど特別大きな事件が起こるわけじゃない、小さな一日の中で互いが互いの関係や人生を振り返る。冠婚葬祭、ハレもケも、『式日』ってそういう日のことなのかもしれないと思って」

 全六編中もっとも静かな読後感には、本の世界を出て現実へと再び歩き出す読者の背中に、かすかな追い風が漂う。この一冊を大切にしたい、と感じる読者が続出することだろう。

「小説の中にしか存在しないような、特別な人たちを書いたつもりはないんです。気付くか気付かないかだけで、この本で書いたような人たちは、自分の身の回りに普通にいると思うんです」

 一穂ミチの小説に触れることで、読者もまた隣人への想像力を取り戻せるのだ。


スモールワールズ

講談社

登場人物の「世代」も「性別」も、そして「読み味」も異なる6編からなる。なかでも「花うた」は異色作。被害者遺族と受刑者の往復書簡で構成される。手紙を交わすたびに形をかえる二人の関係性、そしてその結末が胸に迫る。発売前から話題を集めた、上半期一番の注目作。


一穂ミチ(いちほ・みち)
2008年『雪よ林檎の香のごとく』でデビュー。BL小説にて支持を得る。劇場版アニメ化もされた『イエスかノーか半分か』など著作多数。

(文・取材/吉田大助)
〈「STORY BOX」2021年5月号掲載〉

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