【『アイネクライネナハトムジーク』映画化】伊坂幸太郎のおすすめ連作短編集3選
『ゴールデンスランバー』、『重力ピエロ』といった長編小説で有名な伊坂幸太郎は、実は“連作短編”の名手でもあります。映画化が決定した『アイネクライネナハトムジーク』を中心に、伊坂幸太郎の珠玉の連作短編集を3作品ご紹介します。
2019年9月20日から、映画「アイネクライネナハトムジーク」が全国公開されます。
小説家・伊坂幸太郎による同名の短編小説集を原作に、映画「愛がなんだ」でその名を広めた新進気鋭の監督・今泉力哉がメガホンをとった本作。主演を務めるのは三浦春馬と多部未華子、音楽を担当するのはシンガーソングライターの斉藤和義──といった豪華な顔ぶれでも注目を集めています。
伊坂幸太郎の原作小説『アイネクライネナハトムジーク』は、伊坂作品唯一の恋愛小説集。伊坂幸太郎といえば『ゴールデンスランバー』や『重力ピエロ』といった軽妙ながらも骨太な長編小説をイメージされる方も多いかもしれませんが、実は彼、短編の名手でもあるのです。
今回は『アイネクライネナハトムジーク』をはじめ、伊坂幸太郎の個性が光る“連作短編集”の中から、特におすすめの作品を3作ご紹介します。
『アイネクライネナハトムジーク』
出典:https://www.amazon.co.jp/dp/4344026292/
今回映画化される『アイネクライネナハトムジーク』は、伊坂幸太郎による唯一(2019年9月現在)の恋愛小説集です。
兼業作家だったころ、シングル「幸福な朝食 退屈な夕食」を聴いたことで退職を決意し小説家一本でやっていく決意をした──というエピソードもあるほど、かねてより斉藤和義の大ファンであった伊坂。本作の収録作のうち1話目の『アイネクライネ』は、斉藤から2007年に作詞の依頼を受けたことをきっかけに、「詞ではなく小説なら」と伊坂が書き下ろした短編小説です(斉藤和義はこの短編をきっかけに、シングル「ベリーベリーストロング~アイネクライネ~」を発表)。
そんな夢のようなコラボレーションによって生まれた本作は、佐藤という会社員の青年とある女性との、ささやかな“出会い”についての物語です。
ある日、勤務先の先輩社員・藤間のミスをカバーするために、駅前でアンケート調査をさせられていた佐藤。声をかけてもなかなか足を止めてくれる人がおらず焦っていた佐藤の前に、手の甲に「シャンプー」という文字をメモした女性がやってきて、アンケートの回答をしてくれます。
佐藤が思わず「シャンプー」とつぶやいたことで世間話が始まりますが、数分の会話のあとにふたりは別れました。しかしその後、ささやかで微笑ましいいくつかの偶然が重なってゆき、佐藤と女性は再び出会うことになります。
ハラハラするようなミステリ小説のイメージも強い伊坂ですが、『アイネクライネ』をはじめとする本書の収録作は、どれも読んでいて心がほのぼのとするような物語ばかり。人と人との出会いは決して運命的ではなくても素晴らしいということを実感させてくれるような、愛に満ちた短篇集です。
『チルドレン』
出典:https://www.amazon.co.jp/dp/4062757249/
『チルドレン』は、伊坂幸太郎が2004年に発表した「家裁調査官」を主人公とする連作短編集です。本書は2005年の本屋大賞で5位となったほか、第56回日本推理作家協会賞短編部門にノミネートされました。また、2006年にドラマ化・映画化もされるなど、人気の高い作品として知られています。
表題作である『チルドレン』は、家裁調査官の武藤を主人公とする短編。武藤はある日、マンガ本を万引きして家庭裁判所に送致されてきた木原志朗という16歳の高校生に出会います。威圧感のある父親の隣で気まずそうにしている志朗に対し、武藤は半ばやけくそ気味で、先輩調査官の陣内に薦められた芥川龍之介の『侏儒の言葉』を渡します。
