【穂村弘、俵万智など】出会いと別れの季節に読みたい、「春の短歌」

桜や新緑など、目に美しいものが増える春。出会いと別れが交差するこの季節を背景に詠まれた現代短歌には、素晴らしい作品が多数あります。今回は、“春”を詠んだ4名の歌人の短歌をご紹介します。

春といえば、色とりどりの花が咲き、新しい門出を祝う人であふれる季節。桜や新緑など目にも美しいものが増えるこの季節は、古くからたくさんの和歌・短歌の中で詠われ続けてきました。

今回は、現代口語短歌の名歌の中から、春を詠んだ歌、春に読みたい歌をご紹介します。俵万智のような超有名歌人の歌から若手の新鋭歌人の歌まで、さまざまな形の“春”をお楽しみください。

1. ハーブティーにハーブ煮えつつ春の夜の嘘つきはどらえもんのはじまり(穂村弘)


出典:https://www.amazon.co.jp/dp/480601110X/

“ハーブティーにハーブ煮えつつ春の夜の嘘つきはどらえもんのはじまり”──。この奇妙な歌は、ニューウェーブ短歌の旗手として知られ、エッセイや評論のジャンルでも活躍する歌人・穂村弘による1首です。

“ハーブティーにハーブ煮えつつ”とは一読すると過剰にも思える表現ですが、そのあとの“春の夜”まで句の頭に「ハ」の音が連なることにより、軽やかでどこか浮き足立ったような印象を感じさせます。
穂村弘自身はこの歌について、

“この歌のテーマって季節感なんです。言いたいのは春の夜ってこんな感じっていうこと。(中略)春の夜の感覚は、ドラえもんのポケットからは何でも出てくるというその全能感。”
──『世界中が夕焼け 穂村弘の短歌の秘密』(穂村弘、山田航)より

と綴っています。歌の意味そのものはわからなくても、この歌の中で描かれている“春の夜”のふわふわとした空気感には共感できる、身に覚えがある──と感じる方は多いのではないでしょうか。

春を詠んだ歌は、穂村弘が2018年に発表した最新歌集、『水中翼船炎上中』の中にも見られます。

血液型が替わったひとと散歩する春は光の渦を跨いで

こちらの歌にも“どらえもん”の歌と共通するような浮遊感があると同時に、“血液型が替わったひとと散歩する”という特異なシチュエーションは、読み手に強いリアリティも感じさせます。血液型検査を大人になってから受け直したのか、あるいは骨髄移植を受けたことで“血液型が替わった”のでしょうか。いずれにせよ、血液型が替わるという言葉が持っているのは強力な“反転”のイメージのように感じられます。
穂村弘自身は、『水中翼船炎上中』という歌集が持つ世界観について、かつてこのように語っていました。

原発も、僕が子どもの頃は未来のお城みたいなイメージだったんだけど、いまはそうではない。だから、科学に代表される未来のビジョンはみんな反転してしまったんですよね。(中略)僕たちが子どもの頃に聞かされていた夢は誰も追えなかったんだ、って感覚があって。
──「子どもの頃に憧れた未来は、すべて反転してしまった──穂村弘『水中翼船炎上中』インタビュー」より

“血液型”という、本来であれば生涯替わるはずのないものが変化するというモチーフからは、現代という時代のよりどころのなさが連想されます。決して触れることのできない春の“光の渦”のイメージと合わさって、不思議な達観も感じさせる1首です。

2. 妻という安易ねたまし春の日のたとえば墓参に連れ添うことの(俵万智)


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“妻という安易ねたまし春の日のたとえば墓参に連れ添うことの”は、日本でもっとも読者の多い歌人・俵万智による1首。俵万智と聞いて、代表歌である

「この味がいいね」と君が言ったから七月六日はサラダ記念日

のような、ライトな文体を活かしたほのぼのとした作風をイメージされる方にとっては、深い“情念”を感じさせるこの歌はすこし意外に映るかもしれません。

この短歌が収録されている『チョコレート革命』は、『サラダ記念日』に続く俵万智の第2歌集。“婚外恋愛”をテーマにしたこの歌集には、妻のいる男性に恋をしてしまった女性の赤裸々な思いが綴られています。“妻という安易ねたまし”というギョッとしてしまうような最初のフレーズと、「春の日に墓参りに連れ添う」といううららかな光景のコントラストからは、自分は愛する男性の親族の墓参りに一生付き添うことができないという深い絶望が克明に伝わってきます。
『チョコレート革命』の中には他にも、

明治屋に初めて二人で行きし日の苺のジャムの一瓶終わる

といった、春らしさを感じさせる短歌が散見されます。どちらの歌も、春という季節の穏やかさや軽快さを背景にしているからこそ、その華々しい季節にもう二度と戻れないことの深い悲しみが浮き彫りになるような構成となっています。

3. 「はなびら」と点字をなぞる ああ、これは桜の可能性が大きい(笹井宏之)


