高田文夫『TOKYO芸能帖 1981年のビートたけし』は傑作大衆芸能史!
とにかく面白い、中身が濃い大衆芸能史。高田文夫の、天性の眼力が光る一冊。嵐山光三郎が解説します。
【ポスト・ブック・レビュー この人に訊け!】
嵐山光三郎【作家】
TOKYO芸能帖 1981年のビートたけし
高田文夫 著
講談社 1300円+税
装丁/坂川栄治+鳴田小夜子(坂川事務所)
装画/佐野文二郎
人間や時代の根本をあっさり見抜いてギャグとして提示
おかしくて面白くて腹がよじれる大衆芸能史。腹がよじれるのはジマン自慢大ジマンを噴射するからだが、それが才能であり、二三七ページで、二三七回笑った。一ページで一回笑えます。
中身が濃いんだね。登場する人物はビートたけし、山口百恵、永六輔、村田英雄、志ん朝、談志、爆笑問題をはじめ数百人になるだろう。人気放送作家塚田茂の弟子として、ひたすら台本を書いた十年、ビートたけしと「オールナイトニッポン」で“毒舌悪ガキ”として走りつづけ、「高田文夫のラジオビバリー昼ズ」は現在もニッポン放送の人気番組である。この人は目がいい。人間や時代の根本をあっさりと見ぬき、ギャグとして提示する。ときには見えないものまでつかみ出す天性の眼力がある。めそめそしない。
三十代のころは「喋る原稿用紙」と呼ばれ、売れに売れた。放送作家の第一世代は、永六輔や野坂昭如や青島幸男がいた。第二世代は景山民夫、高平哲郎、高田文夫である。一世を風靡した芸能人とともに、メディアを駆けぬけた風雲児が、息せき切って語る命がけの芸能帖である。
二〇一二年に不整脈による八時間の心肺停止であやうく死ぬところだった。奇跡的に命をとりとめて「一・二のさんぽ会」をたちあげてリハビリをした。不死身の闘魂をみなぎらせる。退院したときのひと言は「心臓とめるな、タクシーとめろ!」だった。
台本だけでなく、DJ、タレント、作詞家、落語家(立川藤志楼)であり、テレビ、ラジオ番組やイベントの企画立案をする。もひとつおまけにヨイショの達人で、四谷三丁目の料理屋で偶然会ったハマコーこと浜田幸一先生をほめまくり「夜明けは近い」とはげまされた話が痛快だ。
たけしとの出会いでばりばりと表現する力技をみがいた。「足立区のたけちゃん」はいまや「世界の北野」となり、「渋谷区の高田親分」は「芸能界の水戸黄門」として、新人発掘のドラゴン光線を発射しつづけるのです。
(週刊ポスト2017年5.19号より)
初出:P+D MAGAZINE(2017/09/04)