『タングル』刊行記念 真山 仁 ブックガイド
シンガポールを舞台に、光量子コンピューター開発をめぐる暗闘を描いた最新刊『タングル』の刊行を記念し、真山仁作品の魅力と軌跡を書評家・末國善己が解説する。
真山仁には、地熱発電を題材にした『マグマ』、日本のロケット開発の問題点に切り込んだ『売国』など、日本経済を復活させる成長産業に着目した作品がある。光量子コンピューターの開発を描く『タングル』も、この系譜に属している。
『マグマ』
角川文庫
『売国』
文春文庫
国立大学法人・東都大学工学部の早乙女教授は、独創的な光量子コンピューターの研究で世界のトップを走り、世界初の商用量子コンピューターの完成も期待されていた。だが実用化の検証実験には莫大な費用がかかり、新型コロナウイルス対策に多額の支出をした政府が科学研究費を凍結したため、資金難に直面する。そこに救いの手を差し伸べたのが、アジアの金融センターとして潤沢な資金を持ち、イノベーションを興すような成長産業を誘致したいシンガポールだった。
興味深かったのは、光量子コンピューターの開発には日本人の神業的な技術が必要という早乙女が、機械化などで居場所がなくなった職人をシンガポールに連れてきて欲しいと頼むところである。日本には〝神の手〟を持つ職人が数多くいるが、近年はどんな凄技もいずれは機械で代替できるようになる、もしくは職人仕事そのものが日本の生産性の低さを象徴するなどという批判にさらさるようになった。経済効率を優先すると最初に切られそうな職人技の中にも日本再生の鍵が潜んでいる事実を指摘する本書を読むと、伝統技術と先端技術は車の両輪であり、ものづくり大国の復活にはどちらも欠かせないことがよく分かる。
拠点をシンガポールに移した早乙女だが、商用の光量子コンピューターが完成した時に生まれる利益をめぐり、日本とシンガポールが壮絶な綱引きを始める。さらにアメリカは光量子コンピューターの共同研究を日本に打診し、中国が光量子コンピューターの量産を始めると報じられるなど、超大国が露骨な牽制を仕掛けてくる。
光量子コンピューターは、スーパーコンピューターより処理能力が優れているだけでなく、冷却設備が不用なので電力の節約にもなる。それなのに早乙女研究室に国から十分な研究費が出ないのは、日本政府が自国の技術力の象徴と考えるスーパーコンピューターの開発競走にとらわれ、新技術に目を向けないからとされている。
未来を切り開く新技術が、その価値を理解できない高齢の政治家に潰される構図は、光量子コンピューターに限らず作中の随所に出てくるし、シンガポールとの対比で日本の問題点も指摘される。だが本書は決して暗い物語ではない。『当確師 十二歳の革命』や『プリンス』のように、若者の夢と希望を形にするために、国や上の世代は何をすべきか、あるいは何が邪魔になるのかも丁寧に描いているのだ。光量子コンピューターをめぐる暗闘は、常識に縛られず、失敗を恐れず、新しいチャレンジをする若者と、経験を過信せず時代の流れについていけないと感じたら表舞台から退場しサポートにまわる高齢者が増えることが、成長戦略を生むと教えてくれるのである。
『当確師 十二歳の革命』
光文社文庫
『プリンス』
PHP研究所
ファンドマネージャーの鷲津政彦を主人公にした〈ハゲタカ〉シリーズは、企業買収の世界を描く経済小説であり、ミステリーのエッセンスもある真山仁の代表作である。
実家が大阪船場の繊維問屋だった鷲津は、ニューヨークに渡りジャズのピアニストを目指していたが挫折。船場の商法でアルバイト先の業績を上げた鷲津は、投資ファンドKKLの目にとまり入社、凄腕のファンドマネージャーとなり、KKLの日本法人ホライズン・キャピタルのトップとしてバブル崩壊の不興にあえぐ日本に帰国した。