取り返しのつかない失敗をした日に読みたい本3選
私たちはときどき、「もう一切取り返しがつかない……」と呆然とするしかないような失敗をしてしまうものです。そんな日に、前向きな言葉や自分を叱咤激励してくれるような言葉はなかなか頭に入ってきづらいもの。今回は、取り返しのつかない失敗をしでかしてしまった日にこそ読みたい本を、3作品ご紹介します。
仕事において致命的なミスをしてしまったり、謝っても許されないようなひどい言葉を恋人や友人にかけてしまったり。人生の中で私たちは時折、どう考えても取り返しがつかないと思うような失敗をしてしまうことがあります。
ご経験がある方はわかるかもしれませんが、“失敗”の度があまりに過ぎると、それをどうリカバーするかではなく、「いますぐ消えたい」という気持ちからいかに逃れ、どうやってなけなしの自尊心を保ち続けるかが重要な問題となってきます。
そこで今回は、取り返しがつかない失敗をしてしまった日にこそ読んでいただきたい、気持ちをほぐしてくれる(かもしれない)本を、3作品ご紹介します。
『どん底』(マクシム・ゴーリキー)
出典:https://www.amazon.co.jp/dp/4910100008/
『どん底』は、社会活動家でもあったロシアの作家、マクシム・ゴーリキーが1902年に発表した戯曲です。そのタイトルと、ゴーリキーというペンネームの由来が「苦い」を意味するロシア語であるという話を聞くだけで、早くも本作に共感に近い気持ちを抱いた方もいらっしゃるのではないでしょうか。
ゴーリキーの代表作として知られる本作は、その名の通り“どん底”な暮らしを余儀なくされている、社会的地位の低い市民たちが集う宿を舞台としています。主な登場人物は、宿の主人である粗暴な男・コストゥイリョフに、泥棒を稼業としているペーペル、実はペーペルと浮気をしているコストゥイリョフの妻・ワシリーサ、空想上の恋を過去の思い出として語り続ける娘・ナースチャ、アルコール依存症で廃業してしまった役者……など。彼らは皆、他に行き場もなく、閉塞感を抱えながら、人生のどん詰まりのような時間を生きていました。
そんな彼らの宿を、あるとき、巡礼中のルカという名の老人が訪れます。ルカは“どん底”を生きる彼らにさまざまな希望の言葉をかけ、絶望の淵にいる彼らを立ち直らせようとしていきます。
たとえばルカは、重い病を患い、いまにも死んでしまいそうに苦しんでいる女性・アンナには、“あの世にはもう苦しみなんてない”と語りかけます。するとそれを聞いたペーペルは、こんな言葉を返します。
「おめぇはなかなかえれぇ男だ! 嘘のつき方もうめぇもんだし……話もなかなかおもしれぇや! いくらでも嘘をつきねえ、なあにかまうこたあねえ……世の中にゃおもしれえことがすくねえんだから」
人を憐れみ、愛す気持ちを彼らに伝えようとするルカと、宿に暮らす厭世的な人々の態度は実に対照的です。ルカの存在を通して浮かび上がるのは彼らの美しさや懸命さではなく、むしろ、どん底の人生を破れかぶれな気持ちで生きている彼らの心の悲しさや虚しさ。
「人間はだれでもみんな、灰色の魂を持っている……だから、ちょっと紅をさしたがるのさ……」
という言葉には、思わず大いに頷いてしまいます。自分の“灰色の魂”がどす黒く濁りそうになった日にこそ読みたい名著です。
『不道徳教育講座』(三島由紀夫)
出典:https://www.amazon.co.jp/dp/4041212073/
『不道徳教育講座』は、文豪・三島由紀夫による随筆集です。井原西鶴の『本朝二十不孝』にならって書かれたこの作品には、「人に迷惑をかけて死ぬべし」「弱い者をいじめるべし」といった、一見眉をひそめてしまいそうなタイトルでありながら、道徳心の重要さを逆説的に説くようなユニークな論が並びます。
「落ち込んでるときに道徳が大切って言われても……」と戸惑ってしまった方もいるかもしれませんが、今回ご紹介するのは「罪は人になすりつけるべし」という章。刺激的なタイトルとは正反対の真っ当な結論に至ることの多い本書の随筆の中で、この章はすこし毛色が違います。
三島はこの章の中で、ある日本人の男が、ロンドン郊外でドライブ中に通行人を轢いてしまったというエピソードを紹介しています。運転していた自分には一切の非がなかった、と言い切って決して謝ろうとしないその男に、友人がこう言います。
「君だって日本人じゃないか。日本人なら、『お気の毒に』とか、『すみません』とか、『私が悪かった』とか、何か一言アイサツすべきじゃないか。もっと日本人らしい日本人なら、地べたに手をついて、泣いてあやまるだろう」
しかしその男はたったひと言、「バカ、ここは西洋だ」と言葉を返すのです。
