「らんたん 第二部」 連載スタート記念 ◇ 柚木麻子さん特別インタビュー
世田谷にある恵泉女学園は、柚木麻子さんが中高生時代に通った母校だ。創立者、河井道は津田梅子のもとで学び、留学を経て女性の教育に尽力した人物。その型破りな人生を追うのが、WEBきらら連載の「らんたん」。三部作の第一部が終了し、第二部がスタートするこのタイミングで、執筆の背景をうかがった。
母校の創立者の女性の波乱万丈な人生を小説に
柚木麻子さんの本誌連載「らんたん」は、彼女の母校、恵泉女学園中学・高等学校の創立者、河井道をモデルにした小説である。第一部ではその幼少期から、留学などを経て学校設立の夢を抱くまでのエピソードが描かれ、いよいよスタートする第二部では、道たちがようやく学校設立に着手する。
執筆のきっかけは、2019年に発表した自作『マジカルグランマ』だったという。75歳の元女優が窮地に陥り、起死回生のために自宅をお化け屋敷に改造して集客に尽力する痛快な物語だった。
「執筆の際に、母校の通学路にあったお屋敷を取材したんです。そこは河井道先生の右腕だった一色(旧姓:渡辺)ゆりさんのご家族のお宅で、私も在学中に一度、シェイクスピア劇の牧師(劇中では神父)の衣装を借りるためお邪魔したことがありました。増改築を繰り返したすごく面白い建物だったので、小説に出そうと思ったんです」
母校の資料室に屋敷の図面があると知り訪れたところ、以前から飾られてあった一枚の写真が目に留まったという。
「よく見たら、道先生が村岡花子や広岡浅子と一緒に映っていたんですよね。なんでこんな有名な女性たちと一緒にいるんだろうと思いました。それに、一色邸はもともと道先生をサポートするために建てられた家だということも分かって。道先生のことはキリスト教への信仰心が篤く、神様のお導きがあって学校を作ることができた、というように教わっていましたが、調べていくうちに、道先生が人気者で、いろんな人からサポートを受けて人生を切り拓いたと分かりました。それに、なぜ恵泉には生徒会がないのか、なぜ生徒同士がお互いの成績を知らないのか、なぜ学校に篤姫が一色乕児に送ったという物入れがあったのか、そうした謎が解けていったんです」
河井道の生き方があまりに面白くて、ぜひ小説にしたいと思った。それも、楽しい物語にしたい、と。
「女性の偉人伝って、男性の偉人に比べたらなかなかエンタメまで降りてこない。だから、読んで楽しめる小説にしようと思いました」
女子教育に尽力した女性たち
河井道は1877年生まれ。父は伊勢神宮の神職だったが明治維新の政策により失職。祖父と父が保証人になっていた男の事業が失敗したことで大損し、一家は北海道へ移住する。道はミッション系の女学校で学び、札幌農学校で教鞭をとっていた新渡戸稲造と出会い、周囲の薦めで19歳で上京。津田梅子の家に下宿しながら学び、米国に留学。帰国後は女子英学塾(現・津田塾大学)で教え、YWCAの活動に携わり、やがて1929年、52歳の時に恵泉女学園を設立する。右腕となったのは英学塾の学校の生徒だった渡辺ゆりで、彼女が一色乕児と結婚した後も、夫婦は道と共に歩んだという。
膨大な量の資料を読み込み、各方面にも取材を重ねてきたという柚木さん。
「母校の史料室からいろいろ情報をいただいたり、卒業生の80代、90代の方にもお話をうかがったりしています。それにあの時代の人たちの本を読むと、どこかで道先生が出てくることが多いんですよ。もう『ウォーリーをさがせ!』のような気分でいろんな本を読んでいます(笑)。小説はある部分は史実に基づいていますが、誰にも確かめようのない部分を含め私の想像で書いている部分も多いです」
大きな助けとなっているのはゆりさんの娘で後に恵泉で教鞭をとった義子さん。会うたびにいろいろ教えてくれるという。
