【「令和」の典拠】万葉集の“変な歌”セレクション
「令和」の典拠となった日本最古の和歌集、『万葉集』がいま改めて注目を集めています。名歌と称えられる歌が多い万葉集ですが、実はその中には、ユニークで面白い“変な歌”もたくさん存在するのです。今回は、万葉集の中から選りすぐりの“変な歌”をご紹介します。
新しい「令和」の時代が始まり、元号の典拠となった日本最古の和歌集、『万葉集』がいま改めて注目を集めています。
万葉集に収められた約4500首の歌の中には、男女の恋を歌う「相聞歌」や人の死を悼む「挽歌」など、名歌と語り継がれてきた歌が数多くあります。
しかし実は、万葉集に収録されている和歌の中には、「え、こんなことをなんでわざわざ和歌にしたの?」と思わされるような、ユニークな歌やくだらない歌、クスッと笑ってしまう歌も多数あるのです。
今回はそんな万葉集の中から、選りすぐりの“変な歌”をご紹介します。
人間なんかやめて酒壺になりたい!──「酒を讃むる歌」
験 なき ものを思はずは 一坏の 濁れる酒を 飲むべくあるらし
(訳:甲斐のない物思いにふけるよりは、一杯のにごり酒を飲むべきであるらしい。)
言はむすべ
為 むすべ知らず 極まりて 貴きものは 酒にしあるらし
(訳:なんとも言いがたく、どうしようもなく最高に尊いものは酒であるらしい。)
なかなかに 人とあらずは 酒壺に なりにてしかも 酒に染みなむ
(訳:中途半端に人間でいるくらいなら酒壺になってしまいたい。そうすればたっぷりと酒に浸れるだろう。)
酒への異常なまでの情熱を感じさせるこの3首は、歌人・
この世にし 楽しくあらば 来む世には 虫にも鳥にも 我れはなりなむ
(訳:この世で楽しくいられるなら、来世では虫にでも鳥にでもなりましょう。)
といった、なかば破れかぶれともとれる歌も詠んでいます。いまが楽しければ、来世では虫に生まれ変わってもいい。むしろ、人間でいるくらいなら酒壺になってしまいたい──。大の酒好きの方であれば、そんな旅人の考えに少なからず共感されるのではないでしょうか。
実はこの歌を詠んだときの旅人は、60歳を過ぎて大宰府に赴任し、直後に妻を亡くしたばかりの時期でした。この酒にまつわる13首は単なる享楽的な歌ともとれる一方、孤独を酒で慰め、残る人生を楽しもうとしている旅人の姿が浮かび上がってくるような、切実な歌とも言えるかもしれません。
男女が山奥でひっそり……? 性をストレートに詠んだ「相模国の歌」
足柄の
彼面 此面 に刺す罠の かなる間しづみ 児ろ吾 紐解く
(訳:足柄山のあちこちにかけてある罠が時折静まる間に、恋人と私は着物の紐を解き愛し合う。)
この歌は、作者未詳の相模国の歌の一首です。この歌で詠まれている“罠”とは、足柄山のあちこちに仕掛けられた、動物を捕らえるための罠。獲物がかかると音が鳴るので、音が鳴り止んでいる瞬間はごくわずかです。
この歌の作者は、その息を潜めて獲物を待つまでのわずかな時間を利用して、山奥で恋人の着物の紐を解く、と詠んでいます。つまりこれは、男女がひそかに野外で愛し合っている情景を詠んだ歌だと解釈できるのです。
ずいぶん大胆な歌だと思われた方もいるかもしれませんが、竪穴式住居に住む人々が圧倒的であった当時の庶民にとって、野外での性行為はごく当たり前のものだったと言われています。
この歌に限らず、万葉集には、性についてストレートに詠んだ歌が少なくありません。たとえば、こちらも作者未詳の1首。
みどり子の ためこそ
乳母 は 求むと言へ 乳飲めや君が 乳母求むらむ
(訳:乳母は本来、赤子が求めるものなのに、あなたが乳母のような私の乳を求めるのですか。)
この歌では、女性が若い男性に「お乳を飲みたい」とストレートな求愛をされ、それに戸惑いながらも応えている様子が描かれています。
貴族同士のディスり合い? 人間らしさあふれる「嗤ふ歌」
“寺々の
(訳:都の寺々の女餓鬼たちが言うことには、大神さまの男餓鬼を頂き、つるんでその子を産みたいものです。)
この一見奇妙な歌の作者は、
なんてひどい歌だ、と思われた方もいるかもしれませんが、この歌に対する大神朝臣の返歌はこのようなもの。
仏造る ま
朱 足らずは 水溜まる 池田の朝臣が 鼻の上を掘れ
(訳:仏を造る人々よ、ま朱が足りなくなったら、池田朝臣の鼻の頭を掘るといい。)
「ま朱」とは、仏像の
互いに相手の痩せぎすと赤鼻を罵り合っているわけですが、もちろんこんなことができたのは、彼らが互いに仲良しだったからです。仲間同士が、相手の肉体のマイナス面をわざとあげつらって笑いの対象にしているわけで、ここにも天平官人たちの生活のある一面が巧まずして露出しています。
──『私の万葉集 四』より
「屎(くそ)は遠くでしてくれ」──ちょっと下品なトイレの歌
からたちと
茨 刈り除け 倉建てむ屎 遠くまれ 櫛造る刀自
(訳:櫛を造る婦人方よ、私はこれからカラタチと茨の草木を刈り除いて倉を建てるから、屎は離れたところでやってくれ。)
この歌は、
物名歌とはその名の通り、物の名前を詠み込んだ歌のこと。この歌は、「カラタチ」「茨」「倉」「櫛」という4つの言葉を入れた歌を詠めと言われた忌部首が、宴会で戯れに詠んでみせた歌のようです。いわば“宴会芸”の一種とは言え、4つの言葉を入れ込んだ歌を即興で詠むことができるとは、忌部首は相当頭の切れる人物だったのだろうと想像できます。
この「トイレの歌」が収録されているのは、万葉集の巻十六。実は、先にご紹介した池田朝臣たちの“ディスり合い”の歌もこの巻に収録されており、巻十六は万葉集の中でも特にユニークな歌が集まった巻、と言われているのです。
この巻に対して大岡信は、
収録歌数は少ない半面、その多様性と、知的興味をいちじるしく刺戟する性質のため、実際にはずっと数の多い巻に匹敵し、凌駕するほどの内容のある巻となっています。
──『私の万葉集 四』より
とも述べています。万葉集には「百人一首」にも選ばれるような美しく気高い歌が多数収録されている一方、このようなユニークな歌を多く入れ込んだ巻も存在していることが、まさにその懐の深さの証明と言えるでしょう。
おわりに
酒飲みの歌、赤裸々な性の歌、そしてトイレの歌……。今回ご紹介したユニークな歌を知って、『万葉集』のイメージが少し変化したという方も多いのではないでしょうか。
万葉集の魅力のひとつは、人々の生活や恋愛が素直に反映された、素朴で大らかな歌が多い点にあります。新元号への注目から、万葉集のさまざまな入門書にふたたびスポットが当たっているいまだからこそ、興味を引かれた歌を入り口に日本最古の和歌集に手を伸ばしてみてはいかがでしょうか。
初出:P+D MAGAZINE(2019/05/17)