【『推し、燃ゆ』ほか】人を“推す”ことについて考えたくなる本
大好きなアイドルや俳優といった芸能人、通称“推し”の存在が生活を豊かにしてくれている……、と感じる方は多いのでは。今回は、“推し”を愛することに生活を捧げる高校生・あかりの姿を描き大きな話題を呼んだ『推し、燃ゆ』(宇佐見りん)のほか、人を推すということについて考えたくなるような本をご紹介します。
みなさんに、“推し”と呼べるような存在はいるでしょうか。もはや説明不要かもしれませんが、“推し”とは“イチオシのメンバー”を語源とする、特に応援している人・大好きな人を指す言葉です。
アイドルやタレント、俳優といった芸能人を一度でも強く推したことのある方であれば、自分の応援が一方的すぎるものではないか、相手にどのくらい気持ちが伝わっているか、迷惑なファンになっていないか──など、“推し方”について考えたことがあるのではないでしょうか。YouTubeの映像をときどき見る、といったライトな応援から、推しが出演するすべての公演に足繁く通うという熱烈な方まで、推しに対する距離感は人それぞれです。
今回は、そんな「人を推すこと」についてさまざまな角度から考えることができる書籍を、3冊ご紹介します。
推しの炎上を超えた先に待っている人生──宇佐見りん『推し、燃ゆ』
出典:https://www.amazon.co.jp/dp/4309029167/
『推し、燃ゆ』は、2019年に『かか』で第56回文藝賞を受賞してデビューした作家・宇佐見りんの第2作にあたる小説です。
本作の主人公は、アイドルグループ「まざま座」に所属するアイドルの青年・上野真幸を推している高校生のあかり。あかりは真幸が所属するグループのライブや配信番組、ラジオなどを日々チェックしては、考察ブログを書いて彼を“解釈”することを日課にしていました。しかし、そんな真幸が突如、ネット上で炎上してしまったことで、あかりの日常が揺らぎ始めます。
推しが燃えた。ファンを殴ったらしい。まだ詳細は何ひとつわかっていない。何ひとつわかっていないにもかかわらず、それは一晩で急速に炎上した。
小さい頃からものごとを覚えることや勉強が苦手で、生活能力も高くなく、家族から「何にもできない」と評価されているあかり。うまく社会に適合することのできないあかりにとっては、推しのことを考えている時間こそが生活であり、生きる意味そのものでした。
“推しを推すときだけあたしは重さから逃れられる”と考えているあかり。炎上事件を機に、真幸への批判コメントや真偽不明のゴシップ記事などがインターネット上に溢れるようになりますが、あかりは淡々とそれを受け流し、彼女なりの“解釈”を続けようと努めます。しかし実生活においては、成績不振によって進級が危うくなったり、アルバイト先をクビになったりと、あかりと社会との距離はどんどん離れていってしまいます。
作中であかりが感じている“重さ”からは、発達障害や抑うつといった言葉を連想される方も多いかもしれません。あかりの抱える生きづらさは家族や周囲の人々からなかなか理解されず、“推しを推すこと”を通じてしか生の実感を得ることができない状態が続きます。逆に言えば、どんなに疲れていても真幸たちのグループの曲を聞けば軽やかに通学ができ、グループ内の真幸のメンバーカラーである青色のものに囲まれていれば、安心することができるのです。
あかりが真幸に対して抱いている切実な思いには、強く共感する方もいれば、まったく理解できないという方もいるかもしれません。彼女は、推しを一方的に思い続けることについて、こう解釈しています。
見返りを求めているわけでもないのに、勝手にみじめだと言われるとうんざりする。あたしは推しの存在を愛でること自体が幸せなわけで、それはそれで成立するんだからとやかく言わないでほしい。お互いがお互いを思う関係性を推しと結びたいわけじゃない。
社会と接続することのままならなさを嫌というほど自覚しているからこそ、推しを“一方的に愛でること”に救いを感じているあかり。その姿勢は時に世間からは“逃げ”と呼ばれてしまうものかもしれませんが、全身全霊で推しを愛し抜こうとする彼女の姿には強く胸を打たれます。人生をその人ひとりに注いでいる、と思えるような推しがいる方には、ぜひ読んでいただきたい1冊です。
5人の既婚女性がアイドルに注ぐ愛情──『婚外恋愛に似たもの』
出典:https://www.amazon.co.jp/dp/4334928528/
『婚外恋愛に似たもの』は、作家・宮木あや子による連作短編集です。本作はデビュー前の「スノーホワイツ」というアイドルグループのメンバーを応援している5人の女性たちを主人公に、ファンがステージ上のアイドルに向ける感情や、女性同士のヒエラルキー、それぞれの弱さやコンプレックスなどを描いています。
5人の主人公は、35歳既婚者で「スノーホワイツ」のメンバーのファンという共通点はありながらも、それぞれに違った“階層”の中にいます。
