本当は横柄で不潔だった!?『ベートーヴェン捏造 名プロデューサーは嘘をつく』

楽聖とよばれ、高潔な人格として知られる音楽家・ベートーヴェン。しかしその気高い人となりは、師の愛を獲得しようとする取り巻きのひとり、アントン・シンドラーによって捏造されたものだった……! 驚きの歴史ノンフィクション。

【ポスト・ブック・レビュー この人に訊け!】
井上章一【国際日本文化研究センター教授】

ベートーヴェン捏造 名プロデューサーは嘘をつく
ベートーヴェン捏造 名プロデューサーは嘘をつく 書影
かげはら史帆 著
柏書房 1700円+税
装丁/根本綾子
装画/芳崎せいむ

師の愛を獲得しようとする〝取り巻き〟のいたましい精神

ベートーヴェンは、楽聖とよばれている。音楽史上の実績のみならず、高潔な人格によってもうやまわれてきた。日本でも、とりわけ少年少女むきの偉人伝などでは、そこが強調されている。
しかし、じっさいのベートーヴェンは、そう気高い人でもなかったらしい。横柄で人を人とも思わず、周囲をしばしばうんざりさせてきた。けっこう下品な、それこそセクハラ親爺めいたところも、なかったわけではない。身なりは不潔で、食い意地もはっていた。
その人となりを美化して後世につたえたのは、アントン・シンドラーである。第五交響曲の冒頭は、運命が扉をたたく音にほかならない。運命交響曲のそんな逸話をつくったのも、シンドラーであった。第八交響曲第二楽章のテンポに関する作曲家の指定も、かってにでっちあげている。後世の音楽界には、けっこうめいわくをかけた人であったと言うしかない。
いちおう、ベートーヴェンをかこむ取り巻きのひとりではあった。しかし、かんじんの作曲家からは、けっこううとんじられている。便利づかいをされることもあったが、基本的にはけむたがられていた。
だからこそ、シンドラーは作曲家の没後に、その愛を独占しようとする。いちばん信頼されていたのは自分だ。自分ほどベートーヴェンの偉大さを理解していた者はいない。そんな物語をまきちらすようになる。ほかの取り巻きたちをだしぬいて。
耳の聞こえなくなったベートーヴェンは、筆談で意思の疎通をはかっていた。その記録帳は今日にもつたわっている。シンドラーは、作曲家の没後にこの帳面を改竄した。ベートーヴェンが偉大な人物になってしまったのは、そのためである。
この本は、記録の捏造に手をそめたシンドラーの内面へ、せまっている。ベートーヴェンの神格化に腐心しつづけた男の、いたましい精神をおいかけた。あわれな男である。せめて、その偽装工作があるていどは成功したことを、シンドラーのためにことほぎたい。

(週刊ポスト 2018年12.7号より)

初出:P+D MAGAZINE(2018/12/31)

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