『青線 売春の記憶を刻む旅』

【書闘倶楽部 「時代の肖像」】

評者/鈴木洋史(ノンフィクションライター)

「非合法な売春地帯」に生きた男と女の魂が甦る

『青線 売春の記憶を刻む旅』

青線

八木澤高明著

スコラマガジン

本体1800円+税

八木澤高明(やぎさわ・たかあき)1972年神奈川県生まれ。フリーカメラマン。『マオキッズ 毛沢東のこどもたちを巡る旅』(小学館)で小学館ノンフィクション大賞優秀賞。著書に『黄金町マリア 横浜黄金町 路上の娼婦たち』(亜紀書房)など。

 

GHQによる公娼廃止指令から1958年の売春防止法施行までの間、当局公認で売春が行われた「赤線」に対し、非合法だった地域は「青線」と呼ばれた。売防法以降、東京の吉原のように赤線の多くはソープランド街に装いを変えたが、新宿のゴールデン街、横浜の黄金町のように青線の多くは非合法のまま存在し続けた。大阪の飛田新地のように、もとは赤線だったのに青線的なあり方に変わった地域もある。青線の多くは1階が表向き飲食店で、2階で売春が行われる。

本書は、全国各地に無数に点在した青線を10年以上の年月をかけて訪ね歩いたルポルタージュだ。取り上げたのは30か所余り。05年まで東京の町田に存在した「たんぼ」と呼ばれる青線、神奈川県の相模原にあった「スケベハウス」という名の飲食店街、米軍基地があった時代に栄えた山形県東根市の「パンパン町」、ホステス殺人事件の犯人で時効直前に逮捕された福田和子の母が売春スナックを経営していた愛媛県今治市の「ハーモニカ横丁」……。

本書は、かつて新宿歌舞伎町のとある雑居ビルの中にあった、中国人娼婦が相手をする「一発屋」に仲間の記者と遊びに行ったときの話から始まる。それが象徴するように、著者は街を歩き、客として店に上がり、往時を知る地元の人を訪ねて話を聞き、街の風景をカメラに収める。そうした体験的な取材方法によって現場に漂う空気を掬い上げている。

私(評者)は本書によって今日でも三重県志摩市には知る人ぞ知る「売春島」と呼ばれる島があることを知って驚いたが、実は05年に横浜の黄金町が摘発されたことが象徴するように、〈青線の多くは昨今の浄化運動で消えていき、残っているものも風前の灯〉だという。その結果、廃屋になった建物だけが残る場所もあれば、駐車場や更地、あるいは区画整理によって大きなマンションに生まれ変わった地域もある。著者は、青線は〈社会の規格にはまらない者たちが生きることができる町でもあった〉として、その消滅によって社会から猥雑さとともに寛容さや余裕や懐の深さが失われてゆくことを惜しむ。

著者の文章には消えゆくものに対する哀惜が込められているが、といって、社会の浄化圧力を声高に非難するわけでもなく、江戸の遊廓文化を語る人のように〝青線文化〟を持ち上げるわけでもない。自分が見聞きした事実を、どちらかという淡々と記録していく。

福岡県小倉の元青線街を歩いたときの話が印象的だ。著者が会った街娼らしき女性は夜目にも老婆と言うに相応しい年齢に見え、若い頃は地元で人気のストリッパーだったと語ったが、それ以上の追及をかわすかのように闇の中に消えていった。著者は、彼女の姿が消えた青線街の〈忘れ形見〉のように思えたと書く。おそらく老婆の人生には、落語の廓話にあるような定型には収まり切れない物語があるのではないか……。そんなことを想像させられる。

まるで暗渠の蓋が剝がされて隠されていた水路が現れるかのように、本書の中で街は普段と違った貌を見せる。青線を歩く旅を〈幻影のなかを歩いていた〉ようだったと著者は書くが、読む者の前にも青線に生きた男と女の魂が甦り、漂うかのようだ。多数収録された写真も暗示的で、魅力的である。

(SAPIO 2016年1月号より)

 

 

 

 

 

初出:P+D MAGAZINE(2016/03/22)

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