瀬戸正人『深瀬昌久伝』/カメラを通して「自分とは何か」を極限まで問い続けた写真家
一九六〇年代から七〇年代に強烈な存在感を放った孤高の写真家・深瀬昌久氏の伝記。ノンフィクションライターの与那原 恵が解説します。
【ポスト・ブック・レビュー この人に訊け!】
与那原 恵【ノンフィクションライター】
深瀬昌久伝
瀬戸正人 著
日本カメラ社
1800円+税
デザイン/石山さつき
謎多き孤高の写真家を追って「深淵」に迫る
数年前のことだが、パリで毎年開催される写真のアートフェア「パリ・フォト」で深瀬昌久の作品「ブクブク」の一点を見た。風呂に潜った深瀬が自らの顔を撮影したシリーズで、水中で何かを見据えたような鋭い眼をしている。
深瀬は一九九二年、バーの階段から転落し、脳挫傷を負った。不慮の事故により四十年におよぶ写真家としての活動が断たれ、以後、介護を受けながら過ごし、二〇一二年、七十八歳で没した。
近年、日本の写真家の世界的評価は高まるが、とりわけ一九六〇年代から七〇年代の森山大道・東松照明・荒木経惟、深瀬らの作品は強烈な存在感を放つ。この時代の日本のみに存在した独自性、特異な熱を帯びた写真表現だ。〈深瀬さんは、代表作の「鴉」をはじめ、「遊戯」、「洋子」、「家族」、「父の記憶」などの作品を通して、「自分とは何か」という問いを極限まで追い続けた写真家だ〉と記す写真家の瀬戸正人にとって彼は、師であり、人生の道しるべだった。
七〇年代半ば、森山の紹介で深瀬に出会い、アシスタントとして毎日のようにともに過ごし、彼が倒れたあともプリンターとして幾百枚かのプリントをしてきた。深瀬について書くつもりはなかったというが、〈この謎多き、孤高の写真家〉を再び追う旅をし、写真の深淵へと迫っていった。
北海道の写真館三代目の深瀬は、上京したのち生家で家族写真を多数撮影した。やがて猫やカラス、さらには自身の顔や手、足をフレームインさせて撮影するようになる。それらの作品には不吉な空気が漂う。〈行き過ぎる時間やそこの空間、そこに憑依する妄想が絡み合って一瞬の暗闇にスパークするエネルギーこそが写真だ〉と書く瀬戸は、深瀬と写真の関係が抜き差しならないところまで来てしまったことを感じとっていた。
深瀬が生前最後にシャッターを切った北海道のさびしい港町にたどり着いた瀬戸は、〈深瀬写真の揺るぎのないリアリティ〉を網膜に刻み、師の姿も影もない、未知なる領域の先へと踏み出していく。
(週刊ポスト 2021年2.26/3.5号より)
初出:P+D MAGAZINE(2021/02/24)