今月のイチオシ本 歴史・時代小説 末國善己

球道恋々
木内 昇
新潮社

 桑田真澄が巨人の選手だった時、トラブルに巻き込まれたことがあった。当時のコミッショナーは、新渡戸稲造の著作で人生勉強をするよう諭したとされる。ただ、野球は青少年の心身に悪影響を与えるとする「野球害毒論」を唱えた新渡戸からすれば、いい迷惑だったかもしれない。本書は、「野球害毒論」が吹き荒れた明治末に野球に打ち込んだ人々を描く痛快なスポーツ小説である。

 一高(東大などの前身)在学中は控え選手ながら野球部の黄金時代を支えた宮本銀平は、家庭の事情で帝大に進めず、三三歳になった明治三九年には弱小業界紙のしがない編輯長になっていた。

 そんな宮本が、一高野球部のコーチを頼まれる。敵と真っ向勝負する武士道野球を貫き日本野球界をリードした一高だが、いまや新戦術を取り入れた早稲田や慶應に大きく水をあけられていたのだ。

 物語は、宿敵三高(京大などの前身)との因縁対決を軸に進んでいく。一高に堅守のため難攻不落の旅順要塞にちなみ「老鉄山」の異名を持つ中野武二がいれば、三高には長身で剛速球を投げ下ろすことから「鬼菊池」と呼ばれる菊池秀治郎がいる。スポ根漫画のキャラクターのようだが、彼らが実在の人物だというのだから驚かされる。野球が好きなら、虚実を巧みに操りながら迫力ある試合を描いた著者の野球愛が感じられるだろう。

 やがて東京朝日新聞が「野球害毒論」のキャンペーンを始め、一高校長の新渡戸が先頭に立つ。宮本が、『海底軍艦』の作者で、野球の普及にも努めた押川春浪らと「野球害毒論」に立ち向かうところが本書のクライマックスとなっている。

 宮本は、野球部では控え、帝大卒の先輩・後輩と違ってエリートにもなれなかった。挫折ばかりの人生を送った宮本だが、控えにしか分からない視点で後輩を指導し実力を伸ばしたことで、大成しなくても何かに真剣に取り組んだ経験は人生の糧になると気付く。最近は、努力はかっこ悪い、失敗は時間のムダとの風潮が広がっている。厳しい練習を重ね、ミスから学ぶ一高野球の心は、現代人が忘れた大切なことを思い出させてくれる。

(文/末國善己)
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