思い出の味 ◈ 小川 哲

第12回
「トースト恐怖症」
思い出の味 ◈ 小川 哲

 妹とよく、母が作っていたトーストの話をする。僕の家では毎日の朝食はトーストと決まっていて、八枚切りの食パンに、塗られるものが毎朝変わるシステムだった。バター、ママレード、イチゴジャム、ピーナッツバターなどが日替わりで塗られ、毎朝の食卓に人数分置かれていた。日によってはマヨネーズの何かやピザソースなども登場する。何か母の好みでマーガリンだけは絶対に選択されないが、それ以外は塗られる可能性のあるものならなんでも塗られた。

 そしてこの「トースト」が絶望的にまずかった。だが困ったことに、残すと怒られた。もちろん、共働きなのに毎晩夕食を作ってくれただけでなく、弁当も用意してくれた母には感謝している。だが事実として、母のトーストは僕と妹にとって毎朝通過しなければならない苦行の一つだった。

 僕が小学生だったある日、エアコンの室外機の裏に腐ったトーストが大量に破棄されているのを母が発見して、ちょっとした事件になった。犯人はすぐに発覚した。妹だった。妹は泣きながら謝っていた。母も泣きながら「毎朝あなたのために作ってあげてるのに」と怒っていた。

 母が妹に説教する過程で「お兄ちゃんはちゃんと全部食べてるよ!」と言い、僕は「そうだよ」とうなずいた。思えば、その瞬間に僕の無邪気な子供時代が終わったのだった。実は僕もトーストを捨てていた。だが僕は、妹より少しだけ知恵が回ったので、トーストをティッシュでくるみ、通学途中のゴミ箱に捨てていた。

 トースト恐怖症になっていた僕は、修学旅行の朝食で止むを得ず、母の作るもの以外では初めてのトーストを食べた。とても美味しかった。どうしてだろうか。トーストとは、熱々の食パンと、冷たいジャムやバターが織りなす温度差を楽しむ食べ物だ。横着な母は、具材を塗った状態でトーストを焼いていたので、すべてが同質的でパサパサで、喉の渇いた朝に食べると絶望的な気分になる。

 今では母とも、あのときのトーストの話をしたりする。妹は未だにトースト恐怖症だが。

小川 哲(おがわ・さとし)

2015年、第3回ハヤカワSFコンテスト〈大賞〉受賞の『ユートロニカのこちら側』でデビュー。『ゲームの王国』(2017年刊)で第38回日本SF大賞、第31回山本周五郎賞を受賞。

〈「STORY BOX」2018年10月号掲載〉