『影裏』(えいり)はここがスゴい!【芥川賞】
2017年上半期の芥川賞受賞作は、『影裏』(沼田真佑)に決定!P+D MAGAZINE編集部では、受賞作品を予想する恒例企画「勝手に座談会」を今回も開催し、第157回芥川賞の候補4作品を徹底レビューしました。果たして、編集部の受賞予想は当たっていたのでしょうか?
2017年7月19日に発表された第157回芥川賞。沼田真佑さんの『
震災後に姿を消した釣り仲間の男を捜すうちに、彼の意外な一面が明らかになってくる……というストーリーの今作。美しい情景描写を交えながらマイノリティの人々を描いた、品格のある短編小説です。
受賞発表から遡ること1週間前、P+D MAGAZINE編集部では、受賞作品を予想する恒例企画「勝手に座談会」を今回も開催。シナリオライターの
果たして、受賞予想は当たっていたのか……? 白熱した座談会の模様をお楽しみください!
座談会メンバー
トヨキ
P+D MAGAZINE編集部。
歴代の芥川賞受賞作品で好きなのは、絲山秋子『沖で待つ』。
五百蔵 容
シナリオライター。
3度の飯より物語の構造分析が好き。Perfumeはもっと好き。近作はiOS/Androidアプリ「真空管ドールズ」シナリオ。
田中
P+D MAGAZINE編集部。
『あひる』『こちらあみ子』を読んで以来、今村夏子のファンに。
目次
1. 温又柔『真ん中の子どもたち』:読みづらさはそのまま、“生きづらさ”につながっている
2. 古川真人『四時過ぎの船』:「忘れる」と「思い出す」を巡る、静かで美しい物語
3.沼田真佑『影裏』:震災のその後を描く、純文学版「君の名は。」!?
4.今村夏子『星の子』:日常と非日常が交錯する、今村ワールドの恐ろしさ
温又柔『真ん中の子どもたち』:読みづらさはそのまま、“生きづらさ”につながっている
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【あらすじ】
台湾人の母親を持つ主人公・琴子(ミーミー)と台湾人の父親を持つ琴子の友人・嘉玲(リンリン)。ふたりは上海での語学留学を通して、言語や文化の違いに翻弄されながらも成長していく……。
トヨキ:まずは『真ん中の子どもたち』から行きましょうか。台湾人の母親を持つ琴子と台湾人の父親を持つ嘉玲というふたりの少女が、上海での留学体験を通して言語とアイデンティティとの関係を見つめ直していく……というお話。私は率直に言うと、ストーリーもテーマも、ちょっと月並みに感じてしまいました。
五百蔵:たしかに、ストーリーそのものは言ってしまえばありきたりで、個々のエピソードも、スケッチレベルのわかりやすさで描かれていますよね。表面上のプロットの独自性や面白さにはあまり重点を置いていないんだろうな、という印象です。けれどたとえば、
――べんきょう、大事。でも不要太累! ベーサイ、ボー・チャア・ミーキャ。妳一定アイ・クンパー!