後日、『侏儒の言葉』がきっかけで志朗と父親との距離が縮まっていたことを知り、ホッとする武藤。しかし、武藤は志朗の自宅を訪問した際、志朗の父親が大嫌いであるはずのジャズが大音量で流れていることに気づき、違和感を覚えます。
なぜ志朗の父親は突然ジャズ好きになったのか。「母親は旅行中でいない」という志朗の言葉は本当なのか──? そんなミステリの要素も読みどころではありますが、本作の最大の魅力はなんと言っても、収録作全編に共通する先輩調査官・陣内というキャラクターの破天荒さ。
陣内は、眼鏡のひ弱な少年が同級生たちに殴られそうになっている場面を見て、なぜか眼鏡の少年を自分が殴ることで「ああすりゃ、あいつらもあの少年を殴れないだろ」と場を収めようとするなど、とにかく型破りな人物です。しかし、それでいて多くの少年たちに慕われている陣内の仕事を一番近くで見続けることで、後輩である武藤の生き方も徐々に変わっていきます。
個々の短編は独立した物語として楽しめるのはもちろん、陣内を中心に描かれたさまざまな登場人物たちの心の通い合いの物語としても秀逸です。あまり馴染みのない家裁調査官という仕事の一端も知ることができる、魅力にあふれた連作短編集です。
『終末のフール』
出典:https://www.amazon.co.jp/dp/4087464431/
『終末のフール』は、伊坂幸太郎が2006年に発表した連作短編集です。本作で描かれているのはそのタイトル通り、小惑星の到来で8年後に地球が滅亡すると予告をされた人々が暮らす“終末”の世界です。予告から5年が経ち、大きな混乱は収まって小康状態にある仙台の街を舞台に、地球滅亡を3年後にひかえた登場人物たちのささやかな毎日が静かなタッチで描写されます。
特に印象的なのは、余命3年という状態で新たな命を授かった夫婦を主人公とする『太陽のシール』。優柔不断な夫・富士夫とさっぱりとした性格の美咲という30代の夫婦は、長年、子宝に恵まれないことに悩んでいました。しかし、地球滅亡の予告が出た5年後、美咲は産婦人科で妊娠していると告げられます。
富士夫は、隕石の衝突までに長くても3年しか生きられない子どもを産み育ててよいものか、悩みに悩んでしまいます。しかし、久しぶりに会ったかつての同級生・土屋の息子にまつわる思いを聞いたことで、富士夫の気持ちは少しずつ前向きに変化していきます。
「あれ、見ろよ」
しばらくして、土屋が正面の太陽を指差した。沈みかけの太陽は、綺麗な円形をしていて、空に貼りついたシールのように鮮やかだった。「小惑星が落ちてさ、俺たちがいなくなっても、きっとあの太陽とか雲は残るんだろうな」
「そう言われればそうだね」あのシールは容易に剥げそうもない。
「ちょっと、心強いよな」土屋がぽつりと言うのが、印象的だった。
そして後日、子どもを育てるという富士夫の決意を聞いた美咲は、顔をくしゃくしゃにして喜びます。
『終末のフール』は、映像化も多い伊坂作品の中では比較的目立たない作品集ではありますが、ファンには長く愛され続けている一冊です。“地球の終わり”という最大の悲劇を前にしてもなお生きることを諦めず、日々の暮らしの中にささやかなユーモアを見出そうとする登場人物たちの姿は、日常を生きる私たち読者にも小さな勇気を与えてくれます。
おわりに
一癖も二癖もあるけれど魅力的で愛さずにはいられない登場人物や、彼らが繰り広げる軽妙な会話、キャッチーでありながらずしりと心に残るような名言の数々。伊坂幸太郎作品の魅力はさまざまですが、どの物語にも共通しているのは、“人を信じる”という気持ちの強さのようにも思います。どんな悲劇的な局面においても希望を捨てず、誰かへの思いの強さと咄嗟の機転でピンチを乗り切る登場人物たちの姿は、清々しくも滑稽でもありながら、同時に、いつでも感動的です。
これまでに数々の小説が映像化されてきた伊坂作品。映画『アイネクライネナハトムジーク』も、今から公開が待ちきれません。
(合わせて読みたい:独特な言葉選びが印象に残る、伊坂幸太郎の名言10選。)
初出:P+D MAGAZINE(2019/09/05)