「ゆりさんは大家族で育ったお嬢さんらしく、無邪気で明るくて天真爛漫だったとか。でも一度こうと決めたらきかないところがあったそうです。道先生は強い女性ですが、密かに悩んだり、迷ったりすることもあったので、ゆりさんがそれを支えていたんだなと思います」
彼女たちは協力しあい、女子教育へと力を注いでいく。
「道先生は留学の時に学んだシェアの精神で、日本をよくしようとしていたんですよね。自分が見聞きしてきたいいものをみんなにとシェアしようとするのって、今でいうとインスタみたいなもの。テレビもネットもない時代、道先生は動くSNSみたいな存在だったんじゃないかな(笑)」
当時のオールスター勢ぞろい
それにしても次から次へと当時の有名人が登場するので驚く。
「まさにオールスターです。第二部、第三部も含めてどんどん意外な人たちが出てきますよ」
教育関連の人たちが登場するのはまだ分かるが、たとえば米国に留学中に野口英世と出会っているのは意外。しかも、野口が道を口説いているのだ。
「実際、彼の友達への私信に道先生のことを書いていると、義子先生の本で知りました。そこから、私が想像をふくらませました。どうやら気にはなっていた様子。道先生はたぶん気付いてはいなかったんじゃないのかな」
一方、ユーモラスなのが、北海道時代に知遇を得た有島武郎との関係だ。
「有島武郎って、今いたら絶対にエゴサするタイプ。道先生とは少女漫画に出てくるような関係で、彼は新作を書くとわざわざ道先生に見せに行くんだけれども、マジギレされている。イケメンでモテモテなのに、なぜか道先生に『面白い』って言ってもらうことを目指していて、不思議な執着を見せているんです」
また、英学塾には後に活躍する女性たちが集まっている。「青鞜」を刊行した平塚明(平塚らいてう)、スキャンダルののちに議員になった神近市子、婦人運動で高く評価されている青山菊栄(山川菊栄)……。
「神近市子と道先生がどれだけ親しかったのかは分からないんですが、同じ勉強会に出席しているし、ゆりさんのお葬式に市子が来ていたのではないか、と恵泉で聞きました。彼女は恵泉に来たという話も耳に挟み、そこからいろいろと考えていきました」
市子は社会活動家の大杉栄とその妻と伊藤野枝との四角関係の末に大杉を刺し、服役した人物としても知られている。
「最近、アナキストの伊藤野枝のほうが人気がありますが、野枝は勢いとカリスマ性はあったけれど、一人でじっくり考えた人だという印象はないんですよね。市子はすごく不器用。野枝とバチバチの関係だったと言われているけれど、自伝を読むと野枝のことを魅力的に書いている。憧れていたんでしょうね」
山川菊栄に関しては、
「帝国主義や天皇制、植民地支配にも疑問を呈して、あれだけ権力に反発していたのに、労働省の初代婦人少年局長に就任した。そこで婦人少年局職員室の職員全員に女性を採用するという山川人事をやってのけるんです。働く女性たちのために尽力した人です」
他には津田梅子と留学仲間だった大山捨松や、NHKの朝ドラでも描かれた村岡花子や広岡浅子らも重要人物として出てくる。
「推測で書く部分も多いなか、分かりやすかったのは実業家の広岡浅子です。大同生命に完璧な年表が残っているし、本当に性格に裏表がないんです。彼女が〝うち、あんたのこと好きや〟って言った時は本当に好きなんですよ。広岡浅子が一人いてくれたことでずいぶん助かりました」
第一部の後半には道が大阪で財布を盗られて広岡浅子に助けられた後、飛行機から飛田遊郭反対のビラを撒くのに一役買った、というエピソードも。
