酒の飲み方に見る、学者たちの資質『京都学派 酔故伝』
京都大学の人文学をになった学者たちの、酒の飲みようや酒席での振る舞いに焦点をあて、彼らの資質を書きとめようとした本。井上章一が解説します。
【ポスト・ブック・レビュー この人に訊け!】
井上章一【国際日本文化研究センター教授】
京都学派 酔故伝
櫻井正一郎 著
京都大学学術出版会
2000円+税
装丁/鷺草デザイン事務所
学徒にとって自己演出の手段だった「酒の飲み方」
京都大学の人文学をになった学者たちが、この本ではとりあげられている。酒の飲みよう、酒席ででの振る舞いに、叙述の力点がおかれている点は、類書とちがう。酒とのつきあいにこそうかがえる学者たちの資質を、書きとめようとする本である。
吉川幸次郎は中国文学研究の大家として知られている。ただ、酒癖は悪かった。からみ酒の気もあったらしい。たとえば、人類学者の梅棹忠夫も、その標的にされたことがある。文献学の吉川は、梅棹らのフィールドワークを、いっさいみとめようとしなかった。古典の読めないお前は馬鹿だと、毒づいたのである。まだ若かった梅棹も、しかしおじけずやりかえす。その場では、たがいの罵倒がつづいたのだという。
碩学吉川と新進の梅棹が、ののしりあう。いい話だなと、私は思う。京都大学の黄金時代を代表する英雄伝説として、私はこの逸話をうけとめる。今は、もうありえない話だなと、往時のかがやきをあおぎ見る気にもなる。
いっぱんに、「京都学派」の呼称は、戦前の哲学者たちへ冠される。しかし、当時の学者は、ほとんど酒をくみかわさなかった。専問の別をこえて飲むようになったのは、敗戦後の現象であるという。
ただ、中国文学の青木正兒は、例外的にはやくから酒の席をよろこんだ。そんな青木には、酒仙をきどるところがあったという。自分たちの学風を、外へむかって宣伝する媒体にも、酒はなっていた。白楽天にあやかろうとした青木じしんの酒量は、節度をわきまえていたらしい。
英文学の深瀬基寛は、
酒は、多くの学徒たちに自己演出の手段をもたらした。京都学派の戦後が、そういう酒とともにあったという指摘は、傾聴にあたいする。やや功利的であった桑原武夫の酒が、せつなく思えてきた。
(週刊ポスト 2018年2.2号より)
初出:P+D MAGAZINE(2018/07/13)