出典:https://www.amazon.co.jp/dp/4480435751/

「はなびら」と点字をなぞる ああ、これは桜の可能性が大きい

この歌は、2009年に26歳で夭逝した歌人、笹井宏之による1首。短歌の主体は「はなびら」という点字に指で触れた瞬間に、理由もなくそれは桜ではないかと想像しています。一読しただけで泣き出しそうな気分になる繊細な歌です。このように、笹井宏之の短歌の中には、弱いものや小さいもの、いまにも壊れてしまいそうなものに対するやさしい眼差しが貫かれています。
桜を詠んだ歌にはほかにも、

葉桜を愛でゆく母がほんのりと少女を生きるひとときがある

桃色の花弁一枚拾い来て母の少女はふふと笑えり

といったものがありますが、この中でも、散りゆく桜を愛でている“母”の姿を見つめる短歌の主体の視線はやさしく穏やかです。笹井宏之の父である筒井孝司さんは、笹井は特に桜の花が好きで、母・和子さんのこともよく短歌に詠んでいたと綴っています。

我が家には私の父が生前に植えた桜の木が7、8本あり、毎年きれいな花を咲かせてくれます。満開の桜を見て家に帰ってきた和子が、自分の髪に桜の花びらがついているのを見て「ふふ」と笑った仕草が少女のようだったので、この歌を詠んだようです。(中略)はらはらと散りゆく桜の花のうつくしさ、はかなさ、潔さに自分の生き様を重ね合わせていたのかも知れません。桜は宏之にとって特別の花だったようです。
──『短歌ムック ねむらない樹 vol.1』より

笹井宏之の透明度の高い唯一無二の短歌は、いまでも多くの人々から愛され続けています。笹井は、平成短歌史を塗り替えた歌人のひとりといっても過言ではありません。

4. 生きかたがはなかむように恥ずかしく花の影にも背を向けている(虫武一俊)


>出典:https://www.amazon.co.jp/dp/486385224X/

“生きかたが洟かむように恥ずかしく花の影にも背を向けている”──。この歌は、若手歌人・虫武一俊による1首です。咲き誇る花どころか“花の影”にまで背を向けずにはいられないような極端な内向性と自意識の過剰さには、どこか共感を覚える方も少なくないのではないでしょうか。

虫武の歌の中の主体は、20代を無職の引きこもりとして過ごした若者です。一般的に春を詠んだ歌には明るさや万能感、軽やかさが感じられる短歌が多いですが、虫武の短歌の中では、春はうしろめたさや恥ずかしさを増幅させる季節として描かれます。

他人から遅れるおれが春先のひかりを受ける着膨れたまま

行き止まるたびになにかが咲いていてだんだん楽しくなるいきどまり

しかしこれらの歌からも伝わるように、彼の短歌は内省的ではあるものの、そんな自分の生き方を武器として人前にさらすことで生きづらさを乗り越えようとしているような、独特のユーモアを持っています。

新緑の緑のあたりに立ち止まる 朽ちていくにも休憩がある

このまんま待っても亀になれぬなら手足はどこへどうすればいい

自分の生きざまにどこか自信を持つことができない人や、春を迎えるとうれしさよりも焦りやつらさを強く感じてしまうという人にとって、虫武の歌集『羽虫群』はお守りのような存在になりうるのではないでしょうか。

おわりに

外出自粛が続き、外に出られる機会が減った今年は、例年と比べてなかなか春らしさを感じられない──と沈んだ気持ちになっている方も少なくないかもしれません。
穂村弘はかつて、私たちは“生きる”と“生きのびる”というふたつの世界を同時に生きなければならない存在だ、と語りました。お金や生活必需品などがあればひとまず“生きのびる”ことはできるものの、生活の究極的な目標は“生きのびる”ことではなく“生きる”ことのはずだ、と穂村は言います。

それ(※「生きる」こと)は「生きのびる」ための明瞭さに比べて、不明瞭なんです。「生きのびる」ためには、ご飯を食べて、睡眠をとって、お金稼いで、(中略)はっきりしているよね。だけど「生きる」ってことは、はっきりとはわからない。一人ひとり答えが違う。

全員がまず「生きのび」ないと、「生きる」ことはできない。

いま、“生きのびる”ための生活で毎日精一杯で、“生きる”ことの実感が薄れているという方はたくさんいるはずです。そんな中で、家で詩歌を読むひとときは、もしかすると“生きる”ための一助につながるかもしれません。現状に息苦しさやつらさを感じているという方にとって、1日数十分でも本の世界に没頭できる時間があったなら、その時間が楽しく心地よいものであることを祈るばかりです。

初出:P+D MAGAZINE(2020/04/14)

◎編集者コラム◎ 『ガラスの虎たち』著/トニ・ヒル 訳/村岡直子
【著者インタビュー】吉田修一『アンジュと頭獅王』/800年の時を超えて因果応報の理を説く勧善懲悪譚