【サイバーパンク】『攻殻機動隊』から読む、サイバーパンクSFの世界

2017年4月、話題の映画『ゴースト・イン・ザ・シェル』が公開されます。ある日本の漫画が原作ですが、ご存知でしょうか? 今回は、その原作に影響を与えた・または与えられた、「サイバーパンク」作品を紹介しながら、その魅力に迫っていきます。

あの名作がついに実写映画化!

2017年4月7日、話題の映画『ゴースト・イン・ザ・シェル』が公開されます。ある日本の漫画が原作ですが、ご存知でしょうか?

士郎正宗『攻殻機動隊』です。

『攻殻機動隊』は近未来を舞台とし、電脳技術や義体化技術が発展して電脳によって直接インターネットにアクセスできる時代を描いたSFアクションで、過去にもアニメーションとしては、2期に渡るTVシリーズや押井守監督による映画化などがありましたが、今回はスカーレット・ヨハンソンを主役に据えたハリウッド映画としての実写映画化です。原作・アニメ版は海外での評価も高く、今回の実写映画化もSFアクションとして世界中から注目を集めています。
上に挙げたような、科学技術が発達した近未来で、電脳化や義体化が当たり前になった世界を描いた作品をSF内のジャンルでは「サイバーパンク」と呼びます。
そこで今回は、『攻殻機動隊』に影響を与えた・または与えられたサイバーパンク作品を紹介しながら、攻殻機動隊の魅力に迫っていきます。

サイバーパンクの元祖、ウィリアム・ギブスン『ニューロマンサー』

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『攻殻機動隊』にも登場する電脳空間や、ネットワークへ意識ごと侵入する「ダイブ」など、近未来を描いたSF作品で印象的なモチーフを初めて描いたとされるのが、『ニューロマンサー』です。『ニューロマンサー』はサイバーパンクというジャンルを確立した画期的な作品とされ、その後の多くの作品にも大きな影響を与えています。
「ザイバツ」と呼ばれる巨大企業や「ヤクザ」によって経済が牛耳られた近未来で、電脳空間へのハッキングを生業とする主人公のケイス。かつては名の知られたハッカーでしたが、些細なミスがもとで神経を焼かれ、現在は落ちぶれた暮らしを余儀なくされています。そんな彼のもとに、ある日、モリイという女が現れます。彼女はケイスの怪我を治す代わりにある危険な仕事の手助けを依頼するのですが、その仕事とは、宇宙コロニーに君臨する大企業テスィエ・アシュプール社へとハッキングを仕掛けることでした。彼らのミッションは何を意味するのか、そしてその先に潜むニューロマンサーとは、いったい何者なのだろうか……といった筋書きです。
翻訳者の黒丸尚氏による、ルビを多用した特徴的な訳文も魅力のひとつで、この文体もその後多くのフォロワーを生み出しています。

サイバーパンクのビジュアルを決定づけた、映画『ブレードランナー』

『ニューロマンサー』の登場とほぼ時期を同じくして、サイバーパンクのビジュアル的側面を確立したのが、フィリップ・K・ディック『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』を原作とした、リドリー・スコット監督の映画『ブレードランナー』です。

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技術だけがいびつに発展し、猥雑な都市が広がるアジア的な舞台。高層ビルが立ち並び、街は巨大な広告やネオンで溢れている……。『攻殻機動隊』でも描かれるこうした風景は、旧来SFで描かれてきたステレオタイプな華々しい未来ではなく、あくまでも”いま”と地続きな未来でした。こうした新しいビジョンを映像として結晶化した『ブレードランナー』の功績は計り知れません。
映画と原作では大きくストーリー展開が異なるのですが、以下では原作の『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』のあらすじを説明します。
舞台は、世界を巻き込む核戦争が終わり、荒廃した未来。火星ではアンドロイドを奴隷として労働に使役し、火星への植民が進んでいます。
人口が激減し、生物も多くが死に絶えてしまったこの世界では、生きた本物の動物は貴重で、ペットを飼うことが人々の最大の関心事であり、社会でのステータスとなっています。昆虫から馬まであらゆる生物を扱うペットショップが大繁盛し、動物の種類ごとの公式価格表が毎年発表される世界では、ペットは自動車のような資産であると同時に、荒んだ心を癒してくれるかけがえのない友でもあるのです。
ですが、本物の動物を買う金のない人々は、本物そっくりに作られた動物型アンドロイドを買うことしかできません。電気羊を飼う主人公のデッカードもその一人です。最新型のアンドロイドの中には自由を求めて脱走を図る個体もあり、そうした脱走者を追う賞金稼ぎをデッカードは生業としています。
人間とアンドロイドの違いはどこにあるのか、というアイデンティティの問題——例えば、レプリカントと人間の差は、人間らしい「共感力」の有無、つまり他人への感情移入ができるかどうかによるとされますが、その定義は本当に揺るぎないものなのか? あるいは、アンドロイドを人間の「偽物」扱いしているからこそ奴隷としてこき使える訳ですが、荒廃した未来において本物の生きた動物を買うことさえ望めず、羊型アンドロイドという「偽物」を飼うことしかできない今の人間こそ「偽物」なのではないか? など―—といったテーマは、押井守監督の映画『GHOST IN THE SHELL / 攻殻機動隊』や『イノセンス』などにも影響を与えていると言われています。

現代SF最高の作家・イーガンによる現代SF最高の作品『順列都市』

『攻殻機動隊』の〈ゴースト〉のように、科学技術によって肉体を抜け出した人間のアイデンティティの問題を扱ったSF作品は数多くありますが、その中でも”現代SF最高の作家”と名高い、グレッグ・イーガンの代表作『順列都市』を紹介します。