「道が九州から帰る汽車の中で財布を盗まれて、広岡浅子に救われたのは事実です。同じ年に航空ショーでビラが撒かれたのも事実ですが、アメリカ人女性飛行士が撒いたのではないか、という説を取材中に耳にしたんです。でも、実際に飛んだのはアート・スミスという男性。芸者遊びをしていたという彼の手記も残っています。でも、その時期にキャサリン・スティンソンという女性飛行士も実は同じ飛行場を使っていた。彼女の研究をされている方に確認したらキャサリンはフェミニストだったというので、彼女がアートに頼んだという推理をして、ああいう展開にしました」
今に繫がるシスターフッドの物語
当時の女性たちを活き活きと描く本作。ただ、各人物の、のちの評価はさまざまだ。
「たとえば、〝当時のフェミニストは山川菊栄以外はみんな駄目だ〟という人もいます。でも山川菊栄は野枝の寄稿文に憤ったから〝反論しよう〟と覚醒したんだろうし、平塚らいてうも考えなしな部分はあったけれど、今で言うところのインフルエンサーだったから女性たちの関心を集めることに成功した。あるいは津田梅子が厳しすぎたから、カウンターとしていろんな違う女子学校ができたといえるんです。誰かがやったことが波紋となって広がって、また新しい何かが生まれているんですよね。後から見れば間違っていたとしても、とにかくやってみた人がいたから女の人たちが声を発しやすくなったのであって、誰一人欠けても今に繫がっていないと感じます。物語ではこの先戦争がはじまりますが、その時も戦争協力してしまう人がいっぱいいるし、それを今批判する人もいる。私はそうしたことも美化せず、でも面白く書こうと思っています」
どのエピソードも、女性たちが協力しあうシスターフッドの物語として読ませる点も、今の時代に読んで響いてくるものがある。
「最初に道先生について書きたいと言った時、〝一度も恋愛していないし、面白くないんじゃないか〟と言う方がいたんです。でも私は、そこが逆に新しいと感じました。道先生は当時としては長生きして、女性たちと一緒に自分がやりたいことをやった人なんです。それと、調べていくと、乕児さんの名付け親の篤姫にたどり着くんですよね。篤姫は大奥の3000人の女性たちの身の振り方を考えて尽力した人。そこから女性たちの活動の流れが始まっているんだなと感じました」
他にも、今の時代を生きる身として響く箇所がいくつもある。たとえば第一部で新渡戸稲造が言う、「日本人は(略)何か問題が起きたら、まず一人でなんとかしなくてはいけない。(略)そんな風に思い込まされていませんか?」「でも、これからはそれではダメです」といった言葉は、昨今もまだ自己責任論が根強い現状を考えると、当時からそうした市民意識があったのに、と思ってしまう。
「あれは新渡戸の伝記にあった言葉です。彼はお札の肖像画にもなりましたが、日本では過小評価されている気がします。植民地政策を疑っていなかった側面はありますが、フェミニストでリベラルで愛妻家で、反戦思想を貫いてぼろくそにいわれたという、歴史上の男性としては珍しい人です」
これから始まる第二部では学校の創立へと向かうなか、たとえば徳冨蘆花との確執などが描かれる。大山捨松の評判を落とした『不如帰』について蘆花が彼女の死の直前に詫び文を出したことの背景や、蘆花や兄の蘇峰が叔母の矢嶋楫子のスキャンダルを暴露しようとしていることを察知した道らの奮闘も。とにかく痛快で、元気をもらえる内容だ。
「そう言ってもらえてうれしいです。徳冨蘆花の詫び文や、矢嶋楫子の葬儀の顚末も、実際にあったことから私が想像を膨らませました。義子先生に〝読んで元気になるものを書いてください〟って言われているんです。第二部も派手ですが、道先生の晩年を描く第三部がいちばん派手です。楽しみにしていてください」
柚木麻子(ゆずき・あさこ)
1981年東京都生まれ。立教大学卒業後、2008年にオール讀物新人賞を受賞。10年『終点のあの子』でデビュー。15年『ナイルパーチの女子会』で山本周五郎賞受賞。近著に『BUTTER』『マジカルグランマ』。
(文・取材/瀧井朝世)
〈「WEBきらら」2021年3月号掲載〉