たとえば、主人公のひとり・桜井美佐代は、美人で金銭的にも恵まれているものの、何をしても“上から3番目”くらいの評価になってしまう女性。桜井にはアイドルと不倫をしている夫がおり、常にコンプレックスを抱えていますが、世間からは勝ち組のように見えてしまう彼女の孤独に気づく人はいませんでした。そんな彼女の人生は、スノーホワイツの神田こと“みらきゅん”に出会ったことで輝き始めます。
神田君の立ち位置はいつもセンターではなく、左から二番目だ。右から順繰りにスポットライトが当たっていく。足の下から伝わる音の振動が脳天を震わす。手が冷たい。
ああ、もうすぐ。もうすぐみらきゅんに会える。
三人目のライトが消え、右手を空に突き上げて石像のようにじっと待機していた神田君の姿を白く眩いライトが照らした瞬間、嬉しすぎて、そして悲しすぎて、どっと涙が溢れた。
他の4人の主人公たちも、常にトップクラスにい続ける女性、何をしても真ん中くらいの女性、“下から3番目”くらいの女性、“最下層”の女性……とさまざま。彼女たちがスノーホワイツのメンバーに向ける感情も、息子を見守るような感覚の人もいればガチ恋(※本気で恋愛対象とすること)の人もいるなど、五者五様です。
主人公たちの妬みや嫉みといった感情を赤裸々に描く本作には露悪的な部分も多々見られますが、それ以上に強く伝わってくるのが、世に出る前のアイドルを全力で推している主人公たちのパワーとエネルギーの強さです。スノーホワイツがすでに人気を得ている先輩グループのバックダンサーにつきながらデビューを目指し奮闘するさまを、ジャニーズJr.の推しグループに重ねて読む方も多いのではないでしょうか。
物語の最後には、時に悔しい思いを抱きながらもスノーホワイツを推し続けていた彼女たちが報われ、救われるような展開が待っています。デビュー前のアイドルグループを推すことに心血を注いだことのある方には、特におすすめの作品です。
オタク女性たちの「愛」と「浪費」──『浪費図鑑』
出典:https://www.shogakukan.co.jp/books/09179234
『浪費図鑑─悪友たちのないしょ話─』は、オタク女性4名による創作グループ・劇団雌猫が2017年に発表した1冊。アイドルや俳優、ディズニーやお笑いといったさまざまな対象に愛を向ける女性たちによる匿名のエッセイや、自身もアイドルオタクであり、アイドルの振付師を務める竹中夏海氏へのインタビューなどが収録されているノンフィクション本です。
匿名女性たちのエッセイはどれも読み応えがありますが、出色なのがお笑いコンビ「ロザン」への愛について書かれた、フラコブラクダさん(仮名)による文章。社会人7年目の頃、優良企業に勤めてはいたものの仕事に面白みを見いだせず、数年交際していた恋人とも関係がうまくいかなくなっていた彼女は、深夜番組を通じてロザンのふたりと出会います。
「ずっとふたりで喋っていたいからコンビを組んだ」というロザンの仲のよさに惹かれ、有休を使って足を運んだライブでは、“ふたりが誇張ではなく発光して見えた”ほどに感動。そこから彼女はどんどんロザンにはまっていき、地方でのライブに遠征したり、握手会などにも早朝から並んだりと、本格的なオタク道を突き進んでいきます。彼女はロザンのふたりを追いかけ続けることで、
高学歴で、なろうと思えば医者でも弁護士でもなれた人が、親友と一緒にいたいからという純粋な理由だけで、世間体やリスクなど考えず芸人という世界へ飛び込んだ。その潔さの結果、笑顔でいるふたりをずっと見つめていたら、安定を求めて向いていない仕事にしがみついている自分が馬鹿馬鹿しく思えてきたのだ。
という境地に達し、なんと仕事を辞める決意をします。
ロザンを追いかけ続けた日々が正しいことだったかはわからないけれど、“無駄ではなかった”ことはたしかだと彼女は文章を締めくくっています。本書に登場する女性たちの中には生活がままならなくなるほどの浪費を続けていたり、他のファンに対してマウントをとるために浪費をしたりする人も見られ、そのすべてに共感や理解はできないという読者もいるかもしれません。しかし、時には後悔や反省をしながらも楽しそうにさまざまなジャンルで“浪費”をしている彼女たちの姿には、励まされる方も多いのではないでしょうか。
(あわせて読みたい:「ギリギリでいつも生きてる」『浪費図鑑』の著者が語る、オタク女の浪費の裏側)
おわりに
今回ご紹介した3冊の本に共通しているのは、“推し”の応援が最大の生きがいになっている登場人物たちの凄まじい熱量です。
その姿勢に強く共感する方もいれば、反対に「現実逃避では?」「どうしてそこまで時間やお金をかけられるんだ」と疑問を覚える方も少なくないかもしれません。もちろん、すべての人々が“推し”に注いだ愛情やその時間を肯定しているとは限りませんが、多くのオタクたちが、(ロザンで浪費していたフタコブラクダさんのように)“正しいことかはわからないけれど、無駄ではない”と感じながら推しを愛でているのではないでしょうか。
今回ご紹介した書籍が、人を“推す”ことの意味やその姿勢について考えるきっかけになれば幸いです。
初出:P+D MAGAZINE(2020/11/21)