【著者インタビュー】冲方 丁『骨灰』/暗く湿った日本のホラーのイメージを多様化する、いまの時代に必要な小説

相次ぐ大火や震災、空襲により、実は多くの人が焼け死んでいる街・東京。中でも今世紀初頭から続く渋谷駅の再開発に材を取り、個人や社会の不安の有様を書き込んだ長編ホラー。なぜこの作品をいま書いたのか、著者が想いを語ります。

【ポスト・ブック・レビュー 著者に訊け!】

東京の地下深くに眠る地獄――男は迫る怪異から家族を守ることができるのか!? 著者初の長編ホラー小説

骨灰こつばい

KADOKAWA 1980円
装丁/坂野公一(welle design)

冲方 丁

●うぶかた・とう 1977年岐阜県生まれ。4〜14歳までをシンガポールやネパールで過ごす。早稲田大学第一文学部在学中の96年、『黒い季節』で第1回スニーカー大賞金賞を受賞しデビュー。以来SFや歴史小説、アニメ原作など、幅広い分野で活躍し、2003年『マルドゥック・スクランブル』で第24回日本SF大賞。10年『天地明察』で第31回吉川英治文学新人賞や第7回本屋大賞。12年『光圀伝』で第3回山田風太郎賞など、受賞・著書共に多数。181㌢、78㌔、O型。

恐怖や不安を形にするホラーは、世の中の不条理に抵抗する力や免疫を与えてくれる

 舞台は2015年の渋谷。ここを拠点に鉄道や百貨店事業等を多角的に展開する〈シマオカ・グループ〉が社運をかけた再開発事業に関し、本社財務企画局IR部に所属する主人公〈松永〉が脅迫めいたツイートの調査に乗り出すシーンから、冲方丁氏、初のホラー長編『骨灰』は幕を開ける。
〈モグラ初号機〉を名乗るツイート主は、〈東棟地下、施工ミス連発〉〈いるだけで病気になる〉〈人骨が出た〉等と投稿を重ね、画像まで添付していた。当然看過はできず、上司の指示で現場の東館跡地を訪れた松永は、外は大雨なのにカラカラに乾いた坑内や、貯水槽横の壁に書かれた〈鎭〉の文字、さらに階段の奥深くに降り積もる〈白い粉塵〉を発見。その〈とてつもない高温で焼かれた〉灰らしきものに私生活まで脅かされてゆく。

〈おれたちみんな、死者の上で生活しているんだ〉とあるように、本作は相次ぐ大火や震災や空襲の上に繁栄を築く首都東京や、中でも今世紀初頭から続く渋谷駅の再開発に材を取り、「今の時代に必要」だから書かれたホラーだという。
「ちょうど渋谷の工事現場の近くを通ったら、バカでかい穴が開いていて、四角い穴って不気味だよなあ、人が何人か埋まっていてもおかしくないなあって。
 実はこんなに人が焼け死んでいる街って、東京とロンドンくらいらしいんです。ところが関東の土は酸性で、土葬しても溶けちゃうらしく、そう考えると東京には物凄い数の人間が埋まっている、それはちょっと怖いことだなあと思いまして。
 僕が考えるにホラーとは、恐怖や不安を形にし、世の中の不条理に抵抗する力や免疫を与えてくれるもの。だとすれば、今こそホラーを書かなきゃダメだろうと。コロナ禍で先行きの見えない不安が社会を覆い、正体が見えないと人は余計に不安になる。国が年金云々と言い始めたのもこの頃ですし、株は活況でも庶民の景気は全然じゃないかとか、個人や社会の不安の有様をいろんな形で書きこもうということが、大きなプロットとしてまずありました」
 主人公の職業や家族構成といった小さなプロット、、、、、、、も効いている。松永には妊娠中の妻〈美世子〉と小1の娘〈咲恵〉がおり、都内に結構なローンを組んでマンションを買い、妻の両親や実の母親にも微妙に頼りにくい関係が、仕事も家族も両方大事にしたい彼を後々窮地に追い込んでいくのだ。
 その日、相次ぐ増改築で迷宮ダンジヨンともあだ名された元東館跡地を訪れた松永は、画像の撮影現場を探すうち、地下深くの穴の奥に〈じゃらり〉という物音を聞く。
 見るとそこには鎖で足を繋がれた老人が座っており、驚いた松永は、自ら脚立を下ろし、穴の中へ。そして〈おれだってまだ働けるんだァ〉〈飯さえ食えばよォ〉と抗う老人を解放し、事情を訊こうとした矢先、坑内でボヤ騒ぎが起こり、気づくと老人は消えていた。

時世を読み発信する覚悟が必要

 その老人〈原義一〉が、実は御饌使ミケシ役に雇われたホームレスであり、妻を施設に入れるために全財産を失い、自身も認知症であることを、松永はシマオカと明治以来取引のある〈玉井工務店〉で聞く。社長以下を親族で固める同社では地鎮祭等の運営全般を請け負い、シマオカでも少なくない経費を支払ってきた。4代目社長の〈芳夫〉は、〈骨灰が染み込んでない場所は、東京では滅多にないですから〉と秋葉原の某総合施設を案内しながら語り、〈お祓い料はまけておきます〉と言って別れ際に守り袋をくれた。しかし、それでは全く間に合わないほどの怪異がやがて松永と彼の家族を襲うのである。
「脅迫ツイートにしても、その投稿を読者が現実と地続きに感じてくれなければ意味がなく、誰もが剝き出しの悪意に晒され、正気や冷静さを失う中、何とか最後は自分を理性で立て直す話にしたかったんです。
 もしこれを東京五輪前に書いていたら、松永はもっと酷い目に遭っていたと思う。ホラーには浮かれた社会を冷ます効果もありますから。物語が読む方の中で完成される以上、時世を正確に読んだ上で発信する覚悟が発信者には必要で、例えばコロナ下で最も薄れたのは公助共助ですよね。近頃はワクチンまで自己責任とか言い出すし、いつか自分も生活を失うんじゃないかと、頭が自助でガチガチになる。その不安に慣れるためにも、今回は仮に失うとどうなるかまであえて書き、当たり前だけど、だから人と人は助け合わなくちゃいけないってことも書いておきたかったんです」
 その当たり前がそうでなくなり、理性や均衡を欠いた隙間に魔は取り憑くのか。あの日以来、自宅のインターホンを度々鳴らす〈見えないお客さん〉や、亡父の幻影に怯える松永は、お札や除霊に大枚をはたき、経済的にも困窮してゆく。
「恐怖を逃れるのにお金を払うホラーって実は新しいし、僕としては暗く湿った日本のホラーのイメージを多様化し、因習の村とか地方以外の舞台も増やすべきかと。大都市の方が多く死者が出るんですから。そして今の社会に足りない養分があれば補い、受け手の心を健康値に戻す作業をしているかどうかに、怖いだけのホラーとそうでないホラーの違いはあると思う。
 要はバランスです。行き過ぎた経済成長至上主義が社会の歪みや過労死を生んできたように、それ自体、僕はホラーだと思います」
 それこそ筆名に冲と丁という対極を宿らせる作家は25周年の節目においてなお、火と水、生と死などのより建設的で幸福な調和を探る。

●構成/橋本紀子
●撮影/朝岡吾郎

(週刊ポスト 2023年1.1/6号より)

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