解剖学的な美術史『ヌードがわかれば美術がわかる』
ヌードの視点から、今までとはちがう読み解き方で美術史を語る! 美術をまなび、医学の世界で解剖学も研究してきた著者の眼力が、いかんなく発揮された一冊。
【ポスト・ブック・レビュー この人に訊け!】
井上章一【国際日本文化研究センター教授】
ヌードがわかれば美術がわかる
布施英利 著
インターナショナル新書
760円+税
古代ギリシアからあった「男の筋肉」への造形的な関心
ヌードでえがかれた人体は、衣服をきていない。裸である。だから、裸体美術とも称される。
いっぽう、この本はそういう常套におさまらない見方を、裸体美術の読解へもちこむ。裸体は骸骨を筋肉でおおっている。皮下脂肪や皮膚で、つつんでもいる。言葉をかえれば、裸体美術は骨や肉をかくしてきた。その秘められた人体へ肉薄するという構えで、裸体表現の歴史へせまっていく。
著者は美術をまなび、また医学の世界で解剖学も研究してきた。美術解剖学をおさめた批評家である。衣服をぬがせた裸体美術から、さらに皮膚をもはぎとろうとする。この解剖学的な美術史は、そんな著者の眼力が、いかんなく発揮された一冊だと評せよう。
では、そういう観点に立脚したとき、裸体美術の何がわかるのか。今までとはちがう、どんな読み解きが、私たちにはもたらされるのだろう。
ごぞんじだろうか。古代ギリシアの彫刻家がきざんだ裸体像は、男のそれにかぎられることを。女の彫像は、基本的に着衣姿でととのえられた。男は脱いだが、女は脱がなかったのである。
女が裸で彫刻化されだしたのは、古代ギリシアの末期、ヘレニズム期からだった。そして、それらの裸女像をよく見ると、たいてい男性的な筋肉の名残りをとどめている。ミロのヴィーナスにも、その痕跡はうかがえる。裸体表現が、男からはじまったことは、その残存ぶりからも見てとれる。
いわゆる文化史の読み物なら、そこに古代ギリシアの男性同性愛を読みとろうか。そして、著者もその可能性はしりぞけない。しかし、それ以上に、男の筋肉がおもしろがられただろうことを、強調する。あの時代から、彫刻家たちは男の筋肉がおりなす造形に、興味をいだいていたのだ、と。
近代のロダンも、女好きな彫刻家だが、男の筋肉にこだわった。同性愛では語れない造形的な関心が、古代ギリシアからあったのだと、私も思う。どうやら、著者には説きふせられたようである。
(週刊ポスト 2018年10.5号より)
初出:P+D MAGAZINE(2018/10/22)