(勉強も大事だけど、ちゃんとおなかいっぱい食べて、たっぷり眠るのよ)
というような、日本語と中国語の表記が混ざった表現が文中に何度も出てきて、なかなか読むのに体力がいる。難解な言葉はそんなに出てこないのに、読みづらいんですよね。読者が感じるこの“読みづらい”という感覚が、作中で登場人物たちが感じているであろう、ふたつのアイデンティティを持った人間の生きづらさとシンクロしているわけで。このアイデアは文学作品ならではですし、僕は面白いと感じました。
田中:なるほど、この違和感は意図的なものなんですね。
私は、全体を通して登場人物がやや“語りすぎ”な印象を持ちました。特に、主人公自らハーフの自分たちを「あいのこ」と呼びますが、それが「愛の子」とも言える……なんてくだりは、ちょっとクサいんじゃないかな、と(笑)。わざわざ言葉にしなくてもいいんじゃないか、と思いましたね。
五百蔵:そこは国民性というか、文化の違いかもしれませんね。僕の幼なじみに帰化した台湾人の子がいるんですが、日本人から見ると、思ったことを随分ストレートに言うな、と感じることは多くて。だから、琴子たちの会話にはリアリティはあると思いますよ。
前々回の芥川賞の候補作にも、在日韓国人の少女が朝鮮学校で過ごした日々を語る『ジニのパズル』がありましたが、こういったクロスアイデンティティを持つ主人公を描いた小説は近年よく候補作に挙がるようになりましたね。
テーマ性と“読みづらさ”のしかけという点から見ても、『真ん中の子どもたち』は巧い。ただやはり、小説の長さのわりにはエピソードが弱いのでは、という批判はあるかと思います。
古川真人『四時過ぎの船』:「忘れる」と「思い出す」を巡る、静かで美しい物語
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【あらすじ】
島の古い家にひとりで暮らす老婆・吉川佐恵子と、全盲の兄・浩とともに関東で暮らす佐恵子の孫、稔。晩年、認知症を患っていた佐恵子と、佐恵子の亡き後に古い家を整理しにきた稔、それぞれの回想を通じて、ふたりは家族のことを思い出してゆく。
トヨキ:今回の4作品の中で、私はいちばん「読んでよかった」と感じました。稔が終始フラットに人と接するのもいいですし、お婆さんの佐恵子さんやお兄さんの浩といった彼の家族も皆、さりげなくお互いを気遣いながら暮らしているのが自然に描かれていて。なんて優しい視点が貫かれた物語だろう、と幸せな気持ちになりました……。
五百蔵:おそらく、この古川真人さんという小説家がいま書ける最高の作品でしょうね。アイデアもよければ構成も巧みなのだけど、理屈っぽくならず感情に迫ってくる。認知症の親や障害を持つ兄弟の介護といった問題や現代の閉塞感もよく描かれていて、傑作だと思います。
トヨキ:認知症のお婆さん・佐恵子とその孫の稔の視点が章ごとに入れ替わり、それぞれが“忘れては思い出す”ことを繰り返すという構造ですが、「病気だろうとそうでなかろうと、私たちは大事なことをすぐに忘れてしまう生き物だよね」というネガティブな結論に落ち着かず、「忘れたとしても、また思い出せばいい」という希望を最後に見せてくれるのが素敵だな、と。
五百蔵:そうですね。『コンビニ人間』(村田沙耶香)や『スクラップ・アンド・ビルド』(羽田圭介)など、近年の文学の傾向のひとつでもあると思うのですが、私たちが現代社会で生きていくにあたって突き当たる問題、たとえば高齢ニートや親の介護といったネガティブな“あるある”に触れた上で、その状況から抜け出せるかどうかではなく、現状を丸ごと肯定することができないか、という意欲を『四時過ぎの船』にも感じました。
田中:私は、1章の佐恵子さんの独白がすばらしいと思いました。「ノートを机の上に見つけた吉川佐恵子は、何もかもを思い出した。」という出だしからもう、ぐっと物語の世界に引き込まれてしまう。「何もかもを思い出した」と言ったそばから忘れて、また思い出して……を繰り返す佐恵子さんを見ながら、認知症の人の頭の中って実際にこんな感じで動いているのかもしれないな、と。
五百蔵:小説の技法としては、フォークナーやジョイスが用いた「内的独白」の一種ですね。
田中:日本の作家だと、筒井康隆などがよく用いる技法ですよね。地の文と登場人物の思考を区別せず、その意識の流れを思いつくままに綴っていくという。
五百蔵:そうですね。筒井康隆の『敵』という作品がまさにそれで、認知症にかかったある作家の内面を、内的独白を用いて描いていく話なのですが……こういった手法って『敵』のように、特殊な状況を際立たせたいときに使われることが多いんです。でも、『四時過ぎの船』のような“日常系”の小説でそれをするのは、素直にすごいと感じました。
トヨキ:私は本当に、この静かな終わり方がたまらなく好きですね……。
五百蔵:終わり方も美しいですよね。別々の時間の中にいる佐恵子と稔がかつての家の前で出会うという展開は、エンタメ小説であればもっとわかりやすく盛り上げるところだと思うんですが、この小説にはその必要がない。ラストの、場所が重なるしかけの前に、お互いを「思い出す」ことを通してふたりの心がすでに重なっているわけですから。
(次ページに続く)
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