【著者インタビュー】北野新太『等身の棋士』
藤井聡太、羽生善治、渡辺明、加藤一二三など、高潔な棋士たちの孤独に寄り添い、その横顔を伝える将棋ノンフィクション。著者にインタビューしました!
【ポスト・ブック・レビュー 著者に訊け!】
藤井聡太、加藤一二三、羽生善治――高潔な棋士たちの群像を描く将棋ノンフィクションの傑作
『等身の棋士』
ミシマ社 1600円+税
装丁/寄藤文平・鈴木千佳子
北野新太
●きたの・あらた 1980年石川県生まれ。学習院大学在学中から『SWITCH』で編集を学び、02年報知新聞社に入社。読売巨人軍担当等を経て、現在は文化社会部で映画や演劇、将棋等を担当。14年にNHK将棋講座テキスト「第63回NHK杯テレビ将棋トーナメント準々決勝 丸山忠久九段対三浦弘行九段『疾駆する馬』」で第26回将棋ペンクラブ大賞観戦記部門大賞を受賞。著書は他に『透明の棋士』。『みんなのミシマガジン』の連載も継続中。188㌢、86㌔、A型。
将棋には勝ちが絶対正義となる世界と、勝ち負けを超えた真理の追求が共存する
いわゆる新聞記者の文章でも、将棋記者のそれでもなく、何かが懐かしかった。
この感覚、何だっけ、と思いながら読み進むうち、ピンとくる記述を見つけた。史上最年少の14歳2か月でデビューして早々、破竹の29連勝を記録した藤井聡太四段(当時)を取材した際、かつて羽生善治永世七冠も愛読したという沢木耕太郎著『深夜特急』を、著者・北野新太氏が贈るくだりだ。
聞けば中学の時に読んだ『一瞬の夏』に衝撃を受け、大学時代は「沢木さん会いたさに『SWITCH』編集部でバイトまで始めた」という彼は、卒業後、報知新聞へ。現在は同文化社会部の将棋担当として千駄ヶ谷の将棋会館に通う。
本書『等身の棋士』は、ウェブ連載「いささか私的すぎる取材後記」等を抜粋したエッセイ集だが、勝負師の孤独に寄り添い、横顔を伝える著者の感性こそが、類著にはない個性を放つ。
羽生善治、渡辺明、加藤一二三、木村一基、中村太地などなど、そこには棋士がいて、書き手である〈私〉がいた。両者の間に生じた言葉にならない空気までが伝わってくる、14〜17年の将棋クロニクルである。
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「元々僕は大学までバスケ部で、05年に会社員を経て棋士になられた瀬川晶司五段を取材するまでは、将棋と全く縁のない人間でした。
でも今は将棋担当でよかったと思う。例えば巨人軍担当だった20代の頃は華々しく活躍する選手を見ながら、その光の中にいない自分に忸怩たる思いがあった。スポーツをやる自分と書く自分の距離感がうまく掴めなかったんです。でも、将棋はド素人なので彼らと自分を比べようという発想自体ないんです(笑い)」
まず一章「神域へ」では、「藤井について語る時に羽生の語ること」や本人との一問一答など、先日新六段となった藤井の凄さを多角的に取材。例えば詰将棋同様、実戦でも美を追求するかと問われ、〈派手な手と『地味だけど最善手』という兼ね合いはとても難しいと思います〉と答えた藤井は、〈局面評価は究極的には1か0かマイナス1の三つしかないので、いくら形勢が縮まったように見えても、ずっと1(の局面)を保っていれば問題ない〉と冷静に言ってのけた。
また史上5人目の中学生棋士は50㍍を6秒台で走り、小4で『竜馬がゆく』を読破した文武両道の人でもあり、〈見えない景色を見る位置まで行けるよう頑張らないと〉と抱負を語るのだ。
「正直、彼の凄さは未知数としか言いようがなく、渡辺竜王は、〈戦術に型のようなものがなく、言わば何でもあり〉の彼の将棋は時代を象徴していると語る。一方羽生先生もどんな局面にも感覚で対応できる安定感を絶賛し、今は知識や経験だけでは勝てない時代だと、時代を強調されていたのが印象的でした」
その羽生自身、かつては〈ジャスト・ア・ゲーム〉、つまり将棋は盤上の優劣を競う以外の何物でもないと体現してみせた、いわゆる羽生世代の象徴だった。
「将棋=人生的な価値観を否定した羽生先生が、今では47歳のリアルな生き様や、〈運命は勇者に微笑む〉とでもいうようなギラギラした闘志を体現しているのも面白い。僕はそうした彼の変容にこそ頂点であり続ける秘密はあると思っていて、実は最も変容し続けているのが、羽生先生なんです」
一見冷たい盤面に交錯する熱い一瞬
さらに17年5月、電王戦で最強ソフト「ponanza」に敗れた佐藤天彦や、〈将棋に美しさを感じていない人は将棋には勝てない〉と言い切る行方尚史。二度の奨励会退会を経て四段に昇格した44歳の元介護士・今泉健司など、ただ〈己の昨日を肯定するために〉闘う彼らを評して氏は書く。〈将棋は強いる。棋士は強いられる。勝つことを〉〈切ないくらいに、逃げ場も与えずに〉と。
「藤井六段が『最善手』と言い、羽生先生が『勝負の世界』と言う時の過酷さを、僕らは想像することしかできません。しかも彼らは盤上に誰も見たことがない世界を創造する同志でもあり、勝つことが絶対正義となる世界と、勝ち負けを超えた真理の追求が共存するのも、他の世界にはないと思う。
大谷選手の165㌔や清宮選手の場外弾は可視化された凄さですが、いわゆる羽生マジックの一手は理論上は誰でも指せる手。なのに何が起きたかはプロにもわからない。ただ何か凄いことが起きたのは確かで、彼自身、『今後200年指し続けても将棋はわからない、それでもいい』と言う深淵さやわからなさが、将棋の一番の魅力だと思う」
沢木にとってのカシアス内藤や、ボブ・グリーンにとってのマイケル・ジョーダンのように、〈私の視線の先には羽生善治がいた〉と氏は書き、会話だけで構成した清水市代女流のインタビューなど、随所に沢木熱を発見するのも一興だ。
「僕にとっては輪島功一さんの再起に密着した『ドランカー〈酔いどれ〉』がノンフィクションの理想形で、本書でも綺麗事は一切書いてない。むしろ棋士たちが日々繰り広げるリング上の殴り合いに似た真実のドラマを、自分が見たままに、冷静に書いているだけなんです。彼らの指す将棋がそれこそ人格すら物語る瞬間は確実にあって、一見冷たい盤面に途轍もなく熱い闘いや人生が交錯する一瞬を文章に書くことが、僕の夢になったんです」
記録や育った環境などでその人を語ることは幾らもできよう。が、盤面こそが体現しうる人間像に本書は肉薄しようとし、その点が懐かしく、新しいのである。
□●構成/橋本紀子
●撮影/国府田利光
(週刊ポスト 2018年3.9号より)
初出:P+D MAGAZINE(2018/07/27)