三島は、「西洋では、人はめったに『すみません』とか『私が悪かった』と言いません」と書いています。もちろんこの言葉はかなり極端ですが、海外と比べ、日本人はすぐに自分の非を認め人に謝ることを美徳とする──という文化は実際にあるものです。
三島はこの“日本らしい文化”について、こんなふうに捉えています。
そこへ行くと日本は極楽だ。のんきなものだ。人と人の関係には、義理人情というヘンなものがあって、これのおかげで、すべての緊張が緩和されてしまいます。(中略)
下手に突張るよりそのほうがトクなことが、日本では多い。なぜなら「私が悪うございました」と言ってしまえば、西洋と反対に、全責任を解除されてしまうからです。
自分が犯してしまったなんらかのミスに対し、非を認めた瞬間にすべての責任が降りかかってくる海外と、形だけでも「すみませんでした」と言いさえすれば全責任が解除される風潮のある日本。三島はふたつの文化を対照的なものとして紹介し、「皆さんはどっちがいいと思いますか?」と問いかけます。そして、罪は人になすりつけるものという西洋の考え方のほうが正直な気もする──と言葉を並べた上で、こんなふうに論を結んでいます。
人は誰しも、内心自分が一等正しいと信じているのですから。
自分がしてしまった致命的な失敗に対し、それがたとえ謝って解決するようなものではないとしてもすぐさま謝罪をしたほうがよいか、理路整然と「最善は尽くしたので謝る必要はない」という態度でいるほうがよいかは、ケースバイケースであると思います。しかし、どちらの選択をするにせよ、「みんな内心、自分だけは正しいと思ってるんだよな。アホらし」と考えることで、すこしだけ心があたたまるのではないでしょうか。
『失敗図鑑 すごい人ほどダメだった!』(大野正人)
出典:https://www.amazon.co.jp/dp/4866510595/
『失敗図鑑 すごい人ほどダメだった!』は、世界に名を残した偉人たちの“失敗談”を集めた1冊です。偉人たちが成し遂げたことはすべて“偉業”と呼ぶにふさわしい、素晴らしい実績ばかりですが、そこに至るまでの過程で起きた、「え、この人大丈夫なのかな……」と思ってしまうようなエピソードの数々が本書では紹介されています。
たとえば、小学校の校庭でよく見かける「二宮金次郎像」でお馴染みの、二宮尊徳。勤勉な人物というイメージが強い彼ですが、実は二宮尊徳は一度、武士たちから言われる悪口に耐えられなくなり、村から逃走しているということをご存じでしょうか。
彼は貧しい農村を復興するために全力を尽くした際、その村に暮らす武士と農民から猛反発を受け、嫌われてしまったことがありました。その際、二宮尊徳は村から逃げ出し、心を落ち着かせようと一度実家に帰って温泉に入っていたと言います。
また、精神学者のフロイトは、“人の意見が聞けない”人物だったと言います。彼は『夢判断』や『性に関する三つの論文』といった優れた著書を何冊も発表しますが、当時、その研究の新しさから、周囲に理解者がほぼいない状況でした。しかし、しだいにユングやアドラーといった優れた心理学者と知り合い、彼らに慕われるようになります。
ところがフロイトは、ユングやアドラーらの学問的な見解の違いをどうしても認めることができず、自分の思想の型に彼らを当てはめようとしました。そのことが決定的な不和を生み出し、彼らはフロイトのもとを去ってしまいます。
批判の対象となることも多く、終生に渡る友人は非常に少なかったと言われているフロイト。しかし、自分の主張が正しいという確固たる信念があり、それを曲げることができないのであれば、誰とでもいい関係を作る、ということに必ずしもこだわることはないのかもしれないと思わされます。
本書で紹介される“失敗”にはささやかなものもありますが、中には「これ、翌日どんな顔で相手に会ったんだろう……」と心配になってしまうようなものも。偉人でもこんなに致命的な失敗をしてしまうことがあるのか、と、読むだけでほんのすこし勇気が湧いてくるような1冊です。
おわりに
今回ご紹介した3冊の作品はどれも、犯してしまった失敗を責め立てるようなことも、「失敗を明日の成功に活かそう!」とポジティブさを無理やり押しつけてくるようなこともしない本。落ち込むときには徹底的に落ち込みたいというタイプの方にも、すこしだけ希望を感じさせるような言葉がほしいという方にも、フィットするはずです。
“取り返しがつかない”ことをしでかしてしまっても、それとは関係なく時間は過ぎていき、大抵のことは時間とともに人々に忘れ去られていきます。どうしようもなく辛くなったら、今回ご紹介した本のページをめくりながら、辛い現実をひととき、やり過ごしてみてはいかがでしょうか。
初出:P+D MAGAZINE(2020/12/29)