順列都市_書影
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記憶や人格の〈コピー〉をコンピュータ上に保存することで、仮想空間内で永遠に生き続けることが可能となった未来。大富豪たちはこぞって〈コピー〉を作り、死後も経済活動を続けています。
ある時、「バタフライ計画」という台風を予測・回避する計画が始動し、台風の軌道予測のシミュレーションで必要となったスーパーコンピュータのリソース買い占めが起こります。結果、〈コピー〉を走らせる計算能力は低下し、利用者の間で将来への不安――〈コピー〉への反感や政情不安によって、我々はハードディスクに保存されたまま二度と起動されなくなるのではないか――が生じます。そんな中、社会が秩序を失っても、果ては宇宙が崩壊したとしても、永遠に生きられる方法を考案したと言う男が現れて……というストーリーです。
肉体を失った”精神”だけの人格と生身の人間の違いがテーマとなる作品は、『攻殻機動隊』を含め数多くありますが、イーガンが一味違う点は、テクノロジーの進歩とそれがもたらす社会への変化を、徹底的に科学に立脚して描くところです。現代SF最高の作家の作品、ぜひ一度読んでみて下さい。

おわりに

上に挙げた作品以外でも、最近の国内作品では、津原泰水(つはらやすみ)『バレエ・メカニック』が抜きん出た美しさを誇ります。

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事故で大脳のほとんどが機能しなくなった少女・理沙が東京という都市を脳の代わりとして夢を見ることで、東京中に巨大な蜘蛛や津波といった幻覚が発生。造形家の父と精神科医はその原因を追求していきます。
また、アニメーションでは1998年放送の『serial experiments lain』を紹介しておくべきでしょう。映画『GHOST IN THE SHELL / 攻殻機動隊』や『イノセンス』でも描かれたような、自らの身体を徐々に機械に置き換えていき、脳までも機械に置換できてしまった時、自分はそれ以前の自分と人格を共にしているのだろうか、といった身体の機械化が及ぼす人格の連続性の思考実験的な問題。あるいは、TVシリーズ『攻殻機動隊S.A.C.』で描かれたような、インターネットにおいて圧倒的多数の人間が接続されることで、ネットワークそれ自体があたかも人格を持ったかのような振る舞いを見せ得るといった集合的無意識に関する仮説など、多くのテーマが『攻殻機動隊』と共通しています。後者は小中千昭によるシナリオ集(『scenario experiments lain/シナリオエクスペリメンツ レイン』)も刊行されています。

SFの特長のひとつに、思考実験的な舞台設定をそのまま物語世界の設定に組み込んでしまえる、というものがあります。今回取り上げた作品も、「哲学的ゾンビ」[1]や「中国語の部屋」、[2]あるいは「スワンプマン」[3]などといった、心と身体を取り巻く哲学的な思考実験を、物語として読者に直接問うことをテーマとしています。答えの見えない難題ですが、これらの作品を読んで、一度考えてみるのも面白いのではないかと思います。
ぜひ映画『ゴースト・イン・ザ・シェル』と合わせて読んでみて下さい。

[1]「哲学的ゾンビ」
哲学者デイヴィッド・チャーマーズが提唱した思考実験で、コンピュータのプログラムのように、ある外的な刺激に対して反応を示すだけで内面的な意識が存在しない人間のこと。勿論、通常他人の脳内でどのような反応が起きているのか知ることは出来ないため、哲学的ゾンビと通常の人間との区別は外見上付かないことになる。

[2]「中国語の部屋」
哲学者ジョン・サールが提唱した思考実験。中国語を理解できない人(例えば英国人)を小部屋に閉じ込めて、部屋の外から漢字の羅列が書かれた紙を差し入れ、それにある特定の法則(マニュアル)に従って文字列を追加し、再び部屋の外へ戻すよう指示する。この時、部屋の外から見れば「中国語を解する人が中にいる」と感じられるが、実際には英国人は中国語を解さないのだから、単純にマニュアルに沿った作業を行っているだけに過ぎない。
この実験は、コンピュータの知能を測る「チューリングテスト」に対する反論として提唱されたものである。チューリングテストに合格したとしても、そのコンピュータが人間と同様の知能を本当に持ち合わせているかどうかはわからない、ということになる。

[3]「スワンプマン」
哲学者ドナルド・デイヴィッドソンが提唱した思考実験。ある男が沼にハイキングに出かけるが、不運にも沼の傍で突然雷に打たれて死んでしまう。その時、もうひとつ別の雷がすぐ傍に落ち、沼の汚泥に不思議な化学反応を引き起こし、死んだ男と全く同一形状の人物を生み出してしまう。
この落雷によって生まれた新しい存在のことを、「スワンプマン」と呼ぶ。スワンプマンは原子レベルまで死んだ瞬間の男と同一の構造をしており、見かけも全く同一である。もちろん脳の状態も完全なるコピーであることから、記憶も知識も全く同一である。沼を後にしたスワンプマンは死んだ男が住んでいた家に帰り、死んだ男の家族と話をし、死んだ男が読んでいた本の続きを読みながら眠りにつく。そして翌朝、死んだ男が通っていた職場へと出勤していく。
この時、スワンプマンと死んだ男は同一の存在と呼べるのだろうか。あるいは、我々も自分の知らない間に死んでいてスワンプマンとの入れ替わりを繰り返しているのではないか。例えば、眠っている間に。あるいは、酔っ払って記憶を無くした間に。
そもそも、我々の体の細胞は短い周期で入れ替わり続けており、数年前の自分とは体を構成する細胞はほとんど別物になっているはずである。この時、数年前の自分と今の自分が同一の存在と本当に呼べるのだろうか。こうした疑問を投げかける思考実験である。

初出:P+D MAGAZINE(2017/